「ちょっとセネカ、場所代わって!」
 革鎧を脱いだ俺たちはさっそく寝床に這い上がった。俺はフィアに気を使って彼女を端にした。しかしフィアは真ん中が良いらしく、腕を畳んでくるっと回ってきた。立ち上がれば頭をぶつけるような天井の低い寝台で、上体をかがめながらフィアを跨いだ。寝床には布袋に藁を詰めたものが敷かれていて、足の裏にふかふかと柔らかい。俺は隅っこで横になり、使い古しだが清潔な毛布を体にかけた。確かに三人だと少し狭い気もするが、野宿と比べたら雲泥の差だ。


 真ん中に陣取ったフィアの目当ては跳ね上げ窓のようだ。
 さっそく木板の窓を押し上げてつっかえ棒を溝に嵌めている。ひんやりとする夜気が肌を撫でる。フィアはうつ伏せになり、組んだ指で顎を支えている。
「子供の頃、こういうの夢だったの。絵本で読んだことない?」
 俺は少しだけフィアの方に寄って窓の外を覗いてみた。星の瞬く夜空と、真っ暗な地平がひろがっている。見下ろせば篝火が一つあり、崖の手前にめぐらせた柵と踏み固められた敷地の一部がかろうじて照らし出されている。音が絶えたので、どこかで馬がぐずるように足を踏み鳴らし、鼻を鳴らすのが聞こえる。だが、それだけだ。


「真っ暗で何も見えないじゃないか」
 フィアがこちらに顔を向けて悪戯っぽく笑った。
「ナナは町はずれに住んでて、兄弟が沢山いるから屋根裏部屋で寝ているの。一人で寂しいから夜中に物音ですぐ目が覚めちゃう。それでベッドのそばにある小さな窓を開けると、月明かりの下、お庭とか森に色んなものが見えるのよ」
 フィアがちらっと俺の顔を見るが、そんな話に思い当たる節はない。
「道に迷って仲間の元に帰れなくなっちゃった木苺の精が、花壇の柵の上に腰を下ろして泣いてるの。ぼうっと微かに光ってて、すぐに花の精と判るのよ」
 これで思い出したでしょう? という顔をしてフィアが俺を見るが、曖昧に笑うことしか出来ない。


「三角屋根のナナ、だね」
 ルメイがあくび混じりに言う。フィアがぱっとルメイを見た。
「そうよ、ルメイは知ってるのね。皆が寝静まった頃にこっそり起き出して読んだの。今でも挿絵を覚えてる。小さくてとっても素敵な窓。わたしの寝室には窓がなかったんだけどね」
 フィアは窓が気に入ったらしく、曲げた脚を動かしながら再び外の景色に魅入っている。こんな荒地に花の精はいるだろうか。俺はフィアの細い足首と尖ったくるぶしを眺めながら、そっと左肩を動かしてみた。根強い鈍痛がはびこっている。


 フィアは図らずも裕福な家に育ったことを吐露している。
 例えば俺の父は農園主で、五人いる兄弟は何不自由なく育った。王侯貴族の贅沢な暮らしには及ばなかったが、生活に事欠くことはなかった。それでも自分の部屋を持つ兄弟はおらず、寝室は共用だった。夜中に起き出して蝋燭など灯そうものなら、たちまち止められただろう。そもそも父の部屋に幾らか本があったくらいのもので、子供が読むような本は見たこともなかった。


 眠そうな顔をしたルメイが寝返りをうち、組んだ手を後ろ頭に当てて天井を見上げている。
「こんな風に寝床に二人も三人もいると、床入りの夜を思い出すな」
 初夜の迎え方にはその地方独特の習わしがあり、酒場などでは冗談まじりに話題になることがある。しかし今までルメイとはそんな話を一度もしたことがなかった。今夜はどうしたのだろうか。重い荷を背負って歩き回ったので、発酵の度合いが低い葡萄酒で酔ってしまったのだろうか。
「ルメイの住んでた辺りではどんなだったの?」
 フィアが窓の外を見ながら尋ねた。


「新郎と新婦の友達が大勢で寝室に連れていくのさ。ところが皆ひどく酔ってて寝室からなかなか出ていかないんだよ。仕方なく、お前らいい加減に出ていけ、て言う羽目になったよ」
 ルメイがくつくつと思い出し笑いをしている。
「ルメイ?」
 フィアがうつ伏せのまま大きく上体を反らせてルメイを見た。俺も体を起こしてルメイを見た。
「お前、結婚してたのか?」
 ルメイが目蓋の落ちそうな目でゆっくりとこちらを向いた。
「言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!」


 俺とフィアの視線を受けながら、ルメイは体をもぞもぞと動かして壁の方に寝返りを打った。そのまま寝てしまうようだ。
「ちょっとルメイ、奥さんはどこに置いてきたの?」
 それを訊くのはどうかな、と思った。長い間伏せていたのだから、何かしら隠したい理由があるのだ。例えば、愛想を尽かされてしまったとか。
「今日は眠いから、今度ゆっくり話すよ」とルメイが言った。
「水臭いわねえ」
 フィアは答えを強いはしなかった。


 ルメイは本当に寝てしまったようだ。ゆったりとした寝息が聞こえる。フィアは両手を伸ばして頭をこてんと横倒しにした。
「でも冒険者ってそういうものよね」
 フィアの言葉はほとんど囁き声だ。そのまま欠伸をして猫のように体を丸めている。やがてフィアも寝息をたて始めた。
 俺はフィアの髪に触れないように気を付けて体を伸ばし、跳ね上げ窓を閉めた。涼しくてよい風だが、一晩あたっているとだるくなる。体を反対に倒して手を伸ばし、梯子のそばにある燭台の蝋燭を揉み消した。背中をぐっと壁に押し当てて身を伸ばし、毛布を首まで引き上げた。入口に蝋燭が一本ついているだけで、部屋はほの暗さに満たされている。フィアとルメイの毛布に包まれた体がぼんやりと闇に浮かんでいる。


 いつか俺も秘密を話して二人に受け入れてもらえたらいいなと思う。
 サッコとオロンゾのように懸賞金をかけられてはいるが、悪いことはしていない、などという虫のいい話を信じてもらえるだろうか。ルメイもフィアも、俺の寝首を掻いて金を手にしようとするような人間ではない。だからといって、手配されているけれど悪人ではないと言い逃れる自分の言葉を、できれば聞きたくない。俺を手配した奴が間違っているのだ。そう思えばまたぞろ怒りがぶり返しそうになるが、やめておけ。こんな疲れた夜に。


 やがて闇に目が慣れて、薄手の毛布を砂丘のような稜線にへこませているフィアの細い腰が見えた。いつかフィアも、なぜずっと一人で狩りを続けてきたか話してくれるだろうか。瞼がぐっと下りてきて、睡魔が柔らかな毛皮のように全身を覆ってくるのが判る。背嚢の重さに背中は疲れ切っていて、腕はだるく、目をつぶれば吸い込まれるように寝てしまうだろう。あまりの静けさに、微風が建物を撫でる音が聞こえてくる。目がとろんとしてきて、寝台の底に沈みこんでいくような感覚を味わう。
 

 目を薄く開けたまま眠りに落ちる手前に留まっていると、毛布の内側にぬくもりがひろがるのが判った。自分のゆっくりとした吐息の音がする。この世界で目を覚ましているのは俺一人という気がしてくる。


 今日は死人を見た。
 はじめは息をして動き回っていた。その後、そいつは地面に横たわって死んでいた。開いた口に蠅がたかっていた。今頃、死んだ奴らはびっくりしたように口を開けたまま、ぴくりとも動かずにあの盛り土の下にいるのだ。たった今この時も、この先いつまでも。
 幸いルメイは生き残った。寝息が聞こえる。フィアも生き残った。目の前で脇腹がかすかに上下しているのが見える。俺たちは今日も生き残ったのだ。二人に会えて良かった。俺はこいつらが好きだな。


 この夜は俺のものだ。
 俺は目をつぶって寝てしまってもいいし、あと少しだけ目を開けていて、二人の姿を眺めていてもいい。俺の好きなだけ。
 今日は疲れた。とても静かだ。



   *


 
 村の通りに人だかりができている。楽隊が来ているのだ。腰に吊るした小さな太鼓を叩いている男や、どこか厳めしい顔つきで縦笛を吹いている男たち。彼らは赤や黄色の模様が入った衣装に身を包み、体で調子を取りながら陽気な音楽を奏でている。
 人だかりの手前では道端に木のテーブルが置かれ、細長いパンを揚げて砂糖をまぶしたものが並べられている。鍛冶屋の奥さんが店番をしていて、手を伸ばしてくる村の子供たちにお菓子を手渡している。いつもより少しよそ行きの格好をした奥さんと、帽子を被った笑顔の子供たち。


 誰か知ってる人がいないか周囲に目を走らせる。収穫の終わった麦畑から教会の入口へ、林から小川へ。すると、通りから離れたひと気のない小さば橋の下に誰かいるのを見つけた。薄青色の上着と、胸元を締めている濃紺のボディスに見覚えがある。ミシェルは普段着のまま隠れるように土手に腰を下ろし、小さな釣竿を手に川面を見下ろしている。


 ミシェルは白いボンネットを頭に被っているが、こめかみの辺りから豊かな栗毛が流れ出て、溢れるように肩を覆っている。近寄ると警戒も露わに目を上げたが、俺だと判るとつと眉をあげたきり平気な顔をして釣りを続けた。まさにお澄ましミシェルだ。どうして久しぶりに会うような気がするのだろう。
「おはよう、ミシェル」
 ミシェルは浮きから目を離さない。
「静かにして、セネカ。魚が逃げるわ」
 なんとなく愉快な気持ちになって、ミシェルの隣にゆっくりと腰を下ろした。俺もじっと浮きを見る。沈黙に耐え切れなくなって囁いた。
「お祭だぜ」
 ミシェルは何も答えない。集中していて、怖いような顔をしている。
「こんなところで一人で釣りしてるの?」
「お祭なんて嫌い。父さんが朝から家にいるわ」
 ミシェルの父親は大酒呑みだ。俺はスンと小さく鼻を鳴らした。誰にも見られない日陰に座って、囁き声で話をしているのが秘密を共有しているようで嬉しい。


「ニジマス?」
 ミシェルが小さく頷く。何をエサにしているのか確かめるのにミシェルの向こう側にある木の椀を覗き込む。肩が触れ、ミシェルの髪が頬をかすめるほど近寄るが、ミシェルは何ともない顔をしている。幼馴染の髪の匂いがして、心がじんわりと温かくなる。真剣な横顔をちらっと見る。長い睫とそばかすの散った頬、細い顎。エサはマスコのようだ。一匹も釣れていない。


「もう少し上流に行ってエサを替えたらもっと釣れる」
 沈んでいたミシェルの表情がぱっと明るくなり、俺の顔を覗き込んでくる。
「詳しいの?」
「少しね」
「教えてくれる?」
「いいよ」
 ミシェルが糸を上げて道具を片付け始めた。俺はエサの入ったお椀と水を張った木桶を持ってやる。
「ありがとう」
 ミシェルがスカートを叩きながら礼を言う。汚れを落とすのにスカートを摘まんで上下に揺する。すんなりとした足首が見えた。


 二人で連れだって林に分け入った。
 灌木の茂みを覆っている山葡萄の葉を見つけた。紫に縁どられた幅広の葉を手で避けて蔓を追いかけると、茶色く変色して膨れている所がある。そこを折り取って二つに裂くと、中から小指ほどの白い虫が出て来た。
 ほら、と言って見せようとするが、ミシェルは羽虫を手で追い払いながらしかめ面をしている。蠢く虫に気付くとミシェルは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに「へえ」と言って何でもない顔をした。ふざけておどかす積りはない。こういう時に無理に虫を近づけたら嫌われるのを知っている。白っぽく濁ったマスコを水ごと藪に放ると、お椀の中に虫を枝ごと入れた。


「わたし虫なんて平気」
 ミシェルが手を伸ばすので、俺は虫のついた枝が数本入っている深めのお椀をそっと突き出した。ミシェルがそれを両手で受け取って虫を見下ろしている。頭が黒く、生成色をした節々を伸び縮みさせている虫は、安住の穴へ潜り込もうともがいている。哀れな虫と、それを見つめる少女の瞳。その細い腕を木漏れ日がまだらに照らしている。


 胸に熱したものを押し付けられたような気がした。俺は眉根を寄せて、思ったことをそのまま口にした。
「君は変わらないな」
 ミシェルが虫から目をはなして俺を見た。小首を傾げたので巻き毛が柔らかく流れる。
「なんの話?」
「俺は、自分が随分と変わった気がして」
 ミシェルの顔にほろ苦い色が浮かんだ。
「もうすアイトックスに行っちゃうからそう言うのね?」
 そうだ。俺はこの後、アイトックスへ行くのだ。眩暈を感じて目を細めた。ミシェルがうっすらと笑みを浮かべた。それはいっそ切ない。
「でもたまに戻って来てくれるでしょ?」
 答えることができない。俺はもう故郷に帰れないのだ。俺は手に持っていた道具を地面に投げ出してミシェルの両肩を


 誰か止めて!


 天空から女の声が響き渡った。
 俺は驚いて周囲を見回した。ミシェルにはこの声が聞こえていないようだ。ミシェルはぼそぼそと、王都には綺麗な人がいっぱいいると思うわ、などと言っている。俺は彼女の両肩を掴んで引き寄せた。
「すまないミシェル、俺はもう故郷には──」


 お願い、誰か止めて!


 どこか別の次元から、女の悲痛な声が響いた。
 切なそうに俺を見るミシェルの顔がどんどん薄らいでゆく。細い肩を掴んでいた俺の手は空を切った。羽虫の唸る雑木林も、木漏れ日が照らす温かい地面も、すべて歪んで散り散りになった。待ってくれ。もう少し、このままで……。



   *



 上半身を起こして目蓋を指で擦った。
 ここはカオカ櫓の中層で、俺はルメイとフィアと一緒に藁を敷き詰めた寝台で寝ている。何か夢を見ていたのだ。それを思い出そうとしても、指の隙間から水がこぼれるように記憶から抜け落ちてゆく。やがて薄暗がりの中に、体を固くして荒い息をしているフィアがいるのに気付いた。目は固くつぶっていて、どうやらうなされているようだ。夢の中で聞いた声がフィアの声であったことに気付いた。どうしたらいいのか。起こしてやった方がいいのだろうか。
 フィアの肩に手を伸ばそうとしていた俺は、途中でそれを止めた。


「兄さん!」


 フィアの張り裂けるような声に思わず顔をしかめた。俺はフィアの肩に手を置いて優しくゆすった。
「フィア、目を覚ますんだ」
 肩の筋肉がかたく張りつめていて、小さく震えている。何か恐ろしい夢を見ているのだ。
「フィア、起きろ」
 体を揺さぶると、フィアがぱっちりと目を開けてまともに目が合った。フィアは鼻息荒く肩を上下させているが、自分の胸を抱くような恰好のまま体をかたくして何も言わない。その瞬きもしない瞳から、盃を傾けたかのように涙がどっと流れ落ちた。フィアはまっすぐこちらを向いて横になったまま俺を見ている。その左目から目頭越しに右目に涙が入り、右目の涙を加えて右のこめかみへ流れ落ちた。


「悪い夢を見ていたわ」
 フィアが囁き声で言った。その目は俺を見ているようでいて、俺を通過して夢の場面を見ている。フィアは夢を覚えているようだ。フィアが身じろぎして体の感覚を取り戻したが、それでもまだ目を見開いたままでいる。それからいきなり、フィアの瞳がゆらゆらと波打ち、小さな流れのように両目をつたって涙が流れ落ちた。フィアが頬を付けた辺りのシーツがみるみる濡れていく。夢から覚めたというのに息をつめ、瞬きもせず涙を流し続けるフィアを、俺はどうしていいか判らない。


「眠れそうか?」
 俺はフィアの肩に乗せた手の指で軽くフィアを叩いた。
「もう大丈夫。ありがとう」
 フィアは一度きつく目をつぶって涙を振り絞ると、目を閉じた。俺はフィアから手を離す間際に、半ばフィアのため、半ば俺のため、細い肩を掌でそっと叩いた。
 フィアには兄がいたのだ。
 だがその話は自分で言いだすまで止めておいた方が良いだろう。フィアが良い夢を見れますように。そして俺はよく眠れますように。毛布を首まで引き上げて目をつぶると、眠りは音もなく訪れた。
 そしてこの夜、俺はもう夢を見なかった。と、思う。


→つづき

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