フィアが慌てて下着を取り込んでいる間、俺はばつの悪い顔をして竈の前に座り込んだ。壁に寄りかかって手帳を見ているルメイが黙ったまま肩を揺らして笑っている。俺は用も無いのに薪を足して火を起こした。何かしていないと間がもたない。
「売り物に水が垂れるといけないから洗濯物はどかすわね」
 フィアが小さく畳んだ下着を自分の背嚢の奥に仕舞っている。


「すまなかったな、フィア」
 下着に斬りかかろうとしていたのだと思うと否応もなく恥ずかしさがこみあげてくる。おそらく耳まで赤くなっているだろう。
「気にしないで」
 フィアは努めて何気ない風を装っているが、頬が赤く染まっている。
「取込み中すまないが、収支報告をさせてもらっていいかな」
 ルメイは笑いの名残を残したままの顔をしている。そう言えば金の勘定をしないまま何日も過ごしてしまった。
「最後に金を数えたのはイルファーロを発つ朝だったな。明日帰路につくから折り返しでちょうどいい頃合いか」


 俺たちは蝋燭を灯したほら穴の真ん中で車座に座った。ルメイが腰ベルトに提げた金子袋を外して床に置く。フィアも革鎧の脇のあたりから革袋を取り出した。俺は腰ベルトから二つの革袋を取り外した。自分の金が入った袋は手元に、パーティーの金が入った袋を場の中央に置いた。
 我がパーティーで金勘定を担当するルメイが手帳を繰る。
「前回の収支確認は三日前。その時点でのパーティーの所持金は銀貨五十五枚と銅貨十六枚だった」
 俺はパーティーの金を全て出し、平らな場所を見つけて硬貨の山を作った。
「ここにぴったりある」


「そこに、鬼蜘蛛にやられた哀れなハンスの所持金を足そうと思うが、いいかな?」
 ルメイが小さな革袋を摘まんで俺とフィアに見せた。ハンスの死体から出て来たもので、雨ざらしだったのでごわついている。
「そうしよう。どこにも行くあてのない金だ」
 一も二もなく賛成する。フィアは目を瞑って拳を胸につけた。
「ハンスさんに安らかな眠りを。持ってたお金はわたしたちの糧にさせてもらいます」
 ルメイが袋の中から手の平に硬貨を出した。
「銀貨五枚と銅貨八枚を追加」
 チャリ、チャリ、と山の上に乗せる。


「続いて未収金を計上する。カオカで懸賞金のかかった山賊を討伐した。鷲鼻のウーゴが金貨五枚、皮剥ぎのマカリオが金貨十枚、二人合わせて金貨十五枚だ。共闘した時の約束でウィリーとジェラールとセネカで三等分するから、俺たちの取り分は金貨五枚。これは今、ウィリーに預けている格好だ」
「そうだな。ウィリーが飲んじまわないことを祈るよ」
 ウィリーと面識のあるルメイと一緒に乾いた笑い声をあげる。


 ウィリーたちの取り分もあるから、彼らも結構な大金をせしめたのだ。街に戻らないと両替相場が判らないが、金貨五枚はおよそ銀貨百枚にはなる。
 あいつらは今頃何をしているだろう。ウィリーは腕に怪我をしていたが、深手では無かった。赤髭のメイローは山賊たちと戦った後も無傷でぴんぴんしていた。フィアが手当てをした男は生きているだろうか。即席の担架で運ばれて行ったが、寺院までたどり着けばなんとかなった筈だ。


 ウィリーのことを知らないフィアが少し不安そうな顔をしている。
「大金だけど、信用できる人なの?」
 俺は即座に請け合おうとして言葉に詰まった。ここにいるメンバー以外で、本当に信用できる奴なんているだろうか。だがそれを言っても始まらない。
「古い付き合いだ。ウィリーなら大丈夫だと思う」
 ルメイが頷き、それを見たフィアも納得したようだ。ウィリーがこのやり取りを聞いたら心外に思うだろう。ウィリーとは数年来の顔見知りで、フィアと知合ったのはほんの数日前だ。俺はどうしてこんなにフィアを信用しているのだろう。


 ルメイが小さな帳面をさらにめくる。
「あとは道中クマニラを摘み取った林で倒したコボルトの耳が二つある」
 ルメイが胸の辺りをぽんぽんと叩いた。隠しの中に入っているのだろう。すっかり忘れていたが、そういうことを細々と記録しているのはいかにもルメイらしい。
「街に持って帰れば銀貨二枚になる」
 フィアが急に思い出したらしく、自分の革袋を開けて中身を出した。
「忘れてた! ハンスさんが集めた石のうち、この大きな瑪瑙は埋葬せずに持って来たのだったわ」
 ルメイが手帳にすらすらと文字を書き入れる。
「街に戻ったらハンスの身内がいないか依頼主のエリーゼさんにいちおう聞いてみる積りだが、まあ雲をつかむような話だろうな。その瑪瑙は見積もりしづらいからフィアが持っててくれ。現物として記録だけしておくよ」


 エリーゼの名を聞いて、快適だったホテル南イルファーロの続き部屋を思い出す。ほんの数日前のことなのに、ずいぶん昔のことのような気がする。思えばここまできつい探索行だった。そろそろ分配をして二人を労わねばなるまい。
「街から遠く離れていて使い道はないかもしれんが、ここで分け前の一部を分配する。苦労の多い道のりだった。銀貨を五枚ずつ取ってくれ」
 中央の山から銀貨を五枚取ってルメイの目の前に置く。ルメイがありがとうと言って受け取り、自分の革袋の中に入れた。フィアにも銀貨を五枚配る。フィアはそれを顔の高さで握り締めてから、自分の革袋の中に入れた。俺も銀貨を五枚もらう。


「そうするとだな、パーティーの持つ現金は銀貨四十五枚と銅貨二十四枚。未収金として金貨五枚と銀貨二枚。拾得物として拳大の縞瑪瑙ひとつ」
 ルメイが面白くてたまらんという顔で手帳から顔をあげた。
「そして狩りの獲物、上物の虹羽根を二十六枚、イルファーロに持ち帰る。俺の見立てが確かなら、銀貨六百八十枚になる」
 その金額が頭に入ってくるまで一息かかった。わずかに背をのけ反らせる。
「ひと財産だな。街に戻ったらたっぷり肉を食おう」
 ルメイが満面の笑みで拳を突き出した。互いの拳を痛いくらいぶつけ合う。
「セネカとルメイに声をかけて良かった」
 フィアも自然に湧きあがるような笑顔をしている。


 数日前まで、その日のパンにも事欠いていたのが信じられない。
「フィアが仲間になってから儲かるな」
 横目で見ながら言うと、フィアがにっと笑った。
「いいパーティーよね」
「わるくない」
 ルメイが笑顔のまま深々と頷いている。
「それじゃ、残りの金は俺が預かる」
 銀貨と銅貨の山をパーティー用の革袋に流し込み、腰ベルトに縛り付けた。その重みが心地よい。


 夕方の狩りまでの時間を分業して過ごした。
 崖下のオオルリコガネの死体を少し離れた岩場まで捨ててくる重労働をルメイが請け負った。まだ派手に腐ってはいないが、数日で腐敗が進んで匂いが出るという。
 フィアはビスケットをさらに焼いて食料の確保に努めた。オーブンがないのでもどかしい思いをしているようだが、これは仕方ない。薪が自由に使えるうちに準備出来ることはやっておいた方がいい。
 俺は薪をさらに拾い集めることにした。ついでに虹羽根を運ぶ時に使う天秤の材料を集める。といっても生木の枝を切ってくるしかないのだが、フィアが糸鋸を持っていたので助かった。


 俺とルメイが仕事を終えてほら穴に帰る頃には、フィアがビスケットを焼き終えて崖下まで降りてきていた。
「はい、これおやつね」
 焼き立ての大きなビスケットを一枚ずつもらった。建物も道も、それどころか人の手が加わった物が何も見当たらない原野では、たった一枚のビスケットが有難く思える。噛めばほろほろと崩れる生地の中に混じっている椎の実が香ばしい。こんなにしみじみとしながらビスケットを食べたのは初めてだ。
「夕方の狩りまで少し時間があるけど、段取りを聞いて」
 岩場に腰を下ろしてビスケットを食べながら、フィアの話に耳を傾けた。林を越えてくる風がフィアの金髪を柔らかく揺らしている。


 食べ物の残りが少ないので明日の朝は狩りをせずに早出をする。獲物を担いでとっとと街に帰るのだ。今、西に傾いている太陽が地平に沈む頃、この旅路で最後の狩りをする。その時に森に仕掛けた罠網は全て回収する。何日も放置すれば罠が駄目になってしまうし、罠に絡まったまま数日おかれたオオルリコガネは互いに傷つけ合って売り物にならない。なるほど。フィアの言うことはいちいちもっともだ。


「罠を木から外すのはわたしがやるからね」
 フィアが俺たちの目を見ながら念を押してくる。狩りの途中、罠網に絡まったオオルリコガネの脚を俺が短刀でもぎ取ろうとしたのを覚えているのかも知れない。俺が短気を起こして道具を駄目にしてしまうとでも思ったかな。あの時はちょっと慌てただけなんだがなあ。罠網の扱いに釘を刺しながら何気なく話を進めるフィアの顔をじっと見詰める。


 不思議なことに、狩りを仕切られていることには何の抵抗も感じない。罠を用いる狩りではフィアが一歩も二歩も先んじているのだから認めざるを得ないが、それだけではない。こうして見渡す限り誰もいない森の中で、俺とルメイとフィアで狩りの打ち合わせをしている事に何の違和感も感じない。ずっと昔からこうしていたような気がする。
 周囲の林も、地平をこんもりと膨らませている森も、澄み渡る春の空も、まるで馴染のある風景のような気がしてきた。森の上空、わずかな雲が流れてゆくその先へ、渡り鳥が芥子粒のように小さな点となって通り過ぎてゆく。


「セネカ、聞いてる?」
 慌ててフィアに向き直る。聞いてます、聞いてますよ。
「リーダーでもないのに出しゃばってごめんなさいね。でもここでの狩りのことはわたしに仕切らせて?」
 大事な確認だ。遺恨が残らないように、表情にも言葉にも気をつけなければならない。無愛想となじられることが多い俺ではあるが、なんとか柔和な顔をつくってみせる。
「もちろん、お願いするよ。フィアが一番詳しいんだから」
 フィアが真意を確かめるような目で俺を見る。俺は余所見をしていたことを謝った。
「すまなかった。この辺りの風景を前から知ってるような気がして、ちょっと不思議だなと思ってたんだよ」


 束の間、三人とも黙って景色に目をやった。足元には黒々とした岩場。灰色の河原の先には緑の野原と林。地平いっぱいに広がる深緑の森林。
「何となく、初めて見るような気がしないのは確かだな」
 彼方を見ているルメイが視線もそのままに呟いた。
「わたしは実際、もう何度もこの辺りに来てるんだけどね」
 フィアも遠くを見ながら答える。
「話の腰を折ってすまん。先を続けてくれ」
 手を打ち合わせてビスケットの粉を落としながら話の先を促した。


 フィアが丸めた背中を伸ばして細い脚を組んだ。リュートでも爪弾きそうな格好をしている。
「まずは三人で罠網にかかったオオルリコガネを仕留める」
 その場で虫を網から外す必要はない。フィアが罠網を木から取り外し、俺とルメイが両端を持って網を巻き込み、ひっついた虫の甲羅が地面を擦らないように高く持ち上げながらここまで持ってくる。それを罠網三枚分繰り返すだけだ。終わる頃には日も暮れているだろうから、ここに松明を二本点けておく。その明かりを頼りに、オオルリコガネを罠網から剥がす。


 フィアが狩りの話を一区切りさせ、明るいうちに天秤を作ろうと言い出した。天秤で運ぶアイデアを出したルメイではあるが、作ったことはないな、と及び腰だ。フィアは取り敢えず枝をみせて、という。
「こんな感じか?」
 フィアの糸鋸で切り取ってきたブナの枝を肩に担いでみる。
「そのままでいて」
 フィアが数歩引いて全体を眺めてから、細くなった枝先を鉈で落とした。ルメイが岩場の隙間から街に持って帰る虹羽根を出してくる。


 オオルリコガネの甲羅はピカピカに磨かれ、その端っこに硬い腱でつながっている小楯板がぶらさがっている。小楯板にはポンチで穴が開けられている。ルメイがしゅろ縄を少しずつ切り出し、フィアが穴に通して縛り、輪をつくった。
「ちょっと待って、これ以上は無理だな」
 天秤のように肩に担いだ枝の前後から虹羽根をどんどん吊るされていくうちに、バランスを取るのが難しくなった。初めは天秤を一つにして三人で交替で運ぶことを考えたが、前に十三枚、後ろに十三枚の品物を吊るすと、まっすぐ歩けなくなった。


 いろいろ試してみた結果、天秤は二本にすることにした。前に六枚、後ろに七枚。これなら容易に持ち運ぶことが出来る。俺とルメイが天秤を担いで、フィアには身軽になってもらう。
「なんだか悪いわね」
 フィアが両手を腿に挟めながら肩をすくめた。
「帰りは荷物が軽いから大丈夫」とルメイが請け負った。
 わざわざ声に出して言いはしなかったが、雨が降らないことを祈るしかない。虹羽根は濡れると駄目になる。それに、天秤を投げ出して剣を抜かねばならない羽目になりませんように。そういう場面がきたら、売り物を汚さないようにと手間をかけてなどいられない。一瞬、ルメイとフィアが天秤を担いで俺が先導することも考えたが、口にするのはやめた。


→つづき

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