湯の沸く音で目が覚めた。
 ベッドから上半身を起こして何とか目を開けると、窓の外が暗くてまだ日の出前のようだ。何か夢を見ていたような気がするが、はやくも記憶からこぼれ落ち始めている。毛布をはいで立ち上がると、フィアが寝ていた奥のベッドが片付けてあるのが見えた。ルメイはまだ寝ている。
 小さな鍋で湯が沸騰するコトコトという音が暖炉の方から響いてくる。寝室の明かりは消してあり、居間の床を照らしている暖炉の明かりがかろうじて寝室まで届いている。自分がちゃんとキルティングの布服を着ているのを確かめ、額から後ろ頭まで髪に手櫛を入れてから居間に入った。


「おはよう、フィア」
 自分の膝を抱えるようにして暖炉の前でしゃがんでいたフィアが振り向いた。ぴったりのサイズのキルティングの亜麻服が体の捻じれに合わせて伸び縮みしている。とかした髪を後ろ頭で一つにまとめていて、頭を振った拍子に馬の尻尾がくるっと回った。フィアは沸かした湯を鍋からポットに移していたところで、紅茶の良い香りが漂っている。
「おはよう、セネカ。もう少し寝てても大丈夫よ」
「いや、もう目が覚めた」
 居間を横切って浴室に入り、水瓶の水を桶にあけて勢いよく顔を洗った。冷たい水に頭がすっきりする。


 浴室の窓枠に手をかけて外を見ると並木道は暗く、地平は黎明のすみれ色に染まっている。地平を離れると夜空がひろがっていて、星が瞬いている。二番街の方を目で追うと教会の塔が空に聳えているのが見える。教会の入口を照らす赤い光はすっかり弱まってほとんど見えない。
 ニルダの火から溢れ出ていた光の奔流と細切れの情景は何だったのだろうか。これ以上ないほど現実に収まっている早朝の街を見下ろしていると、龍とか神託とかいう言葉は絵空事のように感じられる。昨夜の出来事は今となっては夢のように思われた。


 今朝は探索の日程についてフィアともう少し確認をしなければならない。行先はカオカ遺跡の先とは聞いているが、もう少し詳しく聞かないと。狩りによるものではないが、パーティーに実入りがあったので集計と分配もしなければなるまい。居間に戻ると、テーブルの上に紅茶が二杯淹れてあった。フィアは暖炉に近い席に座ってカップに口をつけている。


「ありがとう、頂くよ」
 湯気のたつ紅茶をゆっくり啜ると、わずかな渋みが口の中にひろがった。フィアは良く眠れたようですっきりとした顔をして、青灰色の瞳でこちらを見ている。
「この宿の朝食はもっとずっと後なんだけど、早立ちをするって伝えたら、エリーゼさんが特別に軽いものを作ってくれるって」
「そうか、それはありがたいな」
 フィアは大きく体を反らせて寝室の方を覗き込んだ。
「ルメイはけっこう飲んでたみたいだけど、ちゃんと起きれるのかな」
 半ば引きつった笑いが顔に浮かぶ。ルメイはたまに酒を飲む機会があるとあおるようにして杯を重ね、じっと暗い顔をしている時がある。気を付けないと大酒呑みになってしまうのではないかと心配している。


 二人して覗いていたら、ルメイが大きく背伸びをして上半身を起こした。
「あーあ、小言をいわれる前に起きよっと」
 フィアが小さく噴き出す。
「あら、いいのよ、あともう少し寝ていても」
「いえいえ、起きますよ」
 ルメイが思い切り毛布をはいでベッドから出てきた。俺とフィアが見守るなか、しっかりした歩みで居間まで歩いて来る。フィアは暖炉の方にしゃがむと紅茶をもう一杯淹れた。
「昨日の夜はお疲れ様でした」
 ルメイが椅子を引いて席についた。顔色を見るが、二日酔いということはなさそうだ。
「ルメイ、昨日はお祭だったから別に酒を飲んでも構わないんだが、あまり沢山飲まないように気を付けてくれよ」
「わかってますわかってます」
 ルメイは両手で俺を押し止めるような仕草をしてからぷいと紅茶を飲んだ。店番中に居眠りするとは何事かと言わんとした語気はどこかへ逸れてしまった。まったく憎めない奴だ。


「エリーゼさんが特別に軽めの朝食を作ってくれるという話なんだが、朝飯の前にちょっとやっておきたい事がある。本当は一日の終わりにやるんだが、昨日の夜はばたばたしていたからな」
 ルメイが頷いて、朝飯いいね、と呟く。俺は懐に入れてあった二つの革袋を順にテーブルの上に置いた。脇に吊るしていたのはルメイと組んでいた時代のパーティーの有り金。ベルトに括り付けておいたのは昨夜カリームから、いや、グリムから受け取った用心棒の報酬だ。
「俺のパーティーでは使った金と実入りを公平に山分けする。当分パーティーを解散する予定はないから皆の金は俺が預かる。そこから当座の金だけ分配する」
 ルメイも懐から革袋を取り出してテーブルに置き、紐をゆるめて中身をすべて出した。銀貨がこぼれ出て、朝から小気味の良いチャリチャリという音が部屋に響いた。


「店番をしている時にグリムの部下が持って来たオオルリコガネの甲羅の代金。手付と合わせて銀貨二十三枚ある。結局もう一枚の方も銀三枚で買ってくれたんだ。それで良かったよな?」
「素晴らしいわ。持ってても仕方ないし、見立ての通りで売れたわね」
 フィアが驚き顔で俺たちを見ている。ルメイは銀貨をテーブルの中央に寄せた。フィアは小首を傾げてその様子を見た。


「こっちの小さい袋は昨日までの俺たちの有り金。銀貨八枚と銅貨十二枚ある」
 小さい袋を開けて硬貨をすべてテーブルに出した。
「これが全財産で、本当に切羽詰ってたんだが、フィアを仲間にしてから急に金回りが良くなった。この金は山分け分に含めることにする」
 俺は硬貨を丁寧に摘みあげ、まとめてテーブルの中央に寄せた。
「幸運の女神様かな?」
 ルメイが冗談を言うと、フィアは照れ臭そうに笑った。まだ俺たちが何をしているか判っていない様子だ。
「そしてこっちの袋は、グリムさんの用心棒代として受け取った報酬。ちょっと数えてみるな」
 しっかりとした厚手の革袋をひっくり返すと、銀貨が雪崩をうって飛び出してきた。ルメイとフィアが目をみはる。
「ずいぶん沢山くれたもんだな」
 ルメイはグリムの素性が割れたか少し気にする様子で、俺の顔色をちらちらと見ている。


 フィアは事の成り行きを黙って見守っていたが、ふいに身を乗り出して俺に声をかけた。
「ちょっと待って、それはセネカが稼いだお金なんじゃない?」
 俺は銀貨を数えていた手をとめてフィアを見返した。
「ルメイが連れて来てくれたお客さんの仕事を請けて、フィアの短剣を借りてやった仕事だ。これはパーティーの稼ぎだよ」
「そんな。私は剣を貸しただけなのに」
 ルメイはお手製の手帳を出して収支を付けていたが、小さな羽根ペンの先にインクを染ませながら上目使いにフィアに声をかけた。
「うちらのパーティーはいつもこんな風だよ」
 フィアは両手を腿に挟んで身をくねらせた。いつも一人でいたので好意を受ける機会が少なかったのかもしれない、申し訳なさそうな顔をしている。
「なんだかわるいわ」
 銀貨の塔が四つ余り出来た。それを厳かな手つきでテーブルの真ん中に寄せる。
「ここに置くぜ。四十六枚だ」
 ルメイが、うほう、と喜びの声をあげる。


 フィアが慌てて椅子を引いて背筋を伸ばし、キルティングの亜麻服をたくし上げてベルトに括り付けてあった革袋を取り出した。平らな腹と下着のパンタレットが見えて得した気分になる。
「わたし露店の売上をつい自分のお金にまぜちゃったんだけど、銀二枚と銅五枚だった筈よ。ここに出したらいいのね?」
 フィアが自分の財布から硬貨を出した。銀貨を二枚、ついで銅貨を選って出し、数えながらパチンと音をさせてテーブルに置いた。これにはルメイが首を傾げた。
「幾らかで仕入れたんだろう? それはフィアの稼ぎじゃないかな」
「ルメイに鑑定してもらって、セネカに店番をしてもらったわ。これも間違いなくパーティーの売上よ」
 フィアは畏まったように両手を膝に置きながら何度も頷いた。
「本当にいいのかい?」
 念を押すと、フィアはその金をテーブルの中央に運んで微笑んだ。


 俺は計算をしているルメイをじっと見詰めた。ルメイが眉を吊り上げながら俺を見返した。
「収入、銀貨七十九枚、銅貨十七枚。新記録だな」
 フィアは指先で小さく拍手をしながら笑っている。俺は何度か深く頷いた。
「いい稼ぎになった。皆ありがとう。次いでパーティーのために払った金を申告してくれ」
 ルメイが再び手帳に目を落としながら言う。
「旅支度で食糧や燃料を買った。出所はフィアの金で、しめて銀二枚、銅十八枚。それからこれは敢えて聞くんだが」
 ルメイが手帳から顔をあげてフィアを見た。
「ここの宿代と食事代は幾らだい?」
 フィアは面食らった顔をして手を振ってみせた。
「いいのいいの、それは気にしないで」
「これだけ稼いだんだ、けちなことは言わないよ」







 テーブルの中央に集めた金を手で示すと、フィアはそれ以上拒まなかった。
「ありがとうね。しめて銀四枚、銅十二枚よ」
「フィアの支出は合わせて銀六枚、銅三十枚だ。およその換算で済まんが、銀九枚ってところだな」
 ルメイの計算に合わせて、俺は中央の山から銀貨九枚を取ってフィアの前に置いた。
「この金は自分の財布に入れてくれ。それと、俺も露店の場所取りで札を二枚貰うのに銅一枚払ってるからもらうよ」
 そう言って銅貨を一枚取ると、ルメイがおずおずと口を開く。
「俺も露店の最中にちょっとした飲み物を買って飲んだものだが、あれはもしかして経費に──」
「酒代は自腹!」
 鋭く言い返すとルメイは目をむいてフィアを指差し、だそうだ! と答えた。フィアが肩をゆらして笑った。







「ここから当座の報酬として銀五枚をそれぞれに配る。自分の財布に入れてくれ。あとは全部、山分け分として俺が預かる」
 中央にあった銀貨の山から、五枚ずつ取ってそれぞれの目の前に置いた。ルメイがそれでは有難く、と銀貨を受け取ってから手帳をぱたんと閉じた。フィアも銀貨五枚を取って顔の高さで握り締めてみせてから財布にしまった。
「収入から支出を引けば、銀五十五枚に銅十六枚だ」
 ルメイはいつも面倒がらずに正確に集計して記録してくれるので有難い。グリムから貰った厚手の袋にそれだけの硬貨を全て入れた。かなりの重さだ。そして俺の取り分の銀五枚銅一枚を自分の財布に入れた。
「取り敢えず集計と分配は一段落かな」
 それぞれが財布をしまったので、テーブルの上から金が姿を消し、納まるべき所に収まった。俺は満足顔で二人を見回した。ルメイとフィアも不満はなさそうである。発足初日からいい稼ぎのパーティーになった。


 こうした実入りの分配は、以前のパーティーリーダーたちから学んだ。金の問題をいい加減にすると信用を失う。リーダーの取り分が少し減る位に采配しなければメンバーはついてこない。ただし実入りをその場その場で山分けしてしまうのもいけない。自分の分は確かに貰ったと思えば、勝手な奴は翌日の朝に声もかけずにいなくなっていたりする。解散するまではリーダーが預かっていて、探索中にルールを守らない奴への罰金として担保しておかなければならない。もちろん全て取り上げてはメンバーが納得しないので、一定の割合で報酬は小出しにする。このパーティーでそんな心配をする必要はないと思うが、きちんとしておくのに越した事はない。


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