馬小屋のような粗末な寝床であっても、出来ればもう少し横になっていたい。が、そうも言っていられなくなった。太陽が少しずつ昇ってスラムの朝は活気づき、黒鹿亭の宿屋からは早立ちをする冒険者たちが出てきた。彼らは決まって馬小屋の近くにある井戸までやってきて水筒に水を詰めてゆく。お目汚しをして申し訳ないが、井戸のところまで来ると馬小屋で泊まった文無しがだらしなく寝ているのが見える。さすがに指をさして笑うような奴はいないが、こちらに気づいた瞬間に表情が曇る。それが嫌悪なのか哀れみなのか判らないが、見られている方としてはとにかく居た堪れない。干草の中から抜け出して出立の準備をすることにした。


 物音に気づいたルメイが大きく背伸びをして起き出して来る。
「おはよう、セネカ。よく寝れたか?」
「おはよう。野宿よりはましって感じかな」
 ルメイは早朝の淡い光の中でしばらく目を細めていたが、やがて井戸のところまで行って桶に水を汲み、威勢よくバシャバシャと両手で顔を洗い始めた。俺も並んで顔に水をかけるが、片手なのでうまくいかない。
「肩はまだ痛むのか」
 ルメイが心配そうに覗き込んでくる。
「昨日よりはましになった」
 半分だけ本当の返答をする。昨日の痛みは鋭いものであったが、今朝のそれは深く鈍い感じだ。単純に良くなったとは言いがたい。


 ふと顔をあげて空気の匂いを嗅ぐ。黒鹿亭の厨房からスープの匂いが漂ってきている。すきっ腹には堪らない。薪のはぜる音もかすかに聞こえてくる。今頃メアリは朝食の支度で忙しくしているだろう。黒鹿亭から出てくる連中と井戸で鉢合わせしたくないので馬小屋の前まで戻った。傾いた飼葉桶に腰掛けて鉄芯入りのブーツに足を通すが、左腕に力が入らないのでもどかしい。ルメイが隣に腰を下ろしたので飼葉桶がぎしっと音をたてた。


「今日は狩りはやめて、イルファーロに行ってみようと思うんだが」
 そう切り出すと、大きな足をブーツに詰め込んでいたルメイがこちらに向き直った。
「イルファーロへ行ってどうする?」
「まずは、例の岩場に行って金を出してこよう」
 思わず小声になって辺りを確かめた。俺とルメイは調子よく狩りが出来ていた頃、万一に備えて金目の物を少し隠してあった。
「そうだな。それは俺も考えていたんだ」
 ルメイが自分のブーツの紐に視線を戻した。太い指で紐を繰りながら、何か言いたそうな顔をしている。俺は何気ない風を装って先を続けた。
「あそこに隠した金で何日かしのげるだろう。その間に、街でもう一人仲間を探すのはどうかと思ってな」
 ルメイの手が止まった。暫く考えていたルメイは紐をぎゅっと結ぶと、背嚢を背に担いで立ち上がった。
「なあセネカ。俺は暫くの間、使い走りで食っていこうと思うんだ。だからお前はもう少し狩りの上手な奴を探して、そいつと組んだらどうかな」
「そんなこと言うなよ。今までずっと一緒にやってきたじゃないか」
 ルメイは何事か口ごもったきり黙ってしまった。ルメイの気持ちは痛いほど良く判る。もう一人仲間が増えたとして、そいつが俺と同じようにルメイを受け入れるとは限らない。いざこざの絶えないパーティーのつらさは身に染みて知っている。


 ルメイは俺と組む前、馬小屋で暮らしながら使い走りをしていた。スラムは行くあてのない冒険者たちの住む街だが、それでも物流があり、日々様々な品物がやり取りされている。例えば狩場へ行くとき、武器や防具といった装備の他にも、背嚢や水筒、革袋、紐のたぐい、毛布といった品物を持参する。多少なり年季の入った冒険者ならそれ以外にも砥石、薬草、筆記具なども携帯する。これらの品々は消耗し、使えなくなったらまた購入しなければならない。


 ところがその補充が難儀である。スラムでは強盗や恐喝、窃盗といった犯罪が横行していて、ゴメリー親分が経営する黒鹿亭を除いて商店はない。黒鹿亭の角地にある小さな商店はなぜか入口に碇が鎮座しているので碇屋と呼ばれているが、割高なことで有名である。スラムを拠点にする冒険者たちはよほど火急のことがない限り自分でイルファーロまで出向いて買出しをする。しかし実際にやってみれば判るが、ちゃんと蓋が締まる水筒や、相場に近い薬草といった品物を探そうと思ったら、街をうろついて半日はかかる。見て回る手間を惜しんで適当な品定めをすれば粗悪品をつかまされて後悔することになる。ルメイはそれらの必要な品を本人に代わって仕入れてくることで生計を立てていた。ルメイの買ってくる品は確かだったので、それなりに繁盛していたようだ。


 しかしそれはスラムでの話であり、ルメイが底辺の暮らしから這い出ることは無かった。ツケで物を買わせた挙句に踏み倒す者、あからさまに脅して上前をはねる者、買ってきた品を横取りする者。ルメイに限ったことではないが、スラムにたむろする冒険者たちに帰る家はなく、全財産を常に身につけていなければならない。人を害することを何とも思わない連中にとってみれば、馬小屋に居ついているルメイは格好のカモであった。ルメイは「馬小屋の」という不名誉な通り名を付けられた挙句、ならず者たちの食い物にされていたのだ。


 肩に手を乗せて頷いてみせた。言葉にしずらいこともある。ルメイは顔をあげて、すまないな、と小さな声で言った。ルメイだってあの暮らしに戻りたい筈がない。俺にしても、狩りの達者な連中と組んで暮らし向きが良くなったところで、馬小屋にいるルメイを見るたびに後味のわるい思いをするだろう。そんなのは御免だし、何より俺はルメイと軽口を叩きながら旅をするのが好きだ。ルメイの口からパーティー解散を提案された今、改めてルメイがかけがえのない旅の仲間であることが判る。







「おや、馬小屋のルメイじゃねえか」
 タイミングの悪いことに黒鹿亭の前で三人の冒険者たちとすれ違った。そのうちの一人が近寄ってきて、馴れ馴れしくルメイの肩に腕を回してきた。
「久しぶりじゃねえか」
 その男は脂ぎった赤髪を伸ばし放題にしていて、口の片側だけで笑う顔をルメイに摺り寄せるようにしている。ルメイはと言えば、裸足で糞を踏んだような顔をしている。そばには二人の連れが立っていて、これから狩りに行くところらしく武装している。二人とも頭に黒い頭巾を被っているので、これはゴメリー親分の下で働いている冒険者たちだ。ルメイに絡んでいる嫌味な男は頭巾こそしていないが、それをスカーフのように首に巻いている。俗に黒頭巾と呼ばれるたちの悪い連中だ。


 三人の武装を確かめた。三人とも同じ金属の胸当てをつけている。腰を絞るのに叩いて鎬を打ち出してあり、その線が波のように見える。腰を守る草摺りは取り外してあるが、腕の出る両脇は太めに捻り返され、鳩尾の上あたりに百合の紋章が刻まれている。これは優れた工房を持つアイトックスの産だ。狩りともなればあちこち歩き回るので重い金属を使っているのは胸当と喉当までだが、これはとても個人で揃えられる品物ではない。ゴメリーの子分達は狩りの実入りの半分を納める代わりに装備を借りていると聞く。傷だらけの革鎧しかない俺たちと比べたら、相当上等な装備を身につけていると言える。


 良く見れば小振りの肩当と股当まで革製の新品を装備しており、これだけの品物をゴメリー親分がどうやって仕入れているのか不思議でならない。これでは私兵を擁しているようなものではないか。まだ街の中にいるので小手はつけていないが、おそらく背嚢に納めているのだろう。腰には中ぶりの片手剣を下げているが、柄が長いので両手でも扱えるようだ。


「また小銭を貯め込んでるんじゃないのか? ええ?」
 赤髪の男は肩に回した腕に力を込めてルメイを抑えつつ、もう片方の手でルメイの体をポンポンと叩き始めた。コインの音でもしたら取り上げる積もりなのだ。ルメイは掠れた声で、よせよオケラだぜ? などとおどけて見せている。それを見たとたん、血が熱くなって歯を食いしばった。こんな下衆野郎に馬鹿にされる謂れはない。


 スラムで最後に頼りになるのは武装とそれを扱う腕前だ。ここにはなんの法も及ばない。黒頭巾の三人が面白半分に俺とルメイを斬り捨てて意気揚々と狩場へ出発するとしても何ら不思議はない。俺の防具はあてにならないが、小競り合いにはお誂え向きのバスタードソードを佩いている。剣先を地面に置けば返しのついた柄頭がへその辺りにくる。刀身に刃をつけていないフォルトが幅広にとってあり、素手で握って力強く取りまわすことが出来る。こいつらが小手をつけていないのは幸いだ。棍棒をやたらに振り回すコボルトが相手ならともかく、俺とやりあうには隙だらけの防具だ。


 ルメイから一歩離れていつでも抜刀できるように身構えた。右手を柄に添えれば明らかな戦意を示すので、遠慮して左手で鞘を傾けるだけに留める。赤髪の男が気配を察して睨み付けてきた。
「お前はこの辺じゃ見かけねえツラだな」
 赤髪はルメイから手を放してこちらに向かってきた。愚かにも軽々しく短刀を抜いて切先をこちらに向けてくる。それで脅す積もりなのだろう。こういった連中が、相手の頬を刃で撫でながら雑言を浴びせている場面を見たことがある。俺はさらに半歩さがって遠慮なくバスタードソードを抜いた。刀身が安物の鞘を通るギャリンという音がすると赤髪は立ち止まり、遠巻きにしていた二人の黒頭巾達も思わず剣の柄を握った。剣を体に引きつけて左手でフォルトを握る。







「よせ! 剣を納めろ!」
 ルメイが大声を出した。だがそれは出来ない相談だ。俺は眉ひとつ動かさず、どこも注視せず、遠くの山を見るようにして黒頭巾の三人を視野に入れる。
「てめえ抜きやがったな」
 赤髪は自分が先に抜いたくせに動揺している。こういう対応には慣れていないらしい。抜いてしまったのは刃渡りの短い短刀で、明らかに不利である。しかしそれを納めて片手剣を抜き直すのはさすがに格好が悪い。引くに引けずに困惑しているところへ、連れの男達が声をかけた。
「宿屋の目の前だぞ、ムンチ」
 二人とも分別があるようで、剣は抜いていない。
「待ち合わせに遅れるぞ」
 ムンチと呼ばれた男が短刀を納めてぺっと唾を吐いた。俺も立回りをしたいわけではないので間合いは保ちつつも納刀する。ムンチは立ち去るかと思いきやこちらの顔を覗き込むようにして歩を詰めてきた。剣の間合いから短刀の間合いに変わって肌に粟が立つが、ムンチは因縁をつけたいだけのようだ。
「俺は早業のムンチだ。お前にも名前はあるのか?」
 思わずその歪んだ口に拳を叩き込みたくなる。
「俺は馬小屋のセネカだ。覚えておくといい」
 ムンチはせせら笑って連れの男達の後を追った。しかし途中で立ち止まり、こちらを振り返った。
「狩場では気をつけることだな」
 ムンチは首に巻いた黒いスカーフの位置をくいっと直して見せた。


 俺が緊張を解かずにいるのでルメイが寄って来て押し下げてきた。黒頭巾の三人は歩き去って行く。ルメイは俺の肩に両手を乗せて抑えながら非難めいた顔で見ている。
「事を荒立てないように気をつけてくれよ」
 詰めていた息を吐いて緊張を解くと、頭に血が上っていたことに気づく。仮に連中を斬り伏せたとして、その後どうするのか。ゴメリー一味から追っ手がかかるだろう。もはやここには居られなくなるが、どこにも行くあてはない。
「すまない、ルメイ。ついかっとなった」
 ルメイは俺から手を離して肩を落とした。
「もういいさ。無駄な時間をくった。先を急ごう」
 黒頭巾たちの姿が見えなくなるまで待って、俺たちはまた歩き始めた。


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