夜市に並んだ篝火がところどころ燃え尽き始めた。
 数珠つなぎに街を照らしていた明かりがまばらになって、並木道は祭の終わる寂しさに包まれている。篝火が尽きた辺りは建物の壁の暗さがそのまま闇につながっている。わずかに燃え残った赤黒い光点が風に合わせて明滅している。
 人通りもめっきり減って、露店を出していた冒険者たちもあちこちで片付けを始めている。朝まで店を開いている商店の篝火には薪が足されて明るく燃え盛っているが、彼らも既に商売気は失せて、売り子同士が寄り集まって残り物をつまみながら、今年の祭の話を肴にちびちびと酒を飲んでいる。


 案の定、ルメイは椅子に座ったままうなだれて居眠りをしている。フィアがその背後に立ち、はずみをつけて大きな背中に両手をついた。
「起きた起きた! そろそろ店仕舞いよ」
 ルメイはびくっと体を震わせて振り返った。
「フィアか! びっくりしたなあ」
 ルメイが売物が見当たらないのに気付いて陳列棚の上を手で撫でている。
「さっき賭場から帰ってきた時、居眠りしてたから売れ残りは宿に持って帰ってるよ」
「ああそうか、すまなかった。ところでグリムは賭場でどうだったかな」
「まあ負けはしなかったな」
「それは良かった」
 ルメイがあくびをしている間にも、フィアは陳列棚の解体を始めて、幾らかの粗朶とシュロ縄を回収している。俺は重石をどけてござを持ち上げると、大きく揺すって汚れをはらった。


 片付けが終わり、俺は両手にござを抱え、ルメイは粗朶の束を持ち、フィアはショールの襟元をおさえながら宿に向かって歩いた。宿の近くにあった篝火が燃え尽きていて、建物の壁が暗くそびえている。宿の中に入るとロビーが燭台に照らされていてほっとするが、ソファに座っていた筈のフリオがいなくなっている。慌ててフロントの女性に声をかける。
「お連れの方は奥様と一緒にお部屋に行かれてますよ」
 さっき話したフロント係とは別の女性が上階を指差しながら答えた。俺は足音をさせないように気を付けながら、先頭に立って階段を上った。


 続き部屋に明かりが灯されている。
 入ってすぐの応接室に女主人のエリーゼと、さっきフロントで話した給仕役の女性が立っている。エリーゼはフードのない薄紫のマントを羽織っていて、腰の辺りでゆるく帯を結んでいるが、胸元からは柔らかそうな白絹のネグリジェが見える。たっぷりとした髪をほどいて肩に垂らしていて、ベッドで休んでいたところを起こされて来たのだろう。
 紺色のワンピースを着た給仕役の女性が、向かい合わせにくっつけたソファで寝ているフリオに毛布を掛けている。フリオはよほど疲れているとみえ、寝息をたてている。
「シュザンヌ、お湯を沸かしておいて」
 シュザンヌと呼ばれた女が頭をさげて居間の方へ去った。エリーゼは部屋の中央にすくと立って俺たちに顔を向けた。わずかに顎があがっていて、無表情のまま俺を見ている。このポーズには見覚えがある。教養のある人が怒っている、の図だ。







「セネカさん。幾つか説明して欲しいことがあります」
 エリーゼが腕を組んでちらっとフリオを見下ろし、返す刀で上目づかいに俺を見返してくる。思ったより厄介なことになっているようで面食らう。
「皆さん夜市を楽しまれて来たようで何よりですが、夜が更けてから部屋や廊下で大きな声で話をしたり、足音を響かせたりしていませんね?」
「それはちゃんと気を付けてましたよ」
「けっこう。それとこちらの青年。フィアさんのお部屋に追加でもうお一方ということですが、ロビーで寝てしまわれていたのでこちらに移ってもらいました」
「すみません。お手数をおかけしました」
「事情を伺ったのですが、ずいぶんとお酒を飲んでいらして、きちんとお話が出来ませんでした。わたしが聞き取れたのは、セネカさんと賭場へ行って、女性にお酌をしてもらってるうちに酔ってしまい、いつの間にかお金を失くしてしまった、というようなことでしたが──」
「ちょっと待って」
 俺が悪者になっている。フリオを起こしてはわるいので、押し殺した声に力を込めた。何から説明したらいいか思案するが、とても一言では無理だ。
「そちらで説明しましょう」
 指で隣室を示すと、エリーゼは「それが良さそうですね」と引き取って先に居間へ移った。


 俺たちは部屋の隅に荷物を置いて丸いテーブルに座った。
 心得たものでシュザンヌは予備の椅子を出してきてエリーゼも座れるように席を作っている。シュザンヌはそこでいったん退室した。
 席に座るなりエリーゼが俺と目を合わせて言う。
「わたしは普段こんな風にお客様の部屋にあがりこむようなことはしません。ですが今日は特別な理由があってお話をうかがわせて頂きます」
 エリーゼは俺が口を開けようとするのを手で制してさらに続ける。
「正直いって、この街に出入りする冒険者の皆さんをわたしは好きになれませんでした。お酒と賭け事が好きな荒くれ者。冒険者というのはそういうものだと思っていました」
 面と向かって好きになれないと言われて却って落ち着いた。俺は疲れているし、この女主人に対してどこまで下手に出ていられるか判らないが、とりあえずは気をわるくした素振りも見せずに「その通りでしょうな」とだけ答えた。


「ですが、フィアさんと知り合ってわたしは考えを改めました。フィアさんは本当に素晴らしい女性です。教養があって行動力があって、なにより荒野を一人で旅する度胸と技量がおありになる」
 話が思わぬ方に逸れている。フィアが慌てて口を開いた。
「そんな良いものではないのですよ」
 エリーゼは手を組んでテーブルに置き、本腰を入れて話し始める。
「フィアさんとは道具屋の方で何度も取引をさせてもらいました。革鎧を採寸から特注して、砥石を三種類注文し、矢じりの半分を粗悪だからと返品する冒険者が、そうした狩りの道具と一緒に書籍を求めることに驚きました」
「書籍?」と思わず口を挟んだ。
「フィアさんに依頼されて、アイトックスから『スキールニルの旅』を取り寄せています」
「スキル……?」聞き取れなかった。俺はそっち方面にはとんと昏い。眠そうな顔をしているルメイがむにゃむにゃと口を動かした。
「『古えのエッダ』の枝本。金貨三枚はかたい」
 エリーゼが一瞬ルメイを見て、ほう、という顔をしてから続ける。
「わたしはこの街からほとんど出たことがありませんが、それでも想像して胸が熱くなったものです。暗い森の中で、ひとり蝋燭をともして、巨人の国ヨツンヘイムで馬を駆るスキールニルの物語を読むのはどんな気持ちか」
 エリーゼは遠くを見るような目をしている。







 これは何の場なのかいぶかしく思い始める。フィアが居心地わるそうな顔をしている。
「節約してお金を貯めたから、ちょっと奮発したのよ。でもこの話、あまり関係ないのでは?」
 フィアが薄く笑ってシナモン色のショールを胸元にかき寄せた。
「関係あるのです。わたしはフィアさんに惚れ込んでいるのですよ。そのフィアさんがパーティーを組まれたというので、お相手がどのような方か気になっていたのです」
 そういう話か。俺は自分でも判るほど据わった目をして女主人エリーゼを見つめた。エリーゼはひるまず見返してくる。
「だからわたしは今、当館の主として、またフィアさんの友人として言わせてもらいます。もしセネカさんが、年端もいかない若者を賭場に連れ出してお金を巻き上げるような人なら、開祖ボルタックの名にかけて取引を御破算にさせてもらいます。どうぞ野宿の用意をしてください」
 こりゃ相当にきつい女だなと思う。不快が込み上げてくるが、同時に疚しさも頭をもたげてくる。フリオのことを説明して疑いを晴らしたとしても、どっちみち俺はお尋ね者なのだ。いつかそのことがばれたら、この女はそれみたことかと思うだろう。俺は説明するのが面倒になって、ルメイに声をかけて外に出ようかと思った。しかし肝心のルメイは目をつぶって舟を漕いでいるときたものだ。


「言い過ぎですよエリーゼさん」
 フィアが色々な感情が交じり合った顔をして言う。いきなりこんな話になったことへの困惑と、仲間をなじられた怒りと、親身になってもらっていることへの感謝、といったところか。
「セネカはまじめな人よ。賭場へ行ったのは、露店のお客さんに頼まれて仕方なく行ったの。そこで困っていた知り合いを助けてきたのよ」
「言い過ぎたとしたらごめんなさいね。謝るわ。でも性分で、言うべきと思ったことは言わないと気が済まないの」
「セネカ、ちゃんと説明して」
 女が二人して俺を見る。ルメイもフリオも寝ている。ああもうこの話は長くなるぞ、と自棄を起こしたくなる。


「ルメイの古い知り合い、グリムという金持ちの頼みで賭場へ行ったのは確かです。用心棒として腕を買われたわけですな」
「用心棒ですか」エリーゼが大げさに呟き、今更のように俺が身に着けている使い古した革鎧をじろじろと見た。
「漁師町とスラムを隔てる小高い丘の上に廃墟になった寺院があって、そこを黒頭巾の連中が賭場にしているのです」
 エリーゼが眉をしかめる。
「それはアッザーム寺院の跡地ですわ。あの辺りは衛兵が見回らないので街の人は誰も近寄りません。ならず者が雨露をしのぐのに使うという話なら聞いたことがありますが、あんなところに賭場が出来ていたなんて」
 

「二番街との境に大きな天幕がありますが、あそこに屯している黒頭巾たちが賭場の客引きなのです。フリオのようなカモを見つけては言葉たくみに引き込むのです」 
 エリーゼは首をわずかに左右に振って溜息をつく。
「知りませんでしたわ。でもフリオさんはその、あまり美味しいカモには見えませんけれどね?」
 確かに、フリオはその辺にいる青年にしか見えない。
「彼は自分から客引きに声をかけたのです。今夜泊まれるところはないかと。不用心なことに剥き出しのポーチに大金を入れて持っていたので、それに気づかれたのかもしれません」
「あの青年が大金を?」エリーゼが小首を傾げる。俺は言わないでおこうと思ったが、信用できない人間はこの部屋にいない。
「金貨十五枚です。遠くの村から薬草を売りに来ていたのです」
 エリーゼが目をむいて驚いている。うつらうつらしていたルメイが顔を上げて、朝見たあの薬草売りか、と訊くので、そうだ、と答える。


 銀盆を持ったシュザンヌが部屋に戻って来た。注文もしていないのに、ミルクティーと大振りのアップルパイを配って回っている。シュザンヌはさっきまで眠そうにしていたのにすっかり目が覚めてしまったようで、きびきびと動いている。
「あなたもここに座って後学のために聞いておきなさい。そこの火で紅茶をもう一杯いれてね」
 シュザンヌは小さく返事をして道具の置いてある暖炉に向かった。
「セネカのお話、寝入りばなにちょうどいいわ」
 フィアが声を出さずに笑っている。片方の口の端だけ持ち上げて、斜めに俺をみる目がやけに大人びている。ルメイは俯いて目をつぶっているが既に寝ているのだろうか。俺はもう寝床に入りたいのだが、そうもいかないようだ。手配されている俺の破滅は免れないが、ルメイとフィアのためにフリオの件は疑いを晴らしておかなければならないのだろう。
 心の中で不平が膨れ上がり、つられて小鼻も膨らみ、もう沢山だと怒鳴りたくもなるが、やがてそれが石鹸の泡のようにはじけ飛び、溜息とともに笑みがひろがった。目尻がさがり、口の端が吊り上る。よろしい、お嬢様方、まとめてお相手して進ぜよう。


「以前に迷い込んだ時、廃墟の壁は苔むして、絡みついた蔦草が屋根まではびこる始末でしたが、今は補修されて漆喰が塗られています。入口には受付が設えてあって、黒鹿亭の酒場にいる娼婦どもが番をしています」
 ここでそっと声を落とす。
「ああいう女どもは肌を露わにするのを何とも思わないのですな。それはもう、あられもない服を、こう」両手をひらひらさせる。
 エリーゼが眉を吊り上げて、まあ、と囁く。自分の紅茶を淹れたシュザンヌが予備の椅子を出し、澄まし顔でそろそろと席に着いた。フィアは半笑いでアップルパイをつついている。
 俺は自分の前に置いてあったパイの皿を手に取って、シュザンヌの前に置いてやった。シュザンヌは手の平を振って断ったが、いいからいいからと押し返してやる。エリーゼが頷いているのを見て、シュザンヌは頭をさげてそれを受け取った。


「賭場の入口で、腰に吊るした剣を置いていけ、と言われて難儀しました」
 フィアがつと顔をあげる。
「わたしが貸した剣です」きっぱりとした感じで指を一本立てながらフィアが言った。そういえばあの短剣はまだ袋に入れたまま壁に立てかけてある。
「用心棒としてついて行ったのですから丸腰にされてしまったら堪らない。何しろ黒頭巾の連中は街なかでも賭場でもコートの背中に短剣を忍ばせておるのですからな」
 シュザンヌが驚いて口に手をあてた。エリーゼもパイを切り分けながら耳を澄ませている。
「進退窮まったその時、番をしていた女にグリム殿が何事か耳打ちしたのです。するとどうでしょう。女は血相を変えて親分を呼びに行きました」
「何と言ったのかしら?」エリーゼが紅茶のカップを口もとに上げたまま問うてくる。
「親分て、ゴメリーが来たの?」フィアが皿から顔を上げてこちらを見る。
「あいにく何を言ったか聞き取れませんでしたが、間をあけずゴメリー親分がすっ飛んで来たということは、何かすごい文句があったのでしょうな」
 女たちはそれぞれに俺の話に耳を傾けている。ふと、さっき聞いた役者の台詞が思い浮かんだ。さても面白き夜かな。







「ゴメリー親分じきじきの案内で賭場に入りました。剣は吊るしたままです。手前には銅貨で遊ぶ広間があって、博打好きの連中が五十人はおりました。もとは聖堂だった場所でしょうが、呑兵衛の博打うちに占領されていました。その先にも別の部屋があって、そちらではテーブルに銀貨を積み上げていましたな」
「荒くれ者たちの巣ね」フィアが合いの手を入れる。
「ゴメリー親分はわざわざグリム殿のために新しい席を作りました。その面子がまた妖しき事このうえなし。一人は男、貴族のようななりをしているが、そのふてぶてしい態度から素性は悪党に間違いない。顔には仮面を付けていて、よりによってイルファーロの領主ネバでございますときた」


 黙って聞いていたシュザンヌが、イルファーロに領主なんていないわ、と呟いた。まだフリオと同じくらいの年頃なのだろう。そばかすの散った顔につぶらな瞳を輝かせている。
「さらにもう一人は紫のドレスを着た金髪の美女、ただしこれも仮面をつけていてまともに名乗らない。でもその立ち振る舞いは只者ではない感じ。正面では小山のような図体をしたゴメリー親分が、いかさまには刃物! と仁義をきっている。これはもうグリム殿は一巻の終わりと思いましたね」
「イタチの巣に落ちたネズミね」
 エリーゼは面白いことを言う。本を読む人なのだろう。


「勝負はカードで、五枚配りの絵合わせ、座ってるだけで毎度銀貨を取られるような場でした」
「セネカさんは一緒にやらなかったのですか?」
 エリーゼが紅茶に目を落としながら静かに問うてくる。大事な質問だ。
「まさか。銀貨の山が右から左に動く場ですよ。わたしはグリム殿の用心棒として、後ろに控えておりました」
「そうだったのですね」とエリーゼが済まなそうに言う。
「勝負を逐一覚えてはいませんが、ネバを名乗った男は軽口をのべつまくなし垂れ流し、我らがグリム殿は山葡萄のように味の締まった勝負師でしたな。可哀想だが仮面の美女は銀貨を吐き出し続けておりました」


 ルメイはがっくりと顔を伏せ、口を半開きにしている。フィアがルメイの顔の前で手をひらひらとさせてから、ルメイのアップルパイの皿を俺の前に移した。俺は自分の分をシュザンヌに押しやってほっとしていたところだったので断ったが、フィアは押し返してくる。
「食べてみて。とっても美味しいよ」
 シュザンヌがちょうど口を動かしているところだったが、慌てて呑み込んで手で唇を隠し、エリーゼさんのお手製ですよ、と言った。エリーゼは俺を見ながら深々と頷いている。ああ、アブルールの神様。今夜は食べ過ぎです。


「結局、仮面の美女が有り金を巻き上げられて仕舞になりました。グリム殿がゴメリー親分に挨拶をして帰ろうかという時に、隣の席で大声をあげているフリオ君に気付いたのです」
 切り分けたアップルパイを一口食べて思わず黙る。格子状になった皮はこんがりと焼けて層になっている。底にはしっとりとした生地があり、その間にクリームとざっくり切った林檎が挟まっている。りんごは火が通って飴色の半透明になっていて軽い歯ごたえがある。焼かれたりんごの酸味の中に、ほのかな甘みが隠れている。


→つづき

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