暗がりに少年と老人がいる。
 風が全くなく、空気がひんやりしているので地下にいるようだ。二人は石の階段を上っていて、天井近くに四角い輪郭で光が漏れている。暗さに目が慣れていないのに、俺にはこの二人が誰だか判っている。老人は魔法使いのイシリオン。少年はケレブラント、またの名をファインマン。年は違えども二人ともエルフだ。
「ロミルワスを切りなさい」
 前に立った老人が振り返って少年に命じた。ケレブラントは「はい」と返事をして手にした杖をすっと横に振った。俺には何の変化も見えなかったが、少年は慌てて壁を手探りした。


「ここから地表に出られる」
 老人が天井に手を添えて持ち上げた。跳ね上げ戸だ。蝶番のきしむギイイという音が狭い空間に響いた。同時に太陽の光が入ってきて、少年は手で目を覆った。暗闇の中に居続けた者にとって、その光は粘り気があるかのように空間を満たす。やがて眩しさに慣れると、人が一人やっと通り抜けられるほどの隠し通路が開いているのが見えた。
 イシリオンは銀髪を後頭部でまとめ、一本にして背中に垂らしている。色褪せた薄紫のローブを羽織り、手には瘤のついた杖を握っている。イシリオンが階段を上り切ったところで戸を支えているうちに、短めの銀髪を綺麗にくしけずったケレブラントがその下をかい潜った。葡萄色の真新しいローブを纏ったケレブラントが開口部から離れるのを確かめてから、イシリオンは戸を手放した。跳ね上げ戸が床に落ちて閉まる瞬間に風が立ち、砂埃が舞い上がった。


 イシリオンは杖を脇に挟んで両手の汚れを払った。その様子を純真そうな瞳でケレブラントが見上げている。
「カオカのあった場所だ。コボルトが出るから一人では来ないように」
 ケレブラントが周りを見回した。四方を真白い壁に囲まれた薄暗い部屋だ。
「防御の呪文を唱えますか?」
 少年が細い杖を少し持ち上げると、その先端がうっすらと光るのが見えた。イシリオンが首を振って答える。
「わたしのマポーフィスがまだ残っている」
 イシリオンが扉の把手に杖で触れると、カチャリという音がした。老人が周囲の物音に気を付けながらそっと扉を開くと、森の香りがする空気が入ってきた。扉の向こうには天井の一部が残っている東屋が見える。タペストリのように見えた極彩色の天幕はまだ張られていない。美しい芝生に覆われた遠見の丘も見える。その先にカオカの街並がひろがっている。まだ壁の白さが目につき、倒壊していない建物が幾らか残っている。


 俺は何とも不思議な気持ちを味わいながら、二人の後に続いて半分壊れた建物の外に出た。
 ケレブラントが左手で目の上に庇を作り、少年らしい瞳に好奇の色を浮かべて無人の街並みを見回している。俺はケレブラントに昨夜会ったのだが、ずっと老けていた。エルフの面相で四十に見えたということは、この光景は少なくとも何十年、或いはそれ以上昔のことなのだろう。イルファーロが王軍に包囲されるよりずっと前で、ケレブラント少年は自分がファインマンを名乗らねばならなくなることをまだ知らない筈だ。
 声を発するのが恐ろしいので黙っているが、目の前にいる少年に、君はリュートを弾いたことはあるかい、と聞いてみたい。君はなかなかの歌い手になるぞ。
 いや、俺は恐らくここでは声を出せないのだろう。足元を見下ろすが、自分の足が見えない。俺はただの視点としてここに浮いているようだ。


 イシリオンは扉を閉め、再び把手に杖をつけた。カチャリという音がする。扉が開かないのを確かめてから、イシリオンはおもむろに振り向いた。額や目尻に細かい皺が寄り、眉毛が幾筋か長く伸びている。薄い唇は引き絞られていて、表情は微動だにしない。明るい陽射しの下では銀髪に白いものがちらほらと混じっているのが見えるが、周囲を確かめる目は狩人のようだ。油断なく警戒しながら、少年の肩に手を乗せる。
「さっきの道をまっすぐ行けばシラルロンデまで行ける。この次は少し遠出をしてみよう」
 ケレブラントが老人を見上げて嬉しそうに頷いた。この二人はどうも師弟関係にあるようだ。
 イシリオンは一体どれ程の年月を生きているのか。昨夜、ニルダの杖に触れた時には、イシリオンとケレブラントが一緒のパーティーで森を進む光景を見た。その時のケレブラントは立派な青年であったが、イシリオンはあまり変わらない容貌をしていた。


 二人に並んでカオカ遺跡を眺めていると、唐突に世界が揺らいだ。
「セネカ! どうしたの?」
 フィアの大きな声が耳元で聞こえる。肩を掴まれ、体を揺さぶられている。イシリオンとケレブラントを見ている窓がぐらついて色褪せた。背後にあった窓が大写しになり、フィアが俺の顔を覗き込んでいるのが見える。ルメイも何事か俺に問いかけている。
 気が付くと俺は片膝をついて目をつぶり、こめかみを指で押さえているところだった。左手には小さな瓦礫を握り込んでいる。俺は瓦礫を投げ捨てて立ち上がった。頭のどこかに小さく映し出されていたイシリオンの背中がふっと消えた。
「すまない、ちょっと立ち眩みがした」
「もしかしてさっき怪我をした?」
 フィアが間近で俺の目を見ている。
「いや、大丈夫だ」
 俺は自分の背嚢をルメイから受け取った。そしてその重さに思わず唸りそうになった。


 背嚢を足元に置いて二人に声をかけた。
「少し休憩させてくれるか?」
「もちろん。そうして」
 フィアが気遣わしげに言う。俺は頷いて瓦礫に座りこんだ。
「無理しなくてもいいのよ。今日は街に戻って、明日出発にしても全然かまわないんだから」
「少し休んだら楽になる。今日は何とかカオカ櫓まで進んで、あの辺りで野営しよう」
 ルメイが俺の横に座り込んで大きく溜息をついた。そう言えばルメイの背嚢が一番重いのだ。フィアも瓦礫に腰を下ろして小手を外した。背嚢から何かの袋を素手で取り出し、袋を腿の上に乗せてから、手のひらを打ち合わせて清めた。
「手を出して」
 フィアが袋の中に入っているものを俺とルメイに一つずつ分けてくれた。指先ほどの大きさの、アーモンド型をした白い飴だ。口の中にぽんと入れると、甘くて薄荷の香りがする。
「うまいな」
 ルメイは口の中でコロコロと飴を転がしている。
「今朝、出がけにエリーゼさんがくれたの」
 フィアも飴を一つ口に入れると、にっこり笑って頬を膨らませた。


 鼻に抜ける薄荷の香りを味わいながら目をつぶる。
 さっき俺は呆けたように幻を見ていたが、あれは昨日の夜にニルダの杖から授かった能力だろう。ケレブラントは意を汲む力と呼んでいた。何の変哲もない瓦礫に触れたことがきっかけになったようだ。
 それにしても……。
 思わず笑い出しそうになるのを堪えた。こんな訳の判らない能力を呉れと言った覚えはないぞ。その辺の石ころに触れるたびにこんな目に会うなら、俺はまともな人生が送れそうにないじゃないか。さっきのは何かの啓示なのか? この下に地下道でもあるのか?
 俺たちはこれから大急ぎで呪いの森に向けて発たねばならない。こんなタイミングでよしてくれ。だいたいにしてルメイとフィアに説明が出来ない。龍だの神託だのという話を始めたら、頭がおかしくなったと思われるだろう。


 口の中で飴を転がしながら斜めに空を見上げる。
 イルファーロの空の上に、今もいるのか、龍よ。お前が何を食べているか知らないが、地を這う哀れな俺たちは毎日飯を食わねば生きてゆかれない。大いなる意志とやらを俺にぶちまけるのは暫く待ってくれ。俺たちの暮らしが立って余裕が出てきたら、いよいよお前さんの話を聞こうじゃないか。それまでは今みたいのは勘弁願いたい。
 オロンゾと切結んでいるような時にあんなものを見せられたら、命が幾つあっても足りないではないか。そうだ。この事はもっと真面目に考えておかねばならない。と言っても、防ぎようはなさそうであるが。


 俺に何の宿命を背負わせたつもりか知らないが、お生憎様なことだ。バロウバロウをもってしても、俺は自分の胃袋を優先させる。期待を裏切っているような気がして少し苛立たしいが仕方ない。ぎゅっと目に力を入れて薄雲の浮かぶ空を睨み、取り敢えず俺は金ピカツノムシを狩りに行くからな、と念じる。風が吹いてふわりと前髪が浮いた。
 その瞬間、ぐらぐらっと地面が揺れた。まだ倒壊していない建物の柱から砂塵がぱらぱらと落ちてくる。
「うわっ、地震だ」
 ルメイが両手を彷徨わせて掴む場所を探した。フィアも腰を浮かせて様子をみている。しかし揺れはすぐに収まった。
 そして俺は本格的に笑いを堪えねばならなくなった。ケレブラントのエルフ語が理解できたように、俺には判ったのだ。地を揺すって答えたバロウバロウの言葉が。龍は、後で、という意味のことを伝えてきた。


 堪えきれずにくつくつと忍び笑いを漏らした。
 どうもその宿命は、世界を救うような重大なものではなくて、年老いた龍に酒を買ってくるくらいの話らしい。あるいはこうだ。何日か、何か月か、それ位の時間は龍にとって刹那に過ぎないのだ。いやいや、いっそこう言った方がいいのかも知れない。この世のことなど、龍にとっては些細なことなのだ。
 笑えなくなって無言で立ち上がった。
 この大地を通じて、俺はいつでも龍と繋がっているのだ。俺をなぶるこの風は、今も龍に届いている。神託も、意を汲む力も、夢や幻ではなかった。龍の声に滑稽なところはなかった。そこにはいっそ、諦めと憐みが漂っていた。
 昨夜見た龍の瞳に宿っていた深い闇を思い出す。


 心配そうに俺を見ているルメイとフィアのために、今日はもうひと頑張りしなければならない。
「ぐずぐずしてすまなかった。そろそろ出発しよう」
 俺は首だけで振り向いて、さっきイシリオンとケレブラントが地下から出て来た辺りを一瞥した。あの瓦礫を全て取り除いたら、おそらく地下に通じる隠し扉があるのだ。だがその探索はまた今度にしよう。今は金ぴかツノムシの狩場へ行くのが優先だ。
「本当に大丈夫?」
 フィアがそっと聞いてくる。
「ああ」
 ルメイとフィアに向き直って続ける。
「帰り道にもここに寄ろう。その時は宝物を両手に抱えているだろう」


 東屋の柱を回り込んで緑の丘を北西に降りる方へ歩き始める。目の前には下草の生い茂る斜面がなだらかに続いている。
「そうだな。虫の甲羅をどうやって売り抜けるか、今から楽しみだ」
 ルメイの声に活気が満ちている。
「狩場を見たら二人とも驚くわよ」
 フィアの声も明るい。
 背嚢の帯は重く肩に食い込んでくるが、冒険が待っていると思えば体が自然と前に進む。フィアが単独行動を捨てて荒くれ者に声をかけねばと思い立った狩場がどんな場所か、何としてもこの目で見てやる。


→つづく

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