奇妙な風体の男が蜥蜴のように地を這っている。
 こちらの世界に入りこんだらまずはルメイとフィアがついてきているか真っ先に確認しようと思っていたが、体が透けてしまうので二人がどういう状態かは判らない。だが両手に二人の手を握っている感触があるから大丈夫だろう。声をかけて確かめようとした矢先に、目の前の珍妙な光景に思わず見入ってしまう。
 場所はまさにもともといた場所で、フィアが自分の小屋と名付けたあの建物の前である。季節は判らないが、うららかな陽光に包まれている。周囲の様子はそう変わらないので、ほんの数年内の光景のようだ。


 瓦礫の途切れた地面に四つん這いになっている男がいる。
 初め死んでいるのかと思ったが、そうではない。信じられない程ゆっくりと動いている。痩せた小柄な男で、肘や膝に大きな当て物がついた革鎧を着ている。剃りあげた頭頂がまともにこちらを向いていて、きれいに洗った根菜を思わせる。そうしてほとんど腹這いになりながら、地面に顔を寄せてナイフで小石をどかしている。
 もし姿が見えるなら、俺の顔にひろがった嫌悪が見えたことだろう。こいつは追跡者だ。噂には聞いたことがあるが、見るのは初めてだ。逃亡する者をどこまでも執拗に追いかけるのを仕事にしている。


「みつけたぞ!」
 蜥蜴男が自分の口の前に手のひらを当てながら怒鳴った。そうまでして地面の足跡に自分の息がかからないようにしているのだ。返事がないので、蜥蜴男は地に伏せたまま首をまわして背後を振り返った。その仕草はまさに蜥蜴だ。
「大きな声を出すな」
 建物を回り込んで男が姿を現した。金属の胸当てをつけ、短いマントとひとつなぎのフードを目深に被っている。近付くにつれ、フードから脂ぎった赤髪がはみ出ているのが見えてきた。腰には大小二本の剣を吊るし、脛まで覆う長いブーツを履いている。人を見下すような目つきをした三十絡みの男で、どこかで見たことがある。
 早業のムンチだ。
 スラムの馬小屋を発った時、ルメイに絡んできたのを追い払うのに剣を抜くところまでいったのを覚えている。ゴメリー親分の手下で、黒頭巾の一員だ。実際に会ったのは二日前だが、今見ている光景の中ではそれより少し若く見える。


 ムンチの後からふらふらとついてくるのは、まさに冒険者というなりをした男だ。擦り切れた革鎧に身を包み、日に焼けた顔をして、だらしなく不精髭を伸ばしている。その両手には厚い木板で作った手枷がはめられ、首に巻かれた縄の端をムンチにしっかりと握られている。
 一瞬これがクレメンスかと思ってその風体を確かめた。瞳の色は青いが、頭髪はかすれたような金髪で、なにより背丈が高いので別人であることが判る。見れば口に木切れを噛まされて声が出せないようにしてある。どういう状況か判らないが、完全に虜にされているようだ。


 蜥蜴男が地面の一ヶ所をぐるりと指でなぞってから、そこを踏まないようにして先に進んだ。肘と膝でにじり進む様子は人間には見えない。数歩先で再び地面に目を向け、ナイフで小突くようにしている。
「左足を少し引き摺ってる。カオカからの峠道が余程こたえたんだな」
 蜥蜴男はそのままするすると足跡を追って建物の窓の下まで来ると、ぐいっと頭を上げて壁を見上げた。
「大当たり。隠れ家だ」
 蜥蜴男は首を曲げてムンチを見ると、小賢しく注意した。
「その辺りは踏まないでくれよ」
「判った判った。中を確かめろ」
 ムンチは反対側の壁にある瓦礫に腰を下ろして面倒そうに命じた。そうして手にした縄を乱暴に引き寄せると、冒険者をそばに立たせた。蜥蜴男はまるでヤモリのような動きで窓の中に入っていく。不快このうえない。


 ムンチが冒険者の顔に手を近づけると、冒険者は唸り声をあげて身を反らせた。ムンチは縄をきつく引き寄せて口枷をずらした。
「もう一度訊くぞ。適当な事を言えば舌を切落とす」
 ムンチは綱を引いたまま、短刀を抜いてその刃を見せつけた。冒険者は唇をわななかせて頷いた。
「カオカの狩場で一緒だった男が、一人で峠道に向かうのを見た。そうだな?」
「そうだよ、嘘じゃねえ。パーティーが解散した後、みんな街に戻ったのに、一人でうろついてるからおかしいなと思ったんだ。狩場で見つけた金目の物を黙って独り占めする奴がいるから、こいつは怪しいなと思って──」
 ムンチが冒険者の頬に短刀の刃を付けた。
「余計なことを言わずに聞かれた事だけ答えろ」
 冒険者は震えあがって顔を反らせ、小刻みに頷いている。


 ムンチが冒険者を試すような口をきいた。
「そいつは栗色の髪をして、青い瞳だった。そして短剣を身に着けていた。それもちょっと高そうな奴を?」
「あんたが言ってるのがマルティンて野郎のことだとしたら、まったくその通りだよ」
「名前はあてにならねえと言っただろ!」
 一喝された冒険者は震えあがった。それからムンチは急に声を落として、内緒話をするかのように囁いた。
「帳面を持ってるのも見たんだな?」
 フードの下に見える冷酷な瞳が小さく光っている。
「ああ、見たよ」


 ムンチが黙ったままじっと見つめるので、冒険者はみるみる不安そうな表情になった。
「普通は見せないよな?」
 ムンチの表情が余りに残忍なので、口にしている言葉の意味を通り越して、殺すぞ、と言っているように聞こえる。目の前に突っ立っている男が呆けたように黙っているので、ムンチは苛立って声を荒げた。
「普通は、自分の持ち物を、他人に見せないよな?」
 早業のムンチと呼ばれる男が、短刀を持つ手にぐっと力を込め、歪めた唇を舌で舐めている。
「嘘じゃねえ! 本当に見たんだ!」
 冒険者の目尻にこんもりと涙が溜まってきた。


 ムンチが短刀を振りだして話の先を催促すると、冒険者は早口で喋り始めた。
「世の中には小狡い奴らがゴマンといる。そういう奴らは何でも独り占めしちまう。マルティンて野郎も取り柄のない奴だったのに、盛りのついた猫の金玉みたいにはちきれそうな金子袋を持ってた。腰に吊るした短刀も一山幾らの品じゃねえ。なんか隠してるのに決まってらあ。だから俺は、スラムの宿で一緒だった時、そいつの荷物をちょっとだけ覗いてみたんだ」
 フードの陰になって目は見えないが、ムンチが口の片方だけを吊り上げた。何も言わないが、呆れ顔で笑っているのだ。俺はこのムンチという男が好きになれそうにはないが、笑いたくなる気持ちは判る。この冒険者は泥棒野郎だ。


「ところが金も剣も肌身離さず持ってやがる! 荷物の中身は食い物ばっかりだ。でも本があった。もしかして宝の地図でもあるかと思ってめくってみたけど、数字ばっかり書いてあって訳がわからねえ」
 ムンチがぴくりと反応した。
「数字が沢山書いてあったんだな?」
「そうだよ。どこを見ても数字ばっかりだ。役に立ちそうもねえし、嵩張るし、それは返したよ。塩漬け肉を幾らか貰ったけど、それだけさ。あとは全部返した。金目の物は何も盗っちゃいない。ましてあんな本、貰ってもいらねえや」


 俺に備わったこの力の不思議なところは、こうして目の前にありありと光景が見えることだけではない。この冒険者に見覚えはないが、こいつがパーティーメンバーの持ち物を盗む手癖のわるい男で、キャスという偽名を使ってスラムとイルファーロに入り浸っていたのが何故か判るのだ。
 脳裏のさらに裏側、とでも言うべき心の天井裏のようなところでは、キャスが酒場でしみったれた飲み方をしながら、狩り仲間たちが足元に置いた背嚢を目で追っているのが判る。脇に矩形の小物入れが付いているのが誰それの荷物で、そこに今日の稼ぎの銀貨五枚が入っている、というようなことをしきりに覚え込もうとしている。宿に泊まってから小さな蝋燭の光で見定めるためだ。
 このキャスという名の冒険者は、盗みを働くうちにたまたまクレメンスの帳面を見つけ、その情報をムンチに流したのが運の尽きだったのだ。虜にされているのは同情するが、とても褒められた奴ではない。


 ムンチはしばらくキャスをほったらかしにして考えていたが、やがて口を開いた。
「それでお前は奴の後をつけたんだな?」
「そう、そう」
 捕らわれの身となったキャスが勢い込んだ。話すべき内容があるうちは自分に価値があることが判っているのだ。
「パーティーを解散した後に狩場でうろつく奴は、何かを拾いに行くか、隠しに行くか、どっちかだ。俺は奴が何か隠すなと思ったから、見つからないようにそっと後をつけた」
 ムンチが短刀の切っ先を振って続きを催促した。
「奴はカオカ櫓に入って行った。それっきり、出てこなかった」
「それきり?」
「そうだよ。入ったきり出てこない奴を、いつまでも待ってられる筈がねえ。そのうち俺も諦めて街に帰ったよ」


 建物の窓から蜥蜴男が丸い頭をひょっこり出してきた。
「ここで数日過ごした跡がある。食い物はたくさん持ってるみたいだ」
 ムンチがキャスから窓の方へ視線を移した。キャスは明らかにほっとしている。
「どれくらい前だ」
 蜥蜴男は振り返って室内を見回し、またこちらを向いた。
「一週間から一か月、てところ」
 ムンチが不服そうに、ずいぶん幅があるな、と呟いた。
「用心深い奴で、痕跡が残らないように後始末してる」
 ムンチがふむ、と言ったきり、三人とも黙り込んだ。


 やがて沈黙に耐えかねてキャスが手枷を差し出し、身震いしながら懇願した。
「もうこいつを外してくれ! この辺りは大所帯のパーティーでも危ないんだ。あんたらでもとても生き延びられないぞ」
 ムンチが瓦礫に腰を下ろしたまま、つと顔を上げた。
「これまで言ったことに、ひとつも間違いはないな?」
「何度もそう言ってる!」
「これより奥地に行ったことは?」
 気色ばんでいたキャスがきょとんとして、この奥? と聞き返した。
「この先は呪いの森しかない。そんな所へ何しに行くんだ!」
 キャスがわめき始めたので、ムンチが何を言っているのか聞こえない。ムンチは犬をしつけるように縄をぴんぴんと引いて自分の言葉に注意を向けさせた。
「そうするとだな、お前に物を食わせたり、引っ張り回したりする必要は、もうないんじゃないかな?」
 このムンチという男は根っからの性悪だ。そういう台詞の最後の方はいかにも楽しそうで、ニタリと笑って口を歪めている。


 ムンチが片手に短刀を握ったまま立ち上がり、左手に握っていた縄を何度か拳に巻きつけた。キャスが身を引くので、縄が二人の間にぴんと張られた。
「頼む、助けてくれ」
 キャスは手枷を突き出してムンチの短刀から身を守ろうとしている。しかし俺たちにはその背後が見えている。蜥蜴男が短刀を手にしてキャスの背中に忍び寄っている。ムンチが一歩前に出るのにつれてキャスが退く。その瞬間に、キャスの胸から白刃が飛び出した。キャスが振り向きつつくぐもった悲鳴をあげるが、急所を一突きされている。蜥蜴男もその筋の者なのだ。


 死体の首から縄を解いたムンチは、それを輪にして荷物に収めている。まったく動じた様子はなく、こういうのが日常なのだ。蜥蜴男は手慣れた様子で死体を検め、革鎧の裏に縫い付けた隠しの中から銀貨を数枚取ると、血塗れになったキャスの体を建物と瓦礫の間に押し込んだ。
「ここでやったのはまずかったか」
 蜥蜴男が地面に点々とついた血痕をナイフの刃で掬い取るようにして脇へ放り投げている。ムンチは瓦礫に腰かけながら無造作に答える。
「狩場の血なんて誰も気にしない」
 判るのはお前くらいのもんだよ、と言って肩を揺すって笑っている。


 ムンチは小さな背嚢を片方の肩に担ぎ上げると、マントの裾を払った。フードをめくり上げて手庇を作り、太陽の位置を確かめている。
「こんな所で何日も待ち伏せしてたら干上がっちまう。いったん帰るぞ」
 蜥蜴男が短く返事をして脇に置いていた背嚢を担いだ。こいつらはこれからスラムの黒鹿亭に帰るのではないのか。急いでも二日の行程だが、ムンチはほとんど手ぶらのように見える。蜥蜴男も驚くほどの軽装だ。どこかに馬でも留めてあるのだろうか。
「遠見の丘まで急いで取って返せば、今日のうちに戻れるだろう。露払い頼むぞ」
 蜥蜴男がさっと建物の角に取りつくと、左右を確かめてから身軽に瓦礫を越えて行った。その後をムンチも急ぎ足でついて行く。


 誰もいなくなった廃墟の一角に、まだ人の気配がある。
「もう、戻ったらいいのかな」
 ルメイの心細そうな声がする。お互いの声は聞こえるようだ。
「そうだな。今から手を強く握って元の世界に戻る。ゆっくり目を開けてくれ」
 帰り間際が難しいかもしれないので、俺は敢えてここに留まっていたが、案の定、ルメイとフィアは帰り方が判らないらしい。目をつぶったまま意識を集中させると、今見ている昼間の廃墟の光景の縁に、窓枠があるのが見える。さらに後退するとその窓は小さくなり、見えていた景色はどんどんぼやけていく。そうすると隣に、夜の廃墟の片隅で手を取り合っている俺たち三人の姿が写った窓が見えてくる。そちらに意識を集中すると、その窓枠がどんどん目の前で大きくなっていく。


 静かに目を開けると、俺は俯いたままのルメイとフィアの手を握り締めて、夜の廃墟に突っ立っている。さっきまで見ていた真昼の光景とはうって変って周囲は闇に包まれており、蝋燭の火が届く範囲だけぼうっと浮かび上がっている。微かな夜風が頬に涼しく、その風に炎が揺れて瓦礫の影がわずかに揺らいでいる。この、たったひとつの現実というものの、強烈な感覚は間違えようがない。
 俺はルメイとフィアの手を揺すって声をかけた。
「夜の光景が映ってる窓があるだろう。そこに意識を集中してくれ」
 まずはルメイが戻ってきて、ぶはあと荒い息を吐いた。次いで、居眠りをしていた者がびくっとして目覚めるように、フィアが目を開けた。俺たちはつないでいた手を放した。


「なんてこった。胸糞のわるい場面を見たぞ」
 ルメイは前屈みになって両膝に手をつき、肩で息をしている。フィアは落ち着いていて、例のなかば目蓋を落としたような目で俺をじっと見つめている。
「わたしが見たのは、おそらく数年前にこの場所で起きた出来事で、三人の男がいたわ。一人は殺されちゃったけど。同じものを見たのよね?」
「同じだよ」
 ルメイがフィアを見返しながら頷いた。
「セネカ、これは千里眼と呼ばれる能力よ。オーディンの玉座に座ると世界中を見渡せるって言うけど、さっきのは時間も遡ってた」
 フィアは千里眼とやらを気味悪がってはおらず、少し興奮している様子だ。ルメイが顔を上げて、おかしな節をつけて語り始めた。
「フレイ神が玉座からヨツンヘイムを盗み見て、巨人族の娘ゲルズを見初める。娘の腕は光り輝き、空も海もくまなくきらめき渡った。うんぬんかんぬん」
「スキールニルの歌ね」とフィアが目を輝かせた。
 二人が俺の知らない話で盛り上がっている。


「すまんが俺にも、この力そのもののことは良く判らん」
 俺がぶすっとして答えると、フィアが俺の手を両手で取った。
「セネカ、こんな言い方をしてごめんなさい。さっき龍の話を聞いた時、まだ半信半疑だったの。でも今なら信じられる。これを試してくれてありがとう」
「そうだな。俺も疑ってた。わるかったよ。」
 ルメイは少し苦しそうな顔をしている。
「神がかりの話を聞くのは落ち着かないし、頭ごなしに否定したくなるけど、自分がその恩恵に浴するのはいい気分ね」
 フィアにそう言われて悪い気はしない。しかし俺自身はこのことに何ら寄与していない。俺のもって生まれた能力も、苦労して手に入れた技術も、まったくもって貢献していない。ただ俺を通り過ぎて伝わっただけだ。


「今見たものを確認しようじゃないか」
 瓦礫に腰かけると、ルメイもその隣に陣取った。ずっと前にちょうどムンチが座った場所だ。フィアは気になることがあるらしく、その場で周囲を見回している。
「まず、フードを被った赤髪の男は、ムンチという奴だ。ゴメリー親分の手下は黒頭巾て呼ばれてるけど、そのうちの一人だな」
 フィアは視線を泳がせて別のことを考えている様子で、軽い嫌悪を込めて「いけすかない奴よね」と呟いた。ルメイはムンチから何度もたかられていたので当然知っている。俺にとっても嫌な奴ではあったが、人殺しを何とも思わない無法者であることが判った。
 フィアが何かを見定め、蝋燭を手に取って壁のそばでうずくまった。俺たちの周りが暗くなる。そうして瓦礫の下を照らしている。殺された冒険者の死体が押し込まれた辺りであることに気付き、思わずそうかと声を出した。


 フィアは首をわずかに左右に動かして瓦礫の陰を覗き込んでいたが、やがてそこに見つけた物をじっと見つめた。手を伸ばして何かを拾っている。フィアはゆっくり振り向いて、手にした白い骨を俺たちに振ってみせた。泥棒冒険者キャスのなれの果てだ。
「ただの幻を見たわけじゃないってことよ」
 フィアは骨を元に戻すと、立ち上がってこちらに来て蝋燭を近くに固定した。俺とルメイが尻を詰め、フィアが瓦礫の端に座れるようにした。
「コルホラ隊長はデルティスの事件から半年くらい後に弟さんが尋ねて来たって言ってたわ。そうするとさっきの光景は、今から四年余り前の出来事ね」
 フィアが要約してくれた。しかしこの手の話は他人には通用しないだろう。
「クレメンスはここに何日かいたようだが、この話は報告しづらいな」


 ルメイが首を傾げながら俺を見る。
「なんで黒鹿亭の連中がクレメンスを追いかけ回してるんだ? 誰かに頼まれたのか?」
 頼むとしたらバイロン卿しか思い当たる節がないが、王宮の人とスラムの与太者がどう繋がるのか見当もつかない。
「そして、けっきょく、地下道の入口は判らんな」
 ルメイの言葉に思わず、そうだな、と呟いた。超常の力というが、なんとももどかしい。ずばり何をしたら良いか教えてくれたら良さそうなものだ。だがそうして言われるままに望みをかなえていたら、そのうち路銀ばかりせがむようになるのだろう。俺たち人間というものは。


「でもあの二人の荷物を見た? 街からここまで来たにしてはずいぶんと荷物が少なかったわ」
 フィアの言葉に賛同する。
「それは俺も思った。連中はもしかして、カオカからイルファーロまでを繋げる地下道を知ってるんじゃないかな。そういうことなら、取り敢えずカオカまで戻れば地下道で街まで戻れる」
 俺が言ったことを吟味している様子のルメイが、口の周りに生えた不精髭を手の平で撫でながら考えている。
「確かに、遠見の丘まで戻れば後は何とかなるみたいな言い方だったな。ということは、地下道は安全なんじゃないのか?」
 俺とルメイは頷きあって周囲を見回した。その辺に入口があって地下道に入れるなら、イルファーロとの往復を大きく短縮できるかもしれない。


「あてがないんだから、入口を探し回るような真似はやめましょ」
 フィアが釘を刺してくる。
「シラルロンデは広いわよ。わたしはもう何度も探索してるんだから」
 フィアが調べて何も見つからないなら、俺たちが小手先の探索をしても仕方ないだろう。上げかけた腰を落とした俺とルメイに、フィアはさらに続ける。
「それと、セネカは龍に無理やり幻を見せられるみたいなことを言ってたけど、そうじゃないんじゃない?」
 フィアはじっと蝋燭の光を見詰めている。
「どういうことかな」
「わたしたちは昨日、ほとんど偶然みたいな感じでクレメンスを探す約束をしたのよ。その事がケレブラントのいう宿命と関係あるとは思えない。セネカは自分の意志で、自分に必要なものを選んで見てるんじゃない?」
  フィアの言葉に思わず唸った。
「なるほどな。ただ、その自覚はないけど……」
「人探しをすることがセネカの負った宿命と無関係かどうか、判らんと思うよ」とルメイが言った。二人とも難しい顔をして何事か考えている。


 宿命という言葉を聞くと気が重くなる。近衛から逃げ出し、辺境で冒険者に身をやつし、そのうえ手配までされている。逆境のなか生き残るのにさえ必死なこの俺に、いったい何を課そうというのか。
「何かを人に頼むなら、もっと暮らしに余裕のある奴を選んだら良いのにな。俺みたいにもう半分終わってる人間をどうして選ぶんだろう」
 ルメイが珍しく沈んだ声で返してきた。
「セネカは立派にやってるじゃないか。終わってると言うなら、俺くらい終わってる奴は他にいない」
 フィアが半ば笑うようなしかめ顔で振り向いた。
「二人とも何を言ってるの。わたしと比べたらセネカもルメイも十分やっていけると思うけど?」
 なぜそう思うのか、誰も何も言わない。暫く気まずい沈黙が続く。
「終わってる三人組か」
 ルメイが皮肉を言うので、顔を見合わせて自嘲気味に笑った。


「でも残念だわ。誰も知らない隠れ家だと思ってたのに」
 フィアがぐっと足を延ばして爪先を立てた。
「まさか何年も見張ってはいないと思うけど、完全に安心ではないわけだ。いい部屋なんだがな」
 ルメイは壁に背をもたれながら向かいの壁にある暗い窓を見ている。蜥蜴男が這いずる様にして窓から入っていったのを思い出すと、家を汚されたような気持ちになる。帰る家がない俺たちは、旅先で煮炊きをした廃屋でも愛着を持つ。誰も知らない自分だけの隠れ家となればなおさらだ。しかしまあ、この物件に限っては、ムンチたちの方が先に見つけたのではあるが。


 フィアが壁に寄りかかって夜空を見上げた。
「夜も更けたわね。そろそろ灯火が始まると思うから、わたしちょっと塔に登るね」
 え? と言ってルメイが体を起こした。
「ほとんど垂直の壁だけど、大丈夫?」
 フィアは塔の暗い壁を見上げてから、俺たちの方を向いて自信たっぷりに笑って見せた。
「ロープを持ってくるから、手伝ってね」
 フィアが弾みをつけて立ち上がると、そのまま窓に手をかけて跳躍し、軽々と部屋のなかに入った。それから間もなく、先端に鉤のついたロープを持って出て来た。


 俺とルメイにとっては、瓦礫伝いに屋根へ登るのでさえ難渋した。フィアが先にあがって蝋燭で照らしてくれたが、ルメイは危うくずり落ちかけた。
「食後の運動にしてはきついな」
 ルメイは屋根にあがると座り込んでしまった。フィアが蝋燭を固定した辺りに灯火新聞をひろげて石を乗せた。
「それじゃセネカ、わたしが数字を言うから、順に印を付けていってね」
 はい、と言って何かを手渡してくる。灯りにかざして見ると、先を細く削った木炭だ。
「下りてくる時はロープの端を投げ落とすから、手伝ってね」
 フィアはルメイの肩を叩いて声をかけると、ロープの輪をほどき始めた。
「ほんとに大丈夫なのか?」
 フィアはきびきびと動いて休むことがない。そうして手を動かしながら、いつもは一人でやってたのよ、と言った。


→つづき

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