戻ってくるグリムが黒頭巾を連れている。
 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。お祭りの日に賭場が開かれるとしたら、胴元は黒鹿亭の親分に決まっているではないか。劇の出し物が終わって後片付けが始まると、教会の前に集まっていた人たちは潮が引くように散り始めた。その乱れた人の流れを縫ってまっすぐグリムが向かってくる。グリムの隣にいる男は顔こそ知らないが、焦茶色のコートを羽織って頭に黒い頭巾を巻いている。一瞬、回れ右をして帰ろうかと思ったが、この期に及んでそういう訳にもいくまい。


「お待たせして申し訳ない。こちらの方が案内してくれるそうだ」
 ほろ酔い顔のグリムが脇に立つ男を紹介すると、年嵩の黒頭巾の男が俺にも頭をさげた。
「ささ、旦那方、どうぞこちらへ」
 猫撫で声で旦那方、ときた。
「今夜は大繁盛らしいな」
「そりゃもう」
 黒頭巾の男は笑みを浮かべてみせたが、俺が真顔のままでいるので首を傾げてグリムを見た。グリムは手のひらを見せて、さあね、という仕草をした。


 黒頭巾の男は並木道を渡って建物の脇を抜け、薄暗い路地の方へ回り込んで行く。てっきり夕方に見た二番街に近い場所にある天幕に案内されるのかと思ったが、違うようだ。あの場所ではさすがに目立ち過ぎるか。それにしても暗い方へ暗い方へと進んで行くのでさすがの俺も心細くなってくる。黒頭巾が手にしたカンテラの明かりだけが頼りで、はぐれたら宿まで戻るのに苦労しそうだ。ぼうっと浮かぶ微かな光に、人通りの少ない住宅街が照らし出されている。


 何のことはない、いつも通る湿地とは別の道でスラムに向かっている。イルファーロとスラムを隔てる小高い丘を登り始めていて、もはや衛兵の手が届かない場所に入った。ここから先は自己責任という奴だ。俺は先を行く二人からわざと遅れをとって、フィアから借りた短剣を袋から出して検めた。こんな物を本当に使うとは思っていなかったが、この雲行きだと判らない。とりあえず腰に巻いた剣帯に固定してから、静かに短剣を抜いてみた。歩きながら軽く振ってみると、バランスはいい。長さも十分ある。小手を噛んでずらし、刀身を素手で握ってみる。これは断面が三角になった刺突専用の頑丈な短剣だ。余程のことがなければ折れない。斬撃はできないが、これなら十分にやれる。剣を納めて小走りに二人を追う。


 林の木々の隙間から白い建物が見えてきた。
 丘の上に廃墟と化した古い時代の寺院があったのを思い出した。壁は崩れ、ところどころ天井も抜けていたが、誰かが修理したらしく、応急の手当てがしてある。いや、誰かではない、黒鹿亭の連中がやったのに決まっている。寺院の入口には松明が置かれ、頂点が丸みを帯びた異国情緒のある開口部の辺りを明るく照らしている。そこにやはり黒い頭巾を被った男がいて、こちらへ歩いて来る。俺とグリムを案内した年嵩の男が「二人だ」と告げて素っ気なく街へ帰って行く。賭場の門番は誰か付いて来ていないか背伸びをして確かめてから、俺たちに向かって中へ入れと手招きをした。なるほどこういう仕組みか。街なかの天幕を出入りしていた黒頭巾たちは客引きだったのだ。


 入口の先には白漆喰の壁に松明が何本もかけてある廊下があった。暗闇を抜けてきたので眩しい。壁際にきつい目をした女が一人で座っている。胸元を大きくはだけた薄桃色の繻子のドレスを着て、襟ぐりにも袖にも大きめのフリルがついている。これは黒鹿亭の酒場にいた女ではあるまいか。脇には小さなテーブルが置いてあり、そこに葡萄酒の瓶と飲みかけのグラスがある。なかば口が開いた帆布の袋に銅貨がぎっしり入っているのが見える。突き当りの扉の向こうからは、がやがやと喧噪が聴こえている。


「寺銭銅一枚。手前の部屋は銅貨で遊べるよ。奥は銀ね」
 上目づかいに掠れた声で女が言う。女が伸ばしている手の中に、グリムが銅貨を一枚ずつ二回落とした。女が顎でくいっと奥の扉を示してから、グリムの体越しに俺を睨んだ。
「お兄さん、腰に吊るしたものは置いてってくれるかい」
 腰に吊るしたものを置いていったら用心棒にならない。黒頭巾の連中は背中に短剣を忍ばせているのだ。俺は腕組みをして顎を持ち上げ、女を見返した。
「わたしの連れだ。遊ばないし、飲まない」
 グリムもこういう場に慣れている様子で物怖じしない。
「遊ばないなら帰んな」
 女は高々と足を組み直した。ドレスの裾がまくれて絹のホーズに包まれた細い脚が見える。グリムが女と俺を交互に見てから、ぐっと女に身を寄せた。
「カリームが来たと、親分さんに伝えてくれないか」
 女は胡散臭そうにグリムを見返したが、はっとして立ち上がり奥へ歩き去った。


 松明の燃えるじりじりという音だけが廊下に響いている。この男はカリーム商会の会長、カリーム・グリムバースだ。王国で五本の指に入る豪商で、俺でも名前を知っている。ずっと名前を伏せていたのだ。
「わたしはこれから独り言をいう」
 いい感じに酔っぱらっていた筈のグリムが、顎を引いて口髭を撫でながら横目でちらっと俺を見た。黒いトップハットは青いコートの脇に抱えていて、生際が額から後退した髪が手ぐしで後ろにかきあげられている。
「ルメイ殿の頼みで、わたしは本名を明かせなかった」
 なるほど、そういうことか。
「仕方なくここで名を明かしたが、ルメイ殿の耳に入らねば良いが」
「俺は何も聞かなかった」 
 狭い場所で剣を帯びている時の癖で、左手で鍔の下を握りながら一息に答えた。グリムは黙って頷いている。


 あやうく剣を抜きそうになった。
 突当りの扉がドーンと勢いよく開いて大男が入ってきたのだ。俺もグリムも決して小さな男ではないが、扉を開けて入ってきた男と比べたら頭ひとつ分はちがっている。四角い顔に大きな鼻、乱雑に伸ばした黒髪、丸々とした肩に隆々とした太い腕、見るからに荒くれ剣士の風体だが、武装はしておらず、鎧の下に着るキルトの布服の上に、じかに緑のコートを羽織っている。その巨体と眼窩のくまに見覚えがある。ゴメリー親分じきじきのおいでだ。
「これはこれはカリーム殿、ようこそおいでくださった」
「わざわざ出迎えに来ずともよろしかったのに」
 ゴメリーがわざとらしい満面の笑みを浮かべてグリムの手を両手で包み込み、腕を取り外そうとするかのように振っている。目の下の黒ずみがひどくて笑顔がかえって気味悪い。 


「ささ、どうぞこちらへ。一席設けましょう」
 ゴメリーがグリムの肩に手をまわして扉の方へ導いた。ゴメリーが振り返って俺を見る。その顔に愛想笑いがこびりついている。
「お連れの方も一緒にどうぞ」
 ゴメリーはすぐに前に向き直ったが、俺はその隈取りしたような不健康な顔を見て寒気がした。もし俺がゴメリーの友なら、本人がその気になるまで何度でも医者にかかることを勧めるだろう。あるいは悪魔祓いの司教がいいかも知れない。剣を吊るしていることは咎められなかったので、そのまま後をついて扉を潜った。


 罰当たりなことに、採光塔の真下の礼拝堂らしき広々とした部屋に、数十人の博打うちが集まっている。テーブルと椅子がブロックごとに幾つも置かれ、沢山の燭台が置かれている。カードをしているテーブルに、賽子を振って駒を動かしている者たち、ドラグーン将棋を打っている席もある。それぞれ酒を飲み、くだを巻き、大声で喚いている男もいる。そのほとんどが冒険者のなりをしている。テーブルでは派手に銅貨がやり取りされ、胸元もあらわな服を着た女たちが酒を持って注いで回っている。夜市の日にこんな場が出来ることを俺は知らなかった。


 先に立ったゴメリーが巨体を揺らしながら部屋を突っ切っていく。広間の向こう側の壁に奥に通じる扉があり、それを抜けると、小ぶりの部屋につながっている。こちらは家具調度の格式があがって飾付きの燭台や造りつけの暖炉があり、紋様が彫られた厚いテーブルと革のソファが置かれている。カード用の席が三つあるが、そのうち二つの席に先客がいた。広間の騒々しさに比べて紳士らしい男たちが言葉も静かに手持ちのカードをやり取りしている。テーブルの上には裸の銀貨が何枚も詰まれている。


 カードに興じている男たちの他に、二人の黒頭巾が壁際に歩哨よろしく立っている。客とも黒頭巾とも区別がつかない男が一人、奥にある二人掛けのソファに半ば横たわり、床に置いた葡萄酒のグラスに手を添えている。顔には鼻から上を覆う仮面を被っており、真っ赤な厚手のコートに、銀糸の刺繍が入った前身頃の長いベスト、白絹の靴下に短靴という恰好で、首から回して襟に垂らしたレースの飾りを指先でふわふわとまさぐっている。まるで貴族のような服装ではあるが、そのだらしない仕草と、中途半端に伸ばしたままの栗色の髪、仮面の下に見える皮肉っぽく歪んだ口元などから、悪党が調子に乗って仮装しているだけなのが判る。腰に吊るしたレイピアもそれを裏付けている。


 仮面をつけた給仕役の女が葡萄酒の入ったグラスが乗った銀盆を持って来た。入口にいた女のようにけばけばしい衣装はしておらず、黒味がかった紫のサテンのドレスを着ていて、胴体があっさりしているのに比べて肩が膨らんだ作りになっている。こういう服をイルファーロで見たことがないのだが、どこで売られているのだろう。もっとも俺がそんな店に顔をだすことはないだろうが。
 女が持った銀盆から、ゴメリーが太い指でグラスをかすめとってグリムに手渡した。
「こちらで少々お待ちを」
 空いたテーブルにグリムを座らせておいて、ゴメリーはさっとばかりにソファの所へ行き、横柄な態度で座っている男に話しかけた。仮面の男はよせやいと言わんばかりに手を振って断ったが、ゴメリーが後ろ姿でも判るほどの押し殺した恫喝を加えた。仮面の男はソファに浅く腰かけて暫く黙っていたが、ゴメリーが差し出した小さな袋を持ってこちらのテーブルにふらふらと歩いてきた。


「ようこそ! ゴメリー親分の愉快ないかさまカジノへ。あたくしはイルファーロの領主、ネバと申します。お見知りおきを」
 仮面の男が広げた両手を胸につけて大袈裟な挨拶をすると、そのままストンとソファに腰かけ、テーブルの端に脚を引っかけて乗せた。そのつま先をぶらぶらとさせながら、ゴメリー親分からもらった袋の底をつまんでひっくり返し、数十枚の銀貨を露わにする。それにしても賞金首の名をかたるのは最悪の冗談ではなかろうか。隣のテーブルにいた男たちの何人かが冷たい視線を向けてくる。立ったままの俺の前で座っているグリムは肩をゆすって笑っている。


「これはこれはネバ殿、景気の良いことですな。それでは私はグリムとでも名乗って──」
「親分さん! 早いところ面子を揃えてくれる? 夜は短いよ?」
 グリムが自己紹介しているのを聞こうともせず、ネバと名乗った男が大声でゴメリーに声をかけた。給仕役の女と話をつけていたゴメリーが不興も露わな顔で一瞬振り向いたが、すぐに女との話に戻った。女はさっきから何度も首を横に振っていたが、ゴメリーが押し付けてくる小さな袋をいやいやながら受け取った。余程いやなのだとみえ、暫く身動きせずに突っ立っていたが、やがて女はつかつかとこちらのテーブルまで来て席に座った。ゴメリーも無理に浮かべた笑顔でグリムの正面に座った。


「呼ばれて参りました。お手柔らかに」
 紫のドレスの女が仮面をつけたまま一同を見回して挨拶をした。仮面で顔の半分は見えないが、男のさがでどうしても美人に見える。おそらく銀貨が入っているであろう袋を、閉じた足の上に乗せて紐をゆるめている。両隣が仮面をつけていて、正面がゴメリー親分とは、グリムも物騒な席に招かれたものだ。カモにして下さいと言っているようなものではないか。


 黒頭巾の一人が椅子を持ってきたので俺もやっと座ることが出来た。紫のドレスの女が数枚の銀貨を揃えてテーブルの上に置いた。グリムも懐からぬっと出した手に銀貨を鷲掴みにしていて、それを両手でこねているのかと思ったら、手をどかせばコインの列が綺麗に並んでいる。ゴメリーが黒頭巾の男に手招きすると、ゴメリーの隣まで来て小さな黒い板をそっとテーブルに乗せた。未開封のカードと何かの駒が置かれている。


 俺は椅子をグリムの左後ろにずらして威儀を正し、拳を膝に乗せて表情を消した。ネバと名乗った仮面の男が俺の短剣に気づいた。何か言うかと思ったら、親指の腹で鼻をこすってから、レイピアの位置を少し直した。狭い場所で剣を吊るしている時は、すんなり抜ける角度になっているか気になるものだ。この男、油断ならない。


 ゴメリーが黒い板の上に置いてあったカードを手に取り、封を切って中身を出すと、表向きにしてテーブルの上を滑らせた。色とりどりの柄が順番にずらっとひろがる。
「ご覧のとおり即席の場ですが、どうぞお楽しみを」
 大男のゴメリーが前のめりになって両手を見せてくる。種も仕掛けもありませんというスラム流の仁義の切り方なのだろう。しかし大男のゴメリーがテーブルの上に覆いかぶさる様は暗雲とでもいうべきで、ただでさえ隈取りとなっている眼窩に影がさして不吉そのものの顔に見える。
「どうにも顔色がわるいな」
 ネバが無遠慮に言うと、ゴメリーはテーブルの上に乗っているネバの靴を手甲ではたいた。
「足をどけろ」
 ネバが両足をどしんと床に下した。赤いコートの前合わせを両手で絞って姿勢をただし、ずれかかった仮面の位置も直す。ゴメリーも席に着き、ひろげていたカードを束ねて場に置いた。


 ゴメリーが道化師のカードを一枚抜くと、それを立ててぐるっと見せてからテーブルの端、場外と思しき場所に置いて予備のカードの束を乗せた。
「五枚配りで場に銀一枚、上乗せは倍。掛け声ははっきり、手札以外触らぬように。上手の総取り、いかさまには刃物、見せ金が尽きたら仕舞、よろしいか」
 それぞれが頷く。ゴメリー親分は普段から賭場を仕切っているのだろう、手慣れたものだ。俺も本式の流儀は初めて見る。
 ゴメリーがカードを二つに分け、場に伏せたまま器用にはじいて一束にまとめた。さらさらと二度そうしてから、やはり場に伏せたまま縦に何度か切り直す。最後に山を二つにして上下を入れ替えると、そこから三枚のカードを表を上にして場に並べた。そのうち一枚を押し出してから、ドラグーン将棋の騎馬の駒をグリムの正面に置いた。


「何か間違えたら大目に見てね」
 紫のドレスの女が断りを入れた。こんな場にいきなり呼ばれたら俺でもそう言いたくなるだろう。ネバが足を組んでグラスを傾けながら、遊びだよ、と答える。グリムが指を一本立てて、気楽にどうぞ、と答える。ゴメリーは再びシャッフルしたカードの上に指を置いて、場に一枚、と声をかけた。三人が場に銀貨を一枚出した。ゴメリーがネバからカードを配り始める。グリムが伏せたカードを引き寄せるようにして確かめ、胸のそばに深々と手札を構えた。それでも俺にはグリムの引いたカードが見える。これは厄介な役を仰せつかった。ぴくりとでも動いたら符牒の合図ととられかねない。仮面の二人はゴメリーの代打ちで、グリムが組むべき相手はいないのだが、刃物を食らわされては堪らない。


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