「近衛の検めである! 城門を開けよ!」
 一区画先の教会の辺りから、役者の声が時折聞こえてくる。この台詞は近衛兵を従えたバイロン卿が、デルティス城に踏み込む場面であろう。劇の中でデルティス公は自分の城に落ちのびていて、城の門を固く閉ざしている。押し問答の末、近衛兵は大槌で城門を壊して城内になだれ込む。抜身の剣をかざしたバイロン卿が謀反人を捕えよと叫びながら中庭に入ると、デルティス公の二人の息子が剣を抜いて反撃してくる。近衛との大立ち回りの末、二人は取り押さえられ、その隙にデルティス公は裏門から逃げのびる。勇壮な場面で劇の見どころである。


 俺はその場にいたから知っているが、そんな派手な立ち回りは無かった。近衛の本体五十人は城下町の物陰に隠れていて、そのうちの一人が閉ざされた城門の前に立って回廊の歩哨に声をかけただけだ。王の使者として参ったので城主に取り次ぎ願いたい、と。門はすぐさま開かれ、隠れていた近衛兵が飛び出して行って門を確保した。正式に装備を整えた近衛の一団が全力で走るのを初めて見た。甲冑の擦れ合う音がその場に響き渡った。他国との戦争は久しくなく、兵士の出番は山賊討伐とモンスター退治ばかりとなり、王を守る近衛の出る幕はなくなっていたのだ。


 バイロン卿は俺たち近衛に守られて最後を進み、武装はしていなかった。ただし手回しだけは素晴らしい男で、近衛兵はバイロン卿から身柄を押さえるべき人物の名を告げられていた。デルティス公本人、戦場で常に副将をつとめたデルティス城の城代ブルーノ、懐刀と呼ばれた会計役のクレメンス、ディメント公の長男カール、次男ヴィクトル、長女ソフィア、さらには執事オイゲンの名まであがっていた。今から思えば怒りが込み上げてくるが、近衛はバイロン卿の政争のお先棒を担がされたのだ。


 近衛隊と共にバイロン卿が城に乗り込むと、入口で待っていたのは城代のブルーノと長男カールであった。二人とも軽装ながら武装しており、バイロン卿を迎え入れると開口一番、これからクシャーフの丘に出向くと伝えてきた。リヒテンシュタイン家はひとつの勢力であり、軍閥であるから、閲兵式の変事は既に城にも知らされていたのだ。ブルーノは、王に万一のことがあってはならんので馳せ参じる積り、と言う。そう言う相手に冷や水を浴びせるようにバイロン卿が、デルティス公は大逆の罪を犯して身柄を拘束されたが今は逃亡中で、そなたらも自らの嫌疑を宮廷裁判で晴らさねばならない、と告げた。


 俺はこの時、噂の人、デルティス公の長男カールという男を初めて見た。デルティス公自身は単なる外戚に過ぎないが、デルティス公の長男カール・ステファノ・フォン・リヒテンシュタインは王の姉の子にあたる。ディメント王が病弱で跡継ぎがいないため、カールはもっとも王位に近しい男と噂されていた。どんな奴か自然と興味が湧く。カールは青年と呼ぶべき年若い男で、面長の顔に金色の髪を伸ばし、その目には晴朗というべき色が宿っていた。バイロン卿が二人に向かって連行すると告げた時、カールは腰に吊るしていた剣を外して鞘を持ち、柄を取れと言う具合に近衛兵に差しだした。その時に言った言葉が、やましい所は一点もない、好きにするがいい、であった。その潔い態度に気後れした近衛に、バイロン卿はそれ今だと声をかけた。まるで衣装を変えるかのように静かに、カールは縄目をあまんじて受けた。バイロン卿は白い粉をはたいた鬘をかぶり、首に大きな襞のついたラフを付け、宮廷から抜け出してきたかのような格好をしていて、顔には狡猾がにじみ出ていた。その対比が今でも思い出される。


 城代のブルーノは四十を過ぎた厳めしい大男で、剣こそ抜かなかったが抵抗した。背後の鉄格子を閉め、その鍵を格子の向こうに投げて、警告を発したのだ。
「オイゲン! 聞いているなら触れて回れ! リヒテンシュタイン家に仇なすバイロンの手先たちが来ている。ヴィクトル様に逃げるよう伝えるのだ」
 バイロン卿の命令でブルーノは近衛兵に組み伏せられた。ブルーノは剛の者として知られていたので剣を抜いたら修羅場になったと思われるが、近衛兵の鎧には王家の紋章が入っている。ブルーノはされるに任せて後ろ手に縛られた。
「いかん。城の裏手にも人をやって誰も逃がすな」
 バイロン卿が近衛兵の半数を裏門に回した。堀を回りこむのに時間をくったので到着が遅れたが、このバイロン卿の機転で次男ヴィクトルも取り押さえられた。ただしそれ以外の主だった者たちは既に城下町に逃れた後であった。


 近衛の強襲により、バイロン卿はデルティス公の二人の子息と城代を捕えて王城の地下牢に連行した。デルティス公に嫁いだ王の実姉ジョアンヌは塔に保護されたというが、これは体のいい幽閉である。さすがに王の親族には手が出せなかったということだろう。結局デルティス公本人は城内で見つからなかったが、現在に至るまで失踪中ということになっている。強襲の日にバイロン卿の手から逃れたデルティス公の娘ソフィア、会計係のクレメンス、執事オイゲンなども反乱の徒として追手がかけられた。


 デルティス公の子息、カールとヴィクトルは秘密裏に行われた宮廷裁判で死刑を言い渡され、王都の英雄広場で公開処刑された。デルティス城の城代ブルーノは裁判中に病死したとされているが、毒を盛られたとの噂もある。バイロンは王国の中枢たる薬師卿と呼ばれる職に就いており、侍従、侍医、近衛、宮廷裁判などを掌握し、王を暗殺や毒殺から守る役目を果たしている。当然ながら、古今東西の毒を熟知しているのだ。領主のいなくなったデルティスの領地は召し上げられ、今ではバイロン卿が王の代理人として治めている。栄華を極めたリヒテンシュタイン家の命運は、ここに尽きたのだ。


 遠い日の血なまぐさい出来事はともかくとして、嬉しいことに露店の品が売れたようだ。若い男女連れが暫くフィアと話し込んでいたが、安手の方のブローチと瑪瑙石を幾つか手にして代金を支払っている。ちゃんとした客で、用心棒の出番はない。客のうち男の方が、今買ったばかりのブローチを連れの女の胸元に付けて微笑んでいる。仲睦まじいことだ。客が去ると、フィアが振り返って小さな拳を見せた。俺も軽く拳を突き出した。これでとりあえず、夜市に参加した甲斐はあったというものだ。


「お客さんを連れて来たよ」
 幾らか鼻を赤くしたルメイが露店に戻ってきた。その隣には一人の男が立っている。年の頃は四十手前といったところであろうか、青いコートで身を包んでいるが、その腹がでっぷりと出ているのは隠しようがない。円柱に幅広のつばを持つ黒いトップハットを被っていて、コートの前が開いて金のボタンがついたベストが見える。左右に分かれて巻き上がるような立派な口髭をたくわえていて、顎髭も豊かに伸びている。これは見た瞬間に金持ちと判るような御仁だ。
「ルメイ殿の古い知り合いで、グリムと申します。久しぶりに会って意気投合したところですが、ルメイ殿が露店を開いているとのことで、様子を見に参りました」
「いらっしゃいませ」と気圧され気味にフィアが頭を下げた。
 グリムと名乗った男も胸元を押さえて会釈をした。その指に大きな宝石を嵌めた指輪が見える。俺はルメイがしくじったと思った。こんな目の肥えていそうな本物の金持ちが、フィアの出している品を喜ぶ筈がない。しかしルメイは俺とフィアに目くばせをして自分で説明を始めた。


「これは申し訳ない、品物はあらかた売れてしまったようだ」
 ルメイが並べられている売り物を見下ろして言った。あらかた売れてしまったどころか、ほとんど売れ残っているのだが、俺とフィアは敢えて黙っていた。
「なんと残念な。それにしてもルメイ殿の出す店は、露店と言えど売り子と用心棒まで置いているのですな」
 グリムが相好を崩して俺たちに握手を求め、よろしくと言ってくる。俺は立ち上がって握手にこたえた。グリムは特にフィアの手を両手で包み込み、にっこりと笑っている。
「ところで、確かオオルリコガネの甲羅を持ってきていたよね」
 ルメイがフィアに声をかけた。フィアは売り子らしくはいと返事をして、かためて置いていた荷物の中から念のために持参した虫の甲羅を二枚取り出して来た。
「グリム殿に見てもらおうと思ったのは、こちらの品です」
 ルメイが甲羅を手渡すと、受け取ったグリムはどれどれと言って燭台の光にかざして見ている。そのうちの片方はルメイが瑕疵があると言った品で、グリムはすぐにフィアに返してしまった。そしてもう一枚の方を唸りながら見ている。


「実は短剣を一本新調しようと思っているのですが、象嵌細工に使う素材がなかなか見つからずに困っていたところでね。これはなかなかの品ですな」
 グリムが身を屈して燭台の近くで甲羅を眺めながら言う。
「本来なら日の光で見たいところだが、ルメイ殿の品なら間違いはなかろうて。これは銀貨十枚の値打ちはありそうですな」
 ルメイが小さく咳払いをした。
「この街にも象嵌細工を扱う店がありましてね。先日もそちらで何枚か仕入れてもらったところです。その品は本当に価値の判る方に使ってもらいたくて特別に取り置きした品なのですな」ルメイの口調は明らかに勿体ぶっている。
「なるほど。それでは銀貨十五枚で譲って頂けないだろうか」
 ルメイはその問いに返事をせず、グリム殿が作られる宝剣はおそらく見事なものになるでありましょうな、などと独り言を言っている。グリムは笑ってルメイの背中を叩いた。
「ルメイ殿は相変わらずだな。よし、銀貨二十枚出そう。それでどうかな」
「売りましょう。日の光の下なら、その価値が確かめられる筈です」
 俺とフィアはほっと胸をなでおろした。そんなに吊り上げた挙句に「いらない」と言われたらどうするのかと心配でならなかったのだ。俺なら銀貨十枚と言われた瞬間に大喜びで売っていただろう。


 ルメイはグリムを古い知り合いと言ったが、一体どこでこのような金持ちと知り合うのか。ルメイは昨夜、馬小屋で寝泊まりした身ではないか。グリムは取りあえず手付として銀貨二枚を支払い、品物は後で取りに寄越させるのでその時に残金を支払うと言っている。人を使っている身なのだ。ルメイは手付の受取りを書いてグリムに渡した。二人はさらに意気投合して、それではお祝いに酒を飲もうなどと言い合っている。


 グリムが隣接する串焼の店に出向いて暫く話をし、手ぶらで帰って来た。体格のいい二人がフィアの露店の隅に並んで椅子に座り、懐かしそうに話をしている。何を話しているのか耳を澄ませると、どうやら商売の話のようだ。やがて出店の者が使い走りのようにやって来て、ルメイとグリムに葡萄酒の入ったカップと串焼きを手渡した。グリムが俺とフィアの方を手で示すと、使いの者が俺たちにも一本ずつ焼肉の串を手渡してきた。フィアが串を受け取って、ありがとうございますとグリムに頭を下げた。俺も隣に並んで一緒に頭を下げる。グリムはうんうんと頷いてからルメイとの話に戻っていった。


 フィアがルメイたちに背を向け、俺にむかって眉を吊り上げて見せた。フィアはもう食べ物はいらないようで、そっと串を手渡してくる。俺は両手に串を持ったまま露店から後ずさった。夕飯を食ったばかりというのに、アブルールの神は俺にどれだけ物を食わせようというのか。だが匂いにつられて肉をかじると、甘辛いタレと脂身が混じりあって実にうまい。ルメイとグリムが昔話に花を咲かせ、フィアが接客をしているのを尻目に、俺は二本の串をぺろりと平らげてしまった。指についた脂をどうしたものか思案するが、クォパティ寺院でもらった地龍バロウバロウのお守りで拭うのも気が引けるので、キルティング服の裾でぬぐってしまった。


 フィアと並んで立ちながら客が来るのを待った。これだけ人がいると用心棒などは必要なさそうで、俺はせいぜい愛想のよい顔を作った。椅子に座ったルメイとグリムは王都アイトックスの話などをしているが、細かいところに話題がさしかかるとルメイが話を逸らせている様子だ。隣にいるフィアは満足そうな顔をしている。何しろ銀貨二十枚を売り上げたところで、もはや瑪瑙石をちまちまと売っている場合ではないのかもしれないが、お祭に参加しているのが楽しい。


 グリムが立ち上がってお辞儀を始めた。
「長いこと場所を借りてすみませんでした。そろそろお邪魔します」
 俺たちは並んで送り出すことにした。その段になってグリムが用心棒の俺を少しだけ借りたいと言い出した。
「実はちょっとした場がありましてな」
 グリムが賽子を振る手真似をした。フィアはぽかんとそれを眺め、俺とルメイはなるほどと頷いた。どこかに賭場があるのだ。
「怪しい場所ではないが、夜道が不安でね」
 グリムが赤い顔をして顎髭を撫でている。古い知り合いの頼みではあるが、ルメイが俺に気を使って言う。
「しかしセネカには露店の方を任せているしなあ」
「そうでしたか。それでは仕方ない」とグリムが引き下がる。


 話が立ち消えになりそうになったところへ、俺が言葉を挟んだ。
「俺は構わんよ。物騒なこともなさそうだから露店は大丈夫と思う」
 ルメイが振り返って俺を見た。
「そうか。そしたら露店には俺がついてるようにするから、少しの間、グリム殿に付き合ってもらえるかな」
 ルメイに言われて快諾する。こんなところでずっと店番をしていたら退屈してしまう。フィアは心配そうに俺を見ていたが、何かに気づいて荷物を取りに行った。フィアはすぐに戻ってきて、細長い麻袋を手渡してくる。そっと中を覗くと短剣の柄が見えた。フィアがひとつ大きく頷いて俺を見る。これは有難い。宿に戻って自分の剣を取ってくることも考えたが、あのバスタードソードは街なかで持ち歩くには大き過ぎる。フィアの短剣なら目立たずに済むだろう。俺は袋を肩に担いでフィアの細い肩をぽんぽんと叩き、グリムの後について歩き始めた。


「付き合わせてしまって申し訳ない」
 往来で立ち止まったグリムが頭を下げてくる。
「いや、退屈しのぎにちょうどいい」
「そう言ってもらえたら助かります。ちょっとここで待っていてもらえますかな」
 グリムはそう言い残して人の流れに溶け込んで行った。ちょうど劇が上演されている教会の前あたりで、並木道の人通りは渋滞している。隣の区画との境に大きめの篝火が焚かれていて、グリムはこれを目印に戻る積りなのだろう。わずかに背伸びをすれば、劇が終幕を迎えつつあるのが見えた。


 呪いの森の奥深くに逃げて追手を巻いたデルティス公フランツは、自分自身も道に迷い、昼なお暗い森の中で飢えと渇きに苦しむ。不気味な泉の濁り水を飲み、名も知らぬ木の実や茸を頬張り、物音におびえ、木の幹に寄りかかってまどろめば悪夢に目を覚ます。ふらふらになっても歩き続けるフランツはついに気狂いとなり、誰もいない夜の森で月に向かって吠えるように叫び始める。篝火に照らされた妖しげな森の書割の真ん中で、ぼろを着た役者が夜空に向かって大きく両手をひろげた。


 ここがどこなのか俺は知らない
 だが判っていた試しがあるだろうか
 生まれてこのかた、迷い続けてきたのだ
 うるさく話しかけてくる森の精霊たちよ
 俺はもうすぐ死ぬだろう
 だがそれも小気味よいくらいだ
 

 惜しむらくはカール
 お前を失ったことだ
 そしてヴィクトルまでも
 我が一族はついえたが
 ただ一つの望み、ソフィアがいる
 俺はもう何も要らぬ
 呪いの森の土となり
 ただ一輪の花を
 この胸の底に描くのみ


 フランツ役の男が月に語りかけていたが、ついに地に伏せて動かなくなった。劇とはいえその壮絶な最期に辺りは静まり返った。静けさの中、楽団が立ち上がって終幕の楽曲「帰らぬ持ち主を待つ剣の物語」を演奏し始めた。実際に目に見えているのは貧しい書割と暗がりに倒れた役者のみだが、そのメロディを聴いているうちに、鍛冶屋が槌を振るう音が遠くから響いてきて、果てしない荒野を豆粒のような冒険者が連れだって歩いていく景色が思い浮かんでくる。それはやがて俺たち三人のパーティーに重なって、ルメイが黙ったまま背嚢を担ぎ直し、歩をゆるめないフィアが振り向いて遠く地平に目をやる仕草まで見えてくる。
 演奏がやむと、はじめ静かに、やがて割れるような拍手が送られた。


→つづき

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