どうも俺の出番はなさそうである。
「それじゃ寺院に行って場所取りの札を貰ってくるよ」
「おお、すまんね」ルメイはちょうど三つ目のカメオブローチを品定めしているところで、どうやらそれは年代物を真似て昨日今日彫られた物らしく、衝動買いをしたフィアを悔しがらせていた。
「ありがとう、セネカ。場所としては教会の辺りが一番人出が多いのだけど、それよりひとつ先あたりがいいと思う」
 フィアは露店を出すのが初めてではないらしく、詳しい。
「あいよ。いい場所を取ってくる」
 かさばる革鎧を脱ぎ、重い荷物を置いて、ぶらりと街に出かけるのは気分が良い。祭の日となればなおさらだ。キルティングの布服の脇を叩いてそこにちゃんと財布が入っているのを確かめる。コインの擦れるチャリチャリといういい音がする。
「夕飯までには帰ってくる」
 部屋を出る時、後ろからルメイが「酒はだめだぞ」と言うのが聞こえた。階段を下りながら思わずほくそ笑む。お前ほど呑兵衛じゃないって。







 宿から出て、人通りの多い欅の並木を歩く。ルメイとフィアから見えないところまで来て、左の肩をぐるっと回してみた。やはり腕を高く上げると肩に痛みが走る。さっき床にかがんで罠を編んでいる時、思わず顔をしかめてしまいそうになった。数日たてばすっかり治るのだと思う。今は放っておくしかない。
 並木の先に尖塔をもつ教会が見えてきた。もともとはエルフやポークルたちの神様を祀るために建てられたものであったが、クォパティ寺院の分院となって久しい。教会の敷地には低い垣がめぐらせてあり、その内側には見事な芝生がひろがっている。並木からの引き込み道を暫く進むと人間の背丈の数倍はある巨大な門扉があり、今はそれが解放されて大勢の人が出入りしている。見れば葡萄酒の大樽を転がしている人足がいて、さてはあれが振る舞い酒だなと思う。教会の中からは脚のついた篝火の台が次々と運び出されている。いよいよ夜市が始まるのだ。


 噴水広場まで来ると、クォパティ寺院の前に行列が出来ていた。炊き出しの釜やテーブルはもう片付けられてしまっている。行列の最後尾に並ぶと、やはり夜市に露店を出そうとしている人たちの話し声が聞こえてきた。いい加減くたびれた革鎧を身に着けた中年の冒険者が、隣に並んでいる男と世間話をしていたと思ったら、壁の手配書を見て急に口調を変えた。
「畜生、こいつらだ」
 二人の男が立ち止まって壁の貼り紙を見ている。
「サッコとオロンゾか。金貨三百枚だとよ」







 サッコとオロンゾは山賊の一味で、狩場をうろついて冒険者を襲う人狩りとして恐れられている。スラムで見かけたことがあるが、一度見たら忘れられない一種異様な風体をしている。禿頭に口ひげをたくわえた筋肉の塊のように見えるサッコは、人の首をひと太刀に斬り落とすような大振りの剣を背に担いでいた。オロンゾは背の高い蟷螂のような男で、片手剣を無茶苦茶に振り回す悪剣使いだという。


「三月前、カオカで会った。こっちは六人だったのに、不意打ちで二人やられた。逃げるところを追いつかれてさらに一人やられた。サッコは盾を構えてる相手をなぎ倒す馬鹿力だし、オロンゾは気色悪いほど足が速い」
「手に負えんな」
 冒険者らしい二人の男は嫌悪も露わな声音である。
「大急ぎで加勢を呼んで、戻った時は三人とも止めを刺されてた。身ぐるみ剥がされてたよ。連中はでっかい頭陀袋を持ってて、鎧でも剣でも何でも持って行っちまう」
「おおかたスラムで売り払うのだろうよ」
 男たちは恨みと口惜しさのこもる渋い顔をしてじっと手配書を睨み付けている。この手配書の似顔絵は二人ともよく似ている。
「いつかこういう手配書の連中をまとめてたたき殺してやりたいもんだ」
 貼り紙を見ている男が吐き捨てるように言った。


 自分の手配書を破り捨てたい衝動にかられる。
 しかしそれは国中の要所に貼り出されているのだから意味がない。これを破ってもまた上から貼り直されるだけだ。しかも手配書を破るのはそれ自体が罪になる。見咎められでもしたら、自分で自分の手配書を破り捨てようとしたことがばれてしまうかもしれない。
 俺が手配されたのは近衛師団を離脱してから月日が経ってからで、すでにセネカと名乗ってこの界隈で狩りを始めていた。いまさら名前を変えるわけにはいかない。からかい半分に、手配されてるだろう? とパーティーメンバーから声をかけられたことがあるが、その場はなんとか誤魔化した。あの手配書はどうにも親父に似ている、と答えたらどっと笑われたのだ。内心は冷や汗ものだったのだが。


 自分がお尋ね者であることを、ルメイとフィアに隠していることがやましい。特にルメイには何年も隠し通してきた。いっそ吐露すれば気が楽になるのかもしれない。真相を話したら二人は俺を信じてくれるだろうか。しかし、お尋ね者の言い訳などというものはお笑い種と思う。そんな話をまともに聞いていたら、この世から手配書などなくなってしまうだろう。
 行列は寺院の入口にさしかかり、櫓の上に吊るされたニルダの火が見える。不思議な濃淡を持つ光が辺りを赤く照らしている。それは太陽の光とも、松明の光ともちがう。不思議なものがあるものだ。人の行き来する噴水広場にさす陽の光がわずかに翳り、昼下がりも過ぎた。俺の身の上はいつか自然に話す時が来るかもしれない。それまでは隠しておこう。


 いよいよ寺院の中に入ると、入口を過ぎた辺りにいる僧侶がござを両手で広げて持って、並んでいる人たちに声をかけている。
「五番街の夜市に参加される方は、このようなござを自分で用意してください。順番が来たら露店を開きたい番地を係の者に伝えて、当院が用意した木札をお受け取りください。広げたござの上には、必ず木札を置いておいてくださいね」
 僧侶がござを持ち上げてよく見えるように支えているその背後に、あまり上手とは言えない旧市街の地図を描いた貼り紙がしてあって、そこに番地が書かれている。俺は番地の目星をつけた。木札を交換している受付から漏れ聞くところによると、やはり教会の付近に人気があるようだ。


 僧侶がござを下して説明を続ける。
「お一人様ござ一枚の広さでお願いしますよ」
 フィアが俺に用心棒をして欲しいと言っていたのを思い出した。売り物を置く場所と、売り子のフィアと、用心棒の俺。ござ一枚ではどうにも狭いという気がしてくる。
「もし二枚つなげて場所を取りたい方は、こちらにある当院の有難いお守りを銅一枚でご購入頂きます」
 僧侶がテーブルに並べてある版画を手で示した。手のひらに収まるほどの大きさの紙に、イルファーロの守護神である地龍バロウバロウの姿が刷られている。金を取るのかと小さく唸る人がいる。俺もわざわざ買ったことはないが、験をかつぐパーティーメンバーが持っているのを見たことはある。
「やくざ坊主だ」
 行列の中の一人がからかうと、僧侶がすました顔で答える。
「お布施です」


 けっきょく俺は教会に隣接する番地の木札を二枚もらった。クォパティ寺院の有難いお守りも買わせてもらった。その足で午前中に訪れた道具屋に寄り、ござをもう一枚買い足す。これで用事も済んだかと思って気が軽くなったところへ、お茶の良い香りが鼻先をかすめた。薬草を売る店の前に即席のテーブルを設けて、温めた薬湯を一杯幾らで飲ませている。庇の下に傾き始めた陽光が差し込んで、お茶をすすりながら談笑する旅人たちの姿が楽しそうである。
「いい匂いだね。これは薬湯だろう? 打ち身に効果のある奴はあるかい?」
 店番の男に話しかけると、まだ注文もしていないのに手元の笊から薬草を調合し始めた。
「打ち身、捻挫、なんでもござれ。飲めば楽になるよ」
「それは有難い。一杯もらおうか」
「毎度あり」
 もらおうか、と言うあたりではもう湯が注がれている。俺は丸めたござを脇に置いて、値札にある通り銅一枚を払って隅っこの椅子に座った。目の前に置かれたコップに薬缶から緑色の薬湯がたっぷりと注がれる。湯気のたつコップを、フィアがそうしていたように両手で包む。これで肩の痛みがいくらかでも楽になってくれたらいいのだが。


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