窃盗兵セネカ・ハルバート。
 犯した罪は国庫からの窃盗。生死を問わず捕えた者には銀貨三枚が与えられる。なお剣の扱いに慣れているので賞金稼ぎの諸君は注意されたし、との注が振られている。幸いにも似顔絵は全く似ていない。この似顔絵を見た者は、痩せ衰えた老兵を思い描くだろう。俺はこんなに細面ではないし、額にも目尻にも目立った皺は寄っていない筈だ。昔は似顔絵のような短髪にしていたが、今では伸ばした髪を後ろ手に束ねて剣でねじ切っているだけだ。その小さな手配書の前をさっと通り過ぎる。前を歩いていたルメイとフィアがそれを目にした様子はない。


 自分の手配書を初めて見た時、俺はその場に呆然と立ち尽くした。体の中身が足の裏からすべて地面に流れ落ちていくようであった。それからこんな風に突っ立っていたらいけないと思ってすぐにその場を後にした。気になって暫くしてから改めて見に戻ったが、周りを歩いている連中が手配書に気づいて俺を一斉に指差すような気がして落ち着かなかった。勿論こんな絵で俺が見分けられる筈がない。しかし俺はもう、本名では何も出来ないことになった。冒険者教会に登録することも、家を借りることも、結婚することも、町営の墓地に埋葬してもらうことも出来なくなった。それどころか、誰かが俺を殺して賞金を貰おうとするのを止めることすら出来ない。


 よりによって泥棒呼ばわりとは。手配されたということは、実家や生まれ育った村にも知らせが届いていることだろう。身を切られるような恥辱を感じる。俺が兵士になることを最後まで許さなかった親父が、吐き捨てるように「それ見たことか」と怒鳴る声が聞こえてくる。農園を手伝わずに家を飛び出した俺を親父は勘当してしまったが、手配される身となっては詫びを入れることも釈明することも出来なくなった。俺はいつか騎士の爵位を得て故郷に帰るのを夢見ていたが、もはやその道は絶たれた。一生を棒に振ってしまったのだ。


 しかし俺が犯した罪は窃盗ではない。理不尽な命令に背いて離脱したことは認める。ということは、脱走兵だ。あまり変わり映えはしないな、と苦笑する。しかも離脱した時、わざわざ装備を返上することはしなかった。近衛師団の装備をいつまでも身に着けていたら目立つので、それは逃亡中に売り払ってしまったが、言い方を変えれば窃盗にあたるのだろう。つまり、何と言われようと文句は言えない、ということだ。それにしても、この通り名の付け方と、似顔絵の描き方に悪意を感じる。この手配書は俺に語りかけてくる。


 堂々と名乗れなくなった哀れな一兵卒よ
 せいぜい世の中の底辺を這いずり回って生きながらえるが良い
 追い剥ぎでも山賊にでも成り果てて
 人目におびえながら、ゆっくりと滅びるがいい
 そうして力ある者に靡かなかったことを
 一生かけて後悔するがいい


 寝ても覚めても、その呪いの声が地の底から響いてくる。いっときの激情で我を通した哀れな男の末路を、俺は死ぬまで演じなければならない。こういう嫌がらせをするのが誰なのか、思い当たる節がある。それを思うたびに復讐心に火がつくが、怒りに身を任せる癖を慎まねばならない。そうでなくとも、今のような暮らしを長続きさせるのは難しい。近いうちに俺は八方塞がりになって自滅するだろう。出来ることならルメイやフィアに迷惑をかけないようにしたいものだ。大の男がその程度のことしか出来ないとは、実に悔しい。悔しいが、仕方ない。諦めて毎日を積み上げる以外、俺に何が出来るというのか。


 行列が少しずつ進んでいき、やっとクォパティ寺院の前に辿りついた。
「温かいうちにどうぞ」
 寺院の僧侶が具を包んだ種なしパンを手渡しで配っている。ルメイとフィアが混雑する場から離れながら、さっそくそれを口にしている。俺も焼き立てのパンを受け取って鼻につけ、息を吸い込んだ。温かくてうまそうな匂いがする。俺は自分のどうしようもない人生に思いをはせている所だったので、その匂いと手の平に伝わるぬくもりに、おもわず涙ぐみそうになった。こんな風に温かい物を食える日は、あとどれくらいあるのだろうか。







「うまいな」口をもぐもぐと動かしながらルメイが言う。
「意外といけるね」フィアも美味しそうに食べている。
 俺は何気ない風を装ってパンをかじった。かじったところからこぼれそうになる具を慌てて口におさめる。挽肉のわずかな脂に、塩茹でした豆のほのかな甘みと苦みが混じっていい味がする。薄いパン生地の焼き具合もいい。これはいいおやつになった。にこにこしながらウサギのように口を動かしているルメイとフィアを見ながら、これはこれで幸福な瞬間なのではないか、と思う。往来の激しい噴水広場で、背嚢を背負いながら立ち食いしているとしても、気の合う仲間となら幸せな気持ちになれる。


 普段あまり通らない路地を通って五番街へ向かう。
 旧市街は港に近く、今では街の中心となった二番街などよりは少し低い土地にある。石畳の階段を下りながら建物を幾つか回り込むと、眼下に軒の低い街並みがひろがった。同じ砂岩煉瓦で建てられているが、その建物は少し小さめで、風雨にさらされて褐色に変色している。椰子に似た塩気に強い植物があちこちに生えていて、屋根に緑の葉をしなだれかけている。二番街の高い建物に遮られて見えなかった風車も、港との境に二基並んでいるのが見えた。


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