ルメイは両手でツノムシの頭を掴んでぐいぐいと押しのけているが、ツノムシはなお必死にしがみつくばかりだ。
「セネカ、この前脚を掴んで引き離しておいて。根元の方に毒腺があるから触らないように気を付けて」
 俺はフィアが掴んでいるツノムシの前脚を代わりに掴み、ルメイの体から常に引き離しておくようにした。ツノムシが顔につく程の近さでキイキイと鳴いている。虫が鳴くと甲羅が振動し、それが脚まで伝わってきて音叉を握っているような感触になる。思わず顔をそむけた。


 フィアが腰のナイフを右手で抜き、虫の頭を掴んでいるルメイの手を左手で叩いた。
「手を離して!」
 ルメイが恐る恐る手を離すと、フィアは虫の頭の先をぐっと押し下げた。虫の口がルメイの胸元に付きそうになる。
「こいつは噛まないだろうな!」
 ルメイが顔をのけ反らせながら慌てて叫ぶ。
「ツノムシに歯は無いの。お願いだからじっとしてて」
 フィアがツノムシの頭をさらに押し込むと、虫の後頭部から背中につながる甲羅に隙間があるのが見えた。フィアがそこにナイフを差し込んだ瞬間、ツノムシは事切れた。


 あまりのあっけ無さに信じられない気持ちになる。鉤爪でぶらさがっているだけのツノムシの死体から手を放した。
「そこが急所なのか?」
「そうね。他の場所を刺すと暴れ回るわ」
 フィアはルメイの後ろに回って革鎧に食い込んだツノムシの鉤爪を外してまわっている。引っ掛かっているのが後ろ脚だけになると、ツノムシは引っくり返って腹を見せた。なんとも気色悪い感じがして悪寒がこみあげる。やがてツノムシはルメイの体から外れて地面に落ちた。
「慌てちゃったよ、フィア。すまなかった」
 ルメイは額の汗を小手でぬぐいながら、肩で大きく息をついている。


 フィアは周囲にさっと目を走らせてから、ツノムシの死体のそばに片膝をついた。
「ちょっと二人とも来て」
 俺とルメイが近寄ると、フィアは虫の口の辺りをナイフで示した。
「見て。ツノムシには歯も牙もないの。こいつらが何を食べてるのか未だに判らないけど、花粉や樹液を食べてる小さな昆虫と同じ作りをしてる。ほら」
 フィアがツノムシの口の所をナイフでえぐるようにすると、折り畳まれて収納されていたブラシのような舌が出て来た。その根元は細い支柱にまとまって口の中につながっていて、その表面には微細な突起がはえて粘液に濡れている。


「うへえ」
 ルメイが顔をそむけた。ツノムシの死体はただでさえグロテスクなのに、それをいじりまわすのは見るに堪えない。
「判ったよ、フィア。もういいじゃないか。先を急ごう」
 俺の言葉を聞いたフィアがきっと睨み返してきた。
「よくない。ちゃんと見て。ツノムシの武器は二つ。一つはこの、大きくて鋭い鉤爪」
 フィアは虫の足先にある湾曲した鉤爪をナイフの先で起こしてみせた。それは先端が鋭く尖っていて、黒光りしている。相当の硬度を持っているようで、ナイフの背でぐいぐい引き起こしてもびくともしない。
「もう一つは、前脚の付根にあるこの毒腺」
 ツノムシの三対六本ある脚のうち手前の脚の付け根を、フィアがナイフで示した。そこに薔薇の棘のような肉厚の突起がこんもりとついている。三角錐の形をしていて、先の方は急に鋭くなって黒々としている。


「ここに毒腺があるのはオオルリコガネも一緒よ」
 フィアが毒腺の根元にナイフの刃を滑り込ませてクイッと捻ると、まさに薔薇の棘のようにその部分だけがポロッと取れた。
「毒腺はとても頑丈に出来てて、本体が腐敗しても毒腺だけ残るの。だからツノムシを仕留めたら、人の通らない場所に死体を捨てるか、毒腺を取っておくべきなの」
 フィアは取り外した毒腺を慎重に指で摘まむと、腰に吊るしていた竹筒の中に落とし込んだ。取り敢えず一匹分の毒腺を竹筒に納めて、コルクで蓋をしている。


 俺は思い当たる節があって思わず考え込んだ。
 フィアのような事後処理をするパーティーは見たことがない。ほとんどの場合、虫を殺したらその辺に放っておく。死体はそのうち腐って朽ち果てるが、そういう場所を歩いている時に地面に手をつくか倒れるかした冒険者が、ツノムシに刺されたのと同じ症状に見舞われることがある。いきなり手足が痺れて、やがて高熱が出るのだ。
 俺たちはそれを、地虫に刺された、と言ったものだが、そうではなかったのだ。おそらくは地面に残されたツノムシの毒腺に何かの拍子で触れたのだ。ということは、カオカ遺跡では滅多なことで地面に倒れたり手を突いたりしない方が良いということだ。


 フィアは毒腺を取り除いたツノムシの脚を掴んで持ち上げ、壁際の方に投げ捨てた。虫の死体は壁に当たってからドサリと瓦礫の上に落ちた。
「というわけで、ツノムシと戦う時に気を付けるべきは鋭い鉤爪と、前脚についてる毒腺、これだけってことになる。毒蜘蛛のように噛んだりしないし、蜂みたいにお尻に毒針がある訳ではないの」
「そうだな。戦う相手のことを知らなければ、うまく戦える筈がない。それに毒腺が長く残るって話、思い当たる節がある」
 俺が理解を示したので、フィアが黙って頷いてみせた。


 フィアは罠網に絡まってもがいているツノムシたちの方へ歩み寄った。鉤爪が瓦礫を擦るカシャカシャという音が重なっている。
「それじゃ、残りの三匹、一匹ずつ急所で仕留めましょう」
 フィアが罠網にかかったツノムシを、網の端を持ち上げて甲羅の向きが上になるようにひっくり返すと、網ごとブーツで踏んで押さえつけた。じたばたともがくツノムシの頭を掌底で押し下げ、後頭部と背中の隙間にナイフを差し込む。それだけで虫はぱったりと動くのをやめた。


 俺も虫を踏みつけて押さえ込んでから頭を押し下げ、首の後をナイフで刺した。スッと刃先が入ると少し硬い繊維の手応えがあり、それをブツッと切断するとツノムシはすぐに動かなくなった。
 かつてのパーティーメンバーの剣士たちが、ツノムシを剣で滅多打ちにしていたのが思い出される。俺たちは何という馬鹿げた狩りをしていたのだろう。さんざん苦労して倒してからは気味が悪いと言って死体は放置し、よく見もしなかった。敢えてそれを観察すれば、虫が噛んだりしないことや、毒がある場所はどこか、理解出来たかも知れないというのに。


「なるほど道理だな」
 あれほど慌てていたルメイが、網の上に覆いかぶさるようにして一息でツノムシを倒した。俺たちはフィアの真似をして虫に絡まった網を取り外した。脚の突起や鉤爪が絡まっていて、生きて暴れているうちはとても手が出せなかったが、死んでしまえば順繰り網を引っ張るだけの簡単な作業だ。
 フィアは罠網を受け取って破れがないか検分してから、綺麗に折り畳んだ。さっき身を隠していた壁の所まで戻って背嚢を持ってくると、その中に罠網を丁寧に仕舞い込んだ。
「フィアはツノムシ狩りの権威だな」
 ルメイが自分の荷物を背負い直しながらばつの悪い顔をして褒めた。フィアは薄く笑って「それほどでも」と謙遜してみせ、全てのツノムシの毒腺を取り外して腰の竹筒に集めている。虫の死体は念のため壁沿いの方へ寄せた。


 ツノムシたちを排除し、さらに先に進む。
 用心しながら歩いたが、それ以後は遠見の丘まで何事もなかった。時折ジェラールのパーティーの釣り役の声がかすかに聞こえるだけで、静かなものだ。その声もやがて風に紛れて聞こえなくなった。
 抜身の剣を手に瓦礫の道を進みながら、自分たちの命を自分たちだけで守らねばならない緊張がひしひしと伝わってくる。街から距離をおき、別のパーティーがいた二枚岩からも離れ、もはや俺たちは孤立している。


 遠見の丘が見えてきた。
 大きな街には、こういう場所がよくあるものだ。びっしりと建物が並び、整理された道が縦横に走る中に、緑の区画が広めにとってある。建物のない楕円形の土地で、中央が小高い丘のように盛り上がっている。この街がまだ生きていた頃は、その頂上に石材で造られた東屋のような建物があったようだ。今では四方の柱の根元だけが残り、石造りの天井部分は崩壊している。
 その代り、陽射しと雨を凌ごうとする冒険者たちが、柱の残骸を支柱として天幕を張り渡している。ここはカオカ遺跡を探索する冒険者のパーティーが拠点にしたり休憩したりする場所になっているのだ。


 遠見の丘は下草の生い茂る丘に見えるが、元々は人の手で草原となるよう管理されていたのだろう。ドラグーン人たちが滅んでしまった後は日当たりの良い場所に低灌木が育ち始めているが、今度はそれを冒険者が伐るので高木は見当たらない。
 ここは四囲が見渡せるので食事をする場所として使われることが多く、周りの木は煮炊きするのに伐られてしまう。よく見ればそうした低灌木の枝は鉈で斬りおとされた生々しい断面があちこちにある。すっかり枝を打ち払われて立ち枯れている木もある。


「ここで一旦休憩しよう」
 天幕の下に入り、重い荷物を下ろした。元々は雨宿りをするために小さな帆布を屋根代わりにしていたのであろうが、そこから次々に布が足され、今ではつぎはぎながら東屋の四本の柱の下が全て覆われている。材料の違う布が頭上でキルトのように広がっている様は、人間の性を思わせる。あらゆる場所を自分の都合の良いように作り変えていくのが、人間のやり方だ。


 東屋に壁はなく、周囲をぐるっと見渡すことが出来る。
 足元の瓦礫は整理され、中央に即席の竈が石を積んで組まれている。人が座るのにちょうど良い大きさの石が運び込まれていて、竈の周りに車座に座れるようになっている。俺たちは武器を納めてそこに座り込んだ。頭上ではタペストリーのように見える天幕が風を受けてハタハタと音をさせている。苔の生えた瓦礫の地から幾分高い所にいるので、吹き渡る風に森の香りがする。


 水筒の水を一口飲み、通ってきた二枚岩の方角を眺める。
 遠見の丘といってもそれほど高い場所にあるわけではないので、周囲の建物が迷路のように入り組んでいる様と、西の路地、中央の大通りの一部が見下ろせるだけだ。ある程度以上離れた場所となると折り重なる壁の背後になって見えない。それでもモンスターや山賊が近寄ろうとすれば姿が丸見えになるので、いきなり襲いかかられる心配がない。


 俺は革帯で首に回していた丸盾を外して足元に置いた。左肩をぐるっと回しながら別の方角も眺める。そうして何気ない風を装って、フィアに声をかけた。
「ここからはどっちの方へ進むのかな」
 組んだ手を頭の後ろに当てて体を捻っていたフィアは手を直して方角を確かめた。
「ここからだとこっち、北西になるわね」
 フィアが手刀で方角を示した。ルメイもそちらを見るが、変わり映えのしない廃墟が続いているだけだ。遠見の丘はカオカ遺跡の中央から北西寄りにあるので、そちらに進むならすぐにも遺跡から出てしまうだろう。
「そうか。ここから先は、北向きの街道沿いに進むのかな?」
 カオカ周辺の地図を頭に思い描きながら尋ねた。
「いいえ。そのまま北西に進んで、イルファーロ通信組合のカオカ櫓を抜けて行くの」
  カオカ櫓とは、夜に灯火新聞の情報を発信するための、大きな火を起こす高い櫓だ。俺は眉根を寄せて考え込んだ。その先には森があるばかりだ。


 俺とルメイが重苦しく黙っているので、フィアはさらに言葉を続けた。
「人がいそうな場所はそれが最後ね。そこから尾根筋を進んでカルディス峠を越えたら、あとは道なき道よ」
 俺は不安を胸に抱きながらフィアの顔を見た。
「そっちには森しかないよな?」
 ふっと視線を逸らせたフィアが自分の掌を見下ろした。その様子が俺をさらに不安にさせる。フィアは何事もないかのように答えた。
「そうね。森しかない」
 ルメイが前屈みになってフィアを見ながら、確かめるように言った。
「俺たちは、呪いの森へ行くのか?」
 フィアが顔をあげた。ルメイの顔を見て、俺の顔を見て、頷く。
「そうよ。オオルリコガネの群生地は、呪いの森にあるの」


→つづき

戻る