メメント・モリ。
 山賊たちに向かって歩きながら呪文を唱えた。何か冷たいものが俺の心臓をぎゅっと握る。心が引き締まって視界が澄み渡った。剣の師匠から教えてもらった古い言葉で、死を忘れるな、という意味だ。
 師匠いわく、老いも若きも人間は毎日のように死んでいる。まして戦場では尚更のことだ。些細な手抜かりがすぐ死に繋がることを肝に銘じなければならない。
 だが一方で、人間はいつか必ず死ぬ。命を懸けるのに値することを見つけたら、悔いを残さぬようにやり遂げねばならない。
 数歩進むうちに山賊たちが気付いた。じっとこちらを眺めて、俺たちが本気で戦う積りか見定めている。俺の歩みに迷いはない。山賊たちはすぐに岩場の上の剣士たちを相手にするのをやめた。小癪なことに、剣の背で肩を叩きながら余裕の構えをみせている。


 呪文を教えてもらった頃は若かったので、恥ずかしながらこう答えた。
「命を懸けるのに値するものが道を歩いて来たら、目を逸らして通り過ぎてもらいます」
 師匠は怒らなかった。
 ただ笑って背中を叩きながら、そのうち判る、と言った。お前が剣の道を選ぶなら、剣に死ぬのが運命だ。それがどんな死になるかは運次第だが、ここぞという時を見逃さず、命を使い切ることだ。


 俺は師匠の言うことを納得できなかった。
 近衛師団に編入された二十歳の男にとって、世界は滋養に満ちた大地だった。自分の存在を、太陽の光を燦々と浴びている丘の上の若木のように感じていた。死は確かに存在するかもしれないが、それは遠く離れた森の窪地や、瘴気をはらんだ日陰の沼に潜んでいるもので、自分には関わりがないと思っていた。
 俺は何もののためにも死にたくなかった。
 だから剣の稽古を積んだ。師匠の技も盗んだ。稽古試合で首位になり、宝剣を下賜された。師範職にも就いた。近衛にいた頃はそれが誇らしかった。命はなおさら惜しいものとなった。


 それが今や職を失い、荒野を彷徨う冒険者になった。おまけに手配までされている。失う物は驚くほど少なくなった。歩み寄るにつれて山賊たちの顔付きが次第に見えてきた。俺という人間は、あいつらとそう変わらない。細くて脆い最後の一線のこちら側に俺が立っていて、連中はそこを跨いで向こうに立っているというだけのことだ。
 救いがあるとすれば、多くを失った代わりに、守りたいものが出来た事だ。
 この山賊どもをここで倒さねば、明日また俺たちを襲うかもしれない。ルメイやフィアを守るために、俺はこいつらを是が非でも倒さねばならない。一人残らずだ。


「わざわざ殺されに来たか!」
 山賊の一人が怒鳴ると、連れだっている仲間たちが肩を揺らして笑った。
 人に武器を振り下ろすのを何とも思わない連中が、下卑た笑いに顔を歪めながら待ち構えている。調子に乗ってこちらへ向かって来てくれたら岩場の上にいる二人が降りて来れるのだが、そうはならない。やはり戦い慣れた連中で、岩場からは離れない。縄梯子で上り下りしている最中は無防備になるので、トーリンたちが降りてこようとすれば斬りつけられてしまうだろう。


 いよいよ剣の間合いに近づいた。
 山賊のうち二人は四十絡みの男で、汚れた髪をざんばらに伸ばし、髭と絡み合っている。頬は傷と瘡蓋に覆われ、眼だけがぬめるように光っている。兵隊にもこういう老兵はいた。剣戟の一打一打が命のやり取りと知っている奴の目だ。二人ともほぼ同じ装備で、金属の胸当てと盾と片手剣を身につけている。粘っこく近接してくる積りだ。
 他の二人は若い。一人は重そうな両手剣を、もう一人は柄の長い斧を肩に担ぐようにして構えている。武器が重いのでその分軽い革鎧を身に着けている。全員が近接武器だと渋滞するので、遠くまで届く武器を持たされているのだ。


 相手は四人、こちらは三人。それほど不利な戦いではない。しかし山賊たちがこちらを押し包むように並んでいるのに対して、俺は突出している。自然と息があがり、鼻孔が膨らむ。剣を掴む手に力が籠り、腕がこわばる。
 大きくひとつ深呼吸をした。心を落ち着かせなければならない。複数を相手にする時は、一点を見つめずに、全体を見なければならない。
 左の拳を胸にぶつけるようにして丸盾を引き付ける。バスタードソードの長さを山賊たちに印象付けるために大きく振り回してから、肘をたたんで体のそばに剣を立てた。
 そのまま、相手の間合いにするりと入る。


「オラァ!」
 横から両手剣が振り下ろされる。剣先で受けた両手剣が、刃元まで滑り下りてくる間に前に押し出しながら半歩さがる。さんざん稽古した動きで、体が勝手に動く。強烈な一撃ではあるが、長い剣の切先を刃元で押されて押し返せるわけがない。避けた剣が地面に突き刺さったところで、鉄芯の入ったブーツで両手剣の刃元を踏みつける。若い山賊の肩ががくんと落ち、柄から手に伝わった衝撃に驚いた顔をしている。これでなんとか一息稼ぐことが出来た。剣の構えを崩さなかったから誰も仕掛けてこなかったが、もし若い山賊に向かって剣を振り抜いていたら、三方から打ち掛かられていただろう。


 両手剣の大振りは囮で、すぐに老兵の一人が間合いを詰めてくる。俺の剣が長いので、懐に飛び込んで振るも突くもままならなくしておいて、こちらの盾を越えて片手剣で斬りつけるためだ。
「もらった!」
 山賊が大きく上段に剣を構えて肉薄してきた。盾を引いて体につけたら相手の思う壺だ。俺は盾を開き、丸盾の縁を老兵の右脇に叩きつけた。がら空きの脇の下に丸盾の鉄枠がドスンと食い込む。相手の体重を左肩で受けた瞬間に痛みが走ったが、なんとか支えきった。


 体勢を崩された山賊は片手剣を振り下ろすが、丸盾に腕を取られて剣先は宙を舞うばかりだ。しかし俺も間合いが近過ぎて剣が振れない。剣を握った拳の下に柄頭があり、そこに剣の重心を調整する水滴型のポンメルがついている。それを相手の盾の縁に引っかけ、体重を乗せて引きずり下ろした。盾が下がり、目を剥いている老兵の顔が見えた。その顔面に力任せに柄頭を叩き込んだ。頬骨の折れる音がして、勢い余ったポンメルが山賊の顔をこめかみの方まで滑っていく。山賊は言葉にならない悲鳴をあげた。顔を押さえて棒立ちになった山賊の体を押し退ける。


 走るようにしてそのまま奥へ進む。
 振り向けば、顔面を殴られた老兵は倒れて這いながら後ずさっている。立ち上がろうとしてもがくが、顔面を強打された衝撃で酩酊しているかのようにもたついている。両手剣の山賊は痺れた手でようやく武器を抱え上げたところだ。
 さらに外側にいる二人が俺を追いかけようとするが、仲間が邪魔で武器を振り回せない。そこへメイローとジェラールが寄ってきたので、山賊たちは立ち止まって俺たちの出方を窺った。メイローは柔軟に構えて片手剣で突き込む隙をうかがっているが、ジェラールは盾をがちがちに構えている。


 すぐそばにジェラールのメンバーだった剣士の死体が転がっている。
 盾を構えながらそっと横目で確かめる。装備は全て剥ぎ取られ、血を吸って赤々とした肌着だけの姿を晒している。首の辺りの肉が赤黒くめくれあがっている。首を掻き切って止めを刺してあるのだ。腕は生きていたら耐えられないような角度に曲がって体の下敷きになっている。その目はかっと見開き、明るい陽光をまともに受けながら瞳孔が丸々と広がっている。
 ここに横たわっているのは俺だったかもしれないし、ルメイやフィアだったかもしれない。怒りを抑えて息を整えた。


 メイローが倒れた山賊に近寄ったので、もう一人の老兵が庇いに入った。そこで二人が斬り結び始める。体重を乗せた剣が正面からぶつかり合うキン、という音が響く。別の若い山賊がさらに助けに入ろうとするが、そうはさせない。
 するすると近寄って敢えて斧持ちの視界に入ると、相手は構えた斧を斜めに振り下ろしてきた。だがこの間合いでは当たらない。重い武器を威嚇のために振るって隙だらけになっている。丸盾をぐるっと背中にまわしてバスタードソードを両手で握ると、斧を握った山賊の手首を正確に突いた。革の小手を貫いて剣先が向こう側に飛び出る。剣を抜いて再び攻撃の態勢を取る。
「ガアッ!」
 相手は斧を落とし、傷口をもう片方の手で包んだ。左手の指の隙間から赤い血が滲み出てくる。叫びながら立っているだけの山賊を、俺は三回くらい刺すことが出来そうだが、敢えて右膝の上を一突きする。斧持ちだった山賊は金切声をあげて地面に転がった。


 厄介なことに、俺は止めを刺すわけにいかないのだ。
 こいつがもし懸賞首だったら、イルファーロの衛兵に報告する時、誰が仕留めたか必ず訊かれる。賞金は止めを刺した者に与えられるからだ。俺は自分が賞金首だから、そんな所で名前を出して欲しくない。これまでも山賊と戦う時はいつも、止めを刺さぬよう気を付けてきた。
 利き手と脚を刺して武器を取り上げれば、メイローかジェラールが討ち取ってくれるだろう。俺は落ちている斧の柄の重心辺りにブーツの爪先を突っ込んで、遠くに蹴り飛ばした。


 倒れていた山賊がやっと立ち上がった。
 しかし目がどろんとして焦点が合っていない。頬からこめかみにかけて大きな裂傷が出来ていて、盛大に血が流れ落ちている。山賊は目に入る血を拭うのに躍起になっている。
 もう一人の老兵はメイローと盛んにやり合っているが、勝負がついていない。メイローは隙を作るような攻撃は避けて受けに回り、敵の一人を抑えているのだ。メイローはさらに器用に立ち回って、顔面血だらけでふらついているもう一人の山賊を蹴り飛ばしている。どうやらこちらは任せて大丈夫のようだ。


 ジェラールが両手剣の山賊に打たれ続けている。
 盾でまともに受けていて、反撃の機会が作れないでいる。俺は割って入り、両手剣の切先を刃元で受けて押し流した。間合いが離れると、山賊は両手剣で鋭く突いてくる。その剣筋を小さく叩いて逸らせ、剣先で小手を突いた。山賊があっと叫んで剣を落とし、切られた手甲を押さえた。
 そのまま喉を貫ける体勢にあるが、ぐっと抑える。剣を構えて詰め寄ると、山賊は血だらけの腕を上げて顔を庇った。さらに踏み込んで相手の腹に靴底をつけ、大きく蹴り込む。山賊は尻もちをついてジェラールの目の前に倒れた。
 武器を失くした敵が倒れているのにもかかわらず、ジェラールは盾を構えたまま慌てて撫で斬りにしている。急所を逸れた攻撃ばかりで、山賊は悲鳴をあげ続けた。急いで仕留めてメイローの補助に入れと怒鳴りたくなるが、まあいい。ジェラールは後で得意げに、自分の手柄だと報告するだろう。


 余裕が出来て周囲を見回した。
 岩場の上にいた二人が縄梯子を投げおろして降りてきている。これでこちらは五人になり、山賊の残りは三人になった。
 怪我をしたウィリーやドゥッテがいる林の方を窺う。ルメイやフィアたちが持ち場を守りながら、こちらを注視しているのが見える。
 ジェラールがやっと止めを刺したようで、両手剣を持っていた山賊は仰向けに伸びている。ジェラールはさらに、小手と膝を斬られて転げ回っている若い山賊の方へ詰め寄った。その山賊が装備していた両手斧は手の届かない所に蹴り飛ばしてあるので、ジェラールといえども任せて大丈夫だろう。
 メイローが山賊二人を相手に追い込みをかけているのでそちらに向かう。さっさとこれを終わらせてしまおう。


 俺が近寄ると、山賊二人は肩を並べて抵抗し始めた。この状況は気を付けないと手痛い反撃をくらう。
「メイロー、岩場から仲間が二人降りてくる。無理せず守れ」
 メイローがこちらには一瞥もくれずに盾を深く構え直した。防戦一方になっていた顔面血だらけの老兵が声をかけてくる。
「待て待て、お前らに金の隠し場所を教えてやる!」
 俺はメイローの反対側に回り込んで山賊たちを挟み撃ちにする位置についた。
「命乞いするならまず武器を捨てろ」
 俺が殴った山賊が振り向いた。
「それじゃ、こうだ!」
 髪を振り乱して小さな血痕を撒き散らしながら、振り向き様に剣を浴びせてくる。剣はこちらの盾を掠め、山賊は仲間と背中合わせになった。そこでがっちりと武器を構え直している。その盾の縁から、血塗れになった必死の形相が見えている。バスタードソードを頭上に構えて踏み出そうとした時、背後から怒鳴り声が聞こえた。


「お前らいつまでぐずぐずしてんだ!」
 振り向くと、二枚岩から異形の者が現れた。見上げるほどの上背があり、手足が尋常でなく長い。赤い髪をたてがみのように伸ばし、極端な猫背のせいで眼窩に暗い影が落ちている。
 悪名高いオロンゾだ。
 金属製の胸当てと肘まで覆うガントレットを身に着け、三角盾と片手剣を装備している。その人間離れした姿に思わず緊張する。
 ジェラールのパーティーに所属していた剣士のクレールが縄梯子を途中まで降りているところだったが、オロンゾの声が響いた瞬間に慌てて戻って行った。オロンゾがそれに気づき、跳躍してクレールの脚を斬りつけた。俺なら絶対に届かないが、ブーツに傷がついて血が滲むのが見えた。さらに縄梯子を鷲掴みにしてぐいぐいと振り回し、クレールを振り落とそうとする。クレールはからくも岩場の上に辿りついた。


 オロンゾの相方、サッコの姿が見えない。
 こちらの様子を隠れて見ていて、その辺からいきなり飛び出してくることもあり得る。俺はサッコの居場所が気になり、数歩退きながらさっと周囲に目を走らせた。しかしどこにもその気配がない。
 メイローは老兵のうち一人を仕留めたらしく、上半身を真っ赤に染めた山賊が仰向けに伸びている。残り一人と盛んに打ち合っていて、どちらかと言えば相手の山賊が息切れしてきているようだ。
 両手剣を失って二か所も刺されている若い山賊を、ジェラールはいまだに仕留められずにいる。片足で動き回る山賊に盾を拾われ、攻めあぐねている。助けてやりたいが、今は無理だ。


 もう片方の岩場から降りてきたトーリンがオロンゾの背後に詰め寄った。兄弟のドゥッテを半殺しにされて頭に血が上っているようだ。トーリンがオロンゾの腰、草摺りの隙間を狙って突いた剣は、振り向きざまにオロンゾが繰り出した剣にものすごい勢いで弾かれた。
 俺はオロンゾの剣捌きを目に焼き付けた。手首の捻りを効かせてトーリンの片手剣の重心をしたたかに打ちつけている。トーリンの剣は背後の方に飛んで行き、トーリンは反射的に腰から短刀を抜いて構えると、後ずさりを始めた。


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