坂道を上るとカオカ櫓がよく見えた。
 四本の柱からなる櫓で、筋違がむき出しに並んでいる。櫓の大半は骨格だけの姿を晒していて、風が吹きぬけている。しかし地上部分と中央付近、それに頂上部分には床が張られ、四方を壁で囲ってある。宙に浮いた直方体の側面には跳ね上げ窓が設けてあり、下から上まで荒削りな階段でつながっているのが判る。
 櫓は崖の先に建てられていて、その手前は敵が寄り付けないように柵をめぐらせてある。柵は先を尖らせた身の丈ほどもある木杭からなり、出入り口に門がある。マントを風に棚引かせたコルホラ隊長が、大きな扉の片側を押し開けた。


「本当は誰も入れてはならんのだが」
 開いた扉の前で振り向いたコルホラ隊長が、身を反らせながら俺たちの顔を見渡した。隊長は灰色の髪をごく短く刈り込み、顎から頬をうっすらと不精髭が覆っている。片方の目尻が少し下がり、同じ方の口の端が少し上がっている。これがこの人のいわゆる無表情という奴なのだろうが、軽い苦悶の表情にも見える。砂塵舞う荒野に相応しい面相だ。
「久しぶりに客人をお迎えすることにする」
 片手を振って俺たちを招き入れる手真似をし、わずかに身を屈めたので、腿まである革の胴衣の前が開いた。胸元に大きな百合の紋章が浮き彫りになっていて、この人が遠く離れた王室に仕える身であることが判る。
「それではありがたく」
 一礼してコルホラ隊長とウァロックの後に続いた。全員が柵と崖に仕切られた敷地に入ると、ウァロックが背後に回って扉を閉め、閂を渡した。ゴトンという武骨な音が響く。


 これはまるで塔ではないか。
 日が傾いて崖の上が斜陽に包まれているのに対して、間近に見る櫓は西日をまともに受けて照り映えている。曇り空に聳える明るい櫓の向こうには、崖下にひろがる丘陵地帯が霞むほどの広がりをみせている。見渡していると、岬から海を眺めているような気持ちになってくる。
 この櫓はイルファーロを王が治め始めた頃に建てられたと聞くが、国境の物見櫓だったのに違いない。もしカオカ周辺に事があれば、直ちに警報を出すのが元々の役目だったのだろう。


 櫓の横手に倉庫があって、コルホラ隊長と同じような装備をした数人の男たちが櫓の基部へ大きな薪を運び込んでいる。櫓の上の方から掛け声がかかり、薪を乗せた床がすっと浮くのが大きな開口部から見えた。どうやら巻き上げ機が頂上についているらしく、人の掛け声に合わせて弾みをつけながら荷台が上昇していく。視線を上に伸ばしていくと、筋違だけの骨格部分を含めてロープが上から下まで通っているのが見える。荷台の通るシャフトが貫通しているのだ。
 荷扱いをしていた男のうち一人がこちらに気付いた。コルホラ隊長を見て作業に戻ろうとしたが、俺たちの姿を認めて二度見している。その視線がフィアに張り付くのが判った。フィアは初めて間近に見る櫓に驚いている様子で、空を見上げながら歩いている。体の大きなルメイと並んでいるのでいかにも華奢に見える。薪を手にしたままの衛兵がまだフィアを気にして見ているが、俺も兵舎に長いこといたので気持ちは判る。こういう場所に女は珍しい。


 コルホラ隊長の後について櫓の一階部分の扉から中に入る。
 柱が天井を貫いて空まで伸びていることを除けば、普通の木造の部屋に見える。ただし壁は荒削りで、手の届く高さまでは傷だらけである。壁際には樽と瓶が置かれ、厚手の袋が積み上がっている。袋に染めつけられた商標から、それが穀物であることが判る。
 壁のフックには荒研ぎの手斧がぎらついた刃を並べている。建物の中は内壁で大きく区切られていて、さらに奥に続く扉がある。扉を抜けると細長い廊下に天井まで続く階段がある。細い階段をコルホラ隊長が先に立って登り、天井にある跳ね上げ戸を上げた。隊長がそれを支えてくれている間に、俺たちはそこをくぐって天井部分に出た。
 ふと、遠見の丘で見た光景を思い出した。あの時は年老いたイシリオンがケレブラント少年のために跳ね上げ戸を支えていたのだった。


「高いなこれ!」
 ルメイが周囲を見渡すなり腰を落とした。俺たちは建物の一階部分の屋上に立っている。四方に柱が立っていて、それを筋違が支えているのが見えるが、それ以外は吹きさらしになっている。視線を横に向ければ、丘の連なる荒野を眼下に見下ろすことができる。見ているうちに宙に浮いているような気持ちがしてきた。強めの風が一吹きして櫓が軋む。
「この階段は一人ずつで頼むよ」
 コルホラ隊長が中空に向けて伸びる階段の手前で振り返って声をかけた。床面に硬い毛並みの泥除けが敷いてあり、俺たちはそこで靴の泥を落として順に階段を上った。階段は何度か作り直しているようで、コールタールの塗られた手摺から独特の匂いがしている。
 階段は中空の部屋の床面に開いた穴へ吸い込まれるようにしてつながっていて、登りきると風雨を避ける小さな部屋がある。小さ目の扉を開けて隊長が先に入っていった。扉の先からくぐもった声で、荷物は入口に置いてくれ、と言うのが聞こえた。


 部屋に入るなり思わず立ち止まった。
 内壁で仕切られた十歩四方程の部屋には、赤い絨毯が敷き詰められている。赤とは言っても赤錆色に近い落着いた色で、近衛の師団長が羽織るコチニール染めのマントと同じ渋みのある色をしている。
 壁は明るい木肌色をした化粧板が張られ、鮮やかな木目を見せている。中央に大きな丸テーブルが置かれ、背もたれのない椅子が数脚並べられている。二方の壁に跳ね上げ窓があり、両方とも開いていて景色が見える。前景に荒地が、地平にカオカ遺跡が見えるのでここは南東角にあたるようだ。


 南向きの窓の手前に事務机が置かれ、書類と羽根ペンと水差しが置かれている。袖机の上には封蝋とスタンプが鎮座している。白い上質の封筒に、鮮やかな赤い蝋で封印してあるものが何通か見える。
 内壁には作り付けの棚があり、葡萄酒と思しき瓶が並べられている。綺麗に並べられた高さの違う瓶は、窓から入る光を受けて色とりどりの影を壁に投げている。
 棚の隅の方には革装丁の本が何冊か寝せてある。栞が何枚か斜めにはみ出していて、本は埃を被っていない。擦り切れた金箔文字で、「ディメント正史」、「ギュルヴィたぶらかし」、「狂王の試練」といったタイトルが見える。守備隊長殿はなかなかの読書家のようだ。
 コルホラ隊長が蝋燭の灯りでページをめくっている情景を思い浮かべた時、この地に訪れる夜の深さを思った。今は昼だから殺風景とはいえ景色が見える。しかし夜ともなれば、この櫓は闇に沈むだろう。見渡す限りの土地に人家も何もないのだから。


 外向きの壁には槍が一本と剣が二振り水平に掲げてあり、これはイルファーロの衛兵たちと同じ装備だ。槍先の木の葉型のブレードは湿気たような鈍色に光っていて、手入れを怠っていないのが判る。
 壁の空いた部分には小さいながら肉厚の額縁に収められた絵画が掛かっている。輝くような白亜の帆に風を受けて入江を進む一層の船を描いた油彩画で、遠景に緑の丘が描かれている。新緑と帆の対比が鮮やかで、清涼としている。
 諸侯の屋敷を彷彿する。
 荒地に突き出た岩場の上に、このような瀟洒な部屋が浮いていると思うと不思議な気持ちになる。後から入って来たルメイとフィアに少しずつ部屋の中に押し出されながら、三人で呆けたような顔をして部屋を見回した。


 コルホラ隊長は壁際から一本の瓶を取ると、入口の辺りに突っ立っている俺たちに向かってテーブルを手で示した。
「私の部屋だ。座って寛いでくれ」
 荷物を置いた俺たちがこわごわと席に着くと、コルホラ隊長はウァロックを含めて五つの杯に葡萄酒を注いだ。俺は探索中に酒を飲むことを認めていないのだが、口には出さず、取り敢えず神妙な顔をして杯を見下ろした。コルホラ隊長も席について杯を手に取った。
「心配しなくていい。お互い仕事中だ。これは発酵させる前のごく弱い葡萄酒だ。喉が渇いているだろうから、どうぞ遠慮なく」
 コルホラ隊長がぐっと一口飲んでから続けて言う。
「ごく稀にこれより多少発酵させたものを飲む場合もあるがな」
 コルホラ隊長が冗談めかして言うと、ウァロックが羽根ペンを構えながらおうむ返しに訊いた。
「ごく稀にこれより多少発酵させたものを飲む」
「それは記事にするな」
 二人が睨み合いの末に笑い始めたので、つられて笑ってしまった。頂きますと言ってルメイとフィアが飲み物を口にした。


 俺は取り敢えず杯を口につけたが、飲む振りにとどめた。
 疲れた時に飲む酒は回るのが早い。山賊の話をさんざんさせられた後に敷地から追い出されたら、疲れと眠気に抗いながら苦労して野営の準備をしなければならなくなるだろう。ルメイが杯を干してプハァなどと言っているのが聞こえてきて、気が気ではない。
「それでは、後はウァロック君に任せた」
 ウァロックが身を乗り出すので、俺は慌てて口を挟んだ。
「話の前に隊長にお願いしたいことがあります」
 椅子に背を預けていたコルホラ隊長がテーブルに肘をついてこちらを見た。
「何かな」
「もう日も傾いていてこの後すぐに野営の準備になりますが、敷地の隅をお借り出来ませんか?」
 コルホラ隊長は「ああそうか」と言って窓の外を見た。黄昏ているわけではないが、午後の陽は柔らかく丘を染めつつある。隊長は目を細めながら暫く窓の外を眺めた。


「そうだな。この奥に宿直用の粗末な寝床がある。三人だと少し狭いかもしれんが、まあそこは旅慣れた皆さんのことだ。良かったらそこで泊まったらいい」
 望外の言葉に驚いた。
「よろしいのですか」
「本来は部外者を入れてはならんのだが、娘さんもいるようだし、構わんよ。泊まるのであれば、汲み上げた水や厨房を使うことも許そう」
 ウァロックが手を打って喜んだ。
「それはいい。食堂で一緒に夕食をどうぞ。女性と一緒なら衛兵たちも喜びますよ」
 ウァロックがフィアを見て言うので、フィアは笑って首を傾け、すぐに顔を伏せた。照れているのだと判って俺も楽しい気分になる。


 コルホラ隊長が顔を引き締めて言葉を続けた。
「ただし灯火信号を出すから暫くの間うるさいぞ」
「篝火を焚くのにそれほどの音が?」
 俺が小首を傾げて尋ねると、コルホラ隊長は意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「見たことがないのだから仕方ないか。灯火信号を出すということは、読上げ係が数字を叫んで、太鼓打ちが拍子を取って、竈番がふいごを踏んで、四人で重い開閉器を操作する、ということだ」
 俺は面食らった顔をして見せた。随分と大掛かりなことだ。コルホラ隊長はなぜか嬉しそうに頷いている。
「静まるのは夜が更けてからだ。それでも構わんかな?」
「構いません。ありがとうございます」
 一泊分の心配が失せて思わずほっとした。ようやく酒を口にする気になって杯を口に運ぶ。確かに、これは葡萄の絞り汁のようなものだ。酒でなくて結構。舌に軽い味わいで、酸味と甘みが疲れた体に染みるようだ。


 それから、ウァロックと山賊の話をした。
 ウィリーとジェラールのパーティーが奇襲を受け、二人の剣士が殺されたこと。マシューが走って知らせに来たので、共闘の約束もあり仕方なく二枚岩まで戻ったこと。メイローという屈強な戦士が賞金首を二人も倒したことなどを順に話した。
 その二人というのが、鷲鼻のウーゴと皮剥ぎのマカリオであることを告げると、ウァロックは机を手の平で叩いてから親指をぐっと立てた。彼の知り合いも何人かやられているということで、こんなところで大いに溜飲を下げているのだった。
 サッコとオロンゾが戻って来たけれど、取り逃がした事、最後の方で賞金稼ぎのスミスとジェフリーが駆けつけてくれたことも話した。一方で自分のことはなるべく目立たないように脚色した。ただし、嘘をつくわけにはいかない。どのみちスミスやウィリーたちがイルファーロにいる記者に同じような話をしている筈だ。それと大きく食い違わないようにしなければ。


 帳面をパタンと閉じたウァロックが満足そうな顔をした。
「詳しい情報をありがとう。お蔭でここの櫓から今夜速報が打てるし、活版刷りの方も明後日には出回るよ」
 俺は真意が伝わらないように、いかにも浮足立った風に訊いてみた。
「速報って、どんな記事?」
 ウァロックは頷いて再び帳面を開いた。
「灯火の速報は細かいことは伝えられないね。カオカ遺跡に山賊現る。サッコとオロンゾ、他四名。冒険者は三パーティー十三名。死亡二人、重症一人、軽傷一人。山賊四人討伐、うち二人は手配者。こんな感じかな」
 内心ほっとしながら、ひとしきり感心して見せた。灯火と暗号だけではそれ位が限度のようだ。文字になる新聞記事の方も気になるが、これは俺があれこれ口を出しても無駄だろう。


 ウァロックが道具を腰の物入れに仕舞って席を立った。
「それでは、日が暮れないうちに本部まで原稿を届けに行きます」
「俺は全部終わった頃にのこのこ行っただけだから、くれぐれも他のパーティーの話をうまく書いてくれよ」
「山賊相手に丁々発止! てな感じで書いておきますか?」
 ウァロックが剣を振り回す仕草をして悪戯っぽく笑うので、首を振ってみせた。
「後で恥をかくからやめてくれ」
「判りました。記事はあくまで事実をね」
 ウァロックが席を立って入口のドアに向かうと、ルメイが声をかけた。
「一人で大丈夫?」
 ウァロックは入口で振り返った。
「明るいうちに馬で行くなら大丈夫。道は毎回変えてるしね」
 そう言って部屋を出て行った。


 コルホラ隊長が葡萄酒の瓶を棚に戻した。
「さて。そろそろ皆さんには食堂に降りてもらおう。私も一緒に行く」
 隊長が先に立って入口に向かうと、ルメイとフィアも腰をあげた。
「わたしたち自分の食べる物は持ってきてますから、厨房だけ少しお借りできたら、お手間は取らせませんよ」
 フィアが俺たちの杯を手元に集めて言った。
「それはそこに置いておいて。今日の食事の当番に言って君たちの分も作らせる。なに、大所帯だから少し増えても何でもない」
「なんだか申し訳ないですけど」
「遠慮しなくていい。ウァロック君に付き合ってくれた礼だよ」
 俺たちは荷物を置いたまま、コルホラ隊長の後について櫓の一階まで降りた。


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