しばらく呆けたように立ち尽くしていた。 俺たち三人はなんとか無傷で立っているが、目の前には首を掻き切られたオロンゾの死体が、川辺にはサッコの死体が投げ出してある。食い物は底を尽き、狩りの収穫を運ばねばならず、峠では別の山賊たちが待伏せをしている。 数歩前には、体にぴったりとした革鎧を装備したフィアが声もなく突っ立っている。その肩口には水筒の水の染みが飛び散り、ほどけた金髪が微風になびいている。ルメイも顔をしかめてオロンゾの死体を見ている。色々なことが立て続けに起きた。何から手をつけたら良いのか。 「大急ぎでやらないといけないことが幾つかあるんだが」 俺が口火を切ると、ルメイとフィアがゆっくりと首を回してこちらを見た。まるで今、夢から覚めたような顔をしている。 フィアは初めて出会った時と同じ、罠師の装備を身に着けている。しかし素性を知った今、対等の立場で接するのに気後れがする。ルメイも何度か目をしばたかせてフィアを見ている。 「とりあえず先に決めないといけないことがある」 フィアが努めて平静を装って俺を見返してくるが、表情がぎこちない。 「まずはパーティーのことだが」 剣の柄に両手を乗せ、体重を預けるようにして背中をまげる。 「俺は賞金首だ。いきさつは話した通りだが、隠していて済まなかった」 ルメイとフィアは何も言わず俺の言葉を待っている。 「今さらこんなことを言って申し訳ないが、遠路はるばる呪いの森まで来て、オオルリコガネを狩った。その収穫もある。解散するには最悪のタイミングだ」 ルメイがやおら首を大きく振って片手を一振りした。 「解散なんてとんでもない。セネカは今でも俺が知ってるセネカのままだよ。ときどき不器用でまれに短気だけど、真面目な男だ。権柄尽くでかけられた懸賞なんてただの嫌がらせだ。引き続きセネカにパーティーのリーダーを頼む」 ルメイの言葉に正直ほっとする。 「ありがとう。フィアはどうする?」 フィアはこわばった笑顔で俺を見ている。やはり賞金首と旅をするのは嫌なのだろうか。緊張しながらフィアの言葉を待っていると、やがてフィアは首をわずかに傾け、なんとかまともに笑おうとしてくれた。 「わたしもルメイと同じ気持ちよ。セネカにリーダーをお願いしたいわ」 そうか、と言って目をつぶり、何度か頷いてみせる。 「二人ともありがとう。取り敢えずパーティーは存続だ」 顔を上げて右手の拳を突き出すと、ルメイが拳で突き返してきた。フィアも拳をトンと合わせてくる。 「それと、フィアのことだが……」 俺が言いよどむと、フィアが両手で自分の腹を抱くようにして唇をすぼめた。 「巻き込んでごめんなさい。もうほとぼりが冷めてると思ってたのに、こんな事になるとは思ってなかった。わたしのことは聞かなかったことにして、一介の罠師として接してもらえないかしら」 フィアがにわかに饒舌になった。このことを気にしていたのだ。 「……そういう訳にはいかないよ」 ルメイが額を掻きながら横目でフィアを見ている。こういう雰囲気は色んな意味で良くない。端的に言えば俺のパーティーに王族がいるのだが、いったんそれを忘れないと旅の目的を果たすことが出来ない。 「俺の考えを言わせてもらってもいいか?」 フィアが真面目な顔をして小さく頷く。かすかに残った笑みは顔に貼りついているかのようで、かなり緊張しているのが伝わってくる。 「俺はずっと近衛をしていたから、フィアの家柄に敬意を表す気持ちがある」 ゆっくりと左膝を地につけ、俯いて拳を胸につけた。近衛にいた頃に王侯貴族に対してとった敬礼だ。フィアがはっとして身を固くした。 「それは俺も同じだよ」 ルメイも俺の真似をして片膝をついた。フィアは俺たちのすることを止めようとするかのように両手を前に出して首を振っている。こんな野辺で女に跪いている男が二人、他人が見たら一体なんだと思うことだろう。 立ち上がった俺の顔を見てフィアは少し安心したようだ。俺は礼儀を忘れていないことを示しただけだ。冒険者仲間に向けるべき笑顔を向けると、フィアもやっと自然に笑ってくれた。 「わたしは罠師のフィアよ。そんな風にされる謂れはないわ」 「そうだな。俺も今は探索パーティーのリーダーを務めているから、王宮にいる時のようにかしずいているわけにはいかない。ルメイにも、フィアにも、短い言葉で指示を出す。それでいいかな?」 「それでいいわ」 ルメイも頷いて、それがいい、と呟いている。 「でも一つだけお願いがあるの」 フィアが俺とルメイの顔を交互に見詰めている。 「この先、もしさっきみたいなことがあったら、わたしのことは捨てて逃げて。もう誰も巻き込みたくないの」 「そんなこと出来るわけないだろう」 考えるより先に言葉が出ていた。ルメイもたまらず口を開く。 「俺たちは仲間なんだから、見捨てるわけないだろう」 フィアが眩しそうにこちらを見ている。 「素性をずっと隠していたわたしを」フィアは言葉を呑み込んで唇をわななかせた。「仲間と呼んでくれるの?」 そう言って、心細そうな上目使いで俺たちを見ている。 そんなこと気にするな、と大声で返しそうになったが、自分を棚にあげているようで代わりにひとつ咳払いをした。 「好きで冒険者をしてる奴なんていない。皆それぞれ過去を抱えて生きてるんだから、そんなこと気にするな。現に俺たちは、フィアのお蔭でここまで来れたんだぜ」 ルメイも隣で、その通りだ、と頷いている。 「俺の方こそフィアに謝らなければ。オロンゾに止めを刺さなかったのは俺の落ち度だ。あんな目に会わせて済まなかった」 フィアが重い口を開いた。 「とっくに死ぬ覚悟はしてたの。一人きりになった夜、涙も出なくて、呆けたみたいになって、わたしは死ぬんだってずっと繰り返してた。それでもお腹がすけば食事をするし、獲物がいれば狩りをして、森で暮らし続けてきた。教えてもらったことが次々に思い浮かんで、忙しいくらいだった」 フィアが寒気に襲われたかのように両腕をさすった。 「それで、さっきオロンゾに捕まった時、そういう生活もこれで終わりなんだって思ったの。死ぬのは怖かったけど、これでやっと楽になるんだなって……」 俺はフィアの肩を掴んで揺すった。 「生きていて良かったんだよ」 フィアが顔を上げたが、見るからに弱り果てていて、いつも気丈に振る舞う彼女らしくない。 「生きてさえいれば、いつか笑える日も来る」 フィアを励まそうとして、そんな言葉が口をついて出た。それを聞いた瞬間にフィアの顔色が変わった。まるで俺が呪文を唱えたかのように目を見張っている。 「あの日、あそこにいたの?」 フィアが何を言っているのか判らない。俺は一瞬怯んで小首を傾げた。フィアにはそれが答になった。 「ごめんなさい。わたしちょっと昂ぶってて」 フィアは目をそらして髪に手をやっている。 「兄さんと同じことを言うのね」 リヒテンシュタイン家に降りかかった災難が現実のものとして目の前に迫ってきた。 フィアの父親、フランツ・リヒテンシュタインは王を暗殺しようとした大逆人として名誉を奪われ、デルティスの領主の地位を失った。表向きは失踪しているということになっているが、変事の夜にバイロン卿に抹殺されたのに決まっている。母親はデルティス城の塔に幽閉されていると聞くが、その後なんの消息も聞かない。 そしてフィアの二人の兄は、英雄広場で公開処刑されている。俺はそういう事を歴史として知っているが、それは他ならぬ、いま目の前に立っているフィアの物語なのだ。どこにも逃げ場なんてない、というオロンゾの呪詛が耳に蘇ってくる。 言葉を失ってフィアを呆然と眺めた。 太陽は地平を離れて登りつつあり、森も岩場も明るく照らし出されている。川辺から続く草地には、すみれ色の小さな花が群がる様にして咲いている。小川のせせらぎの音にまじって、林からは鳥の声が聞こえる。 辺境の新緑を背景に、悲運のソフィア公女が立っている。 まったく同じ構図で、だまし絵のように、意味が違う絵がもう一枚見える。生きていく自信を失って泣きそうな顔をしているフィアが、体をわずかに震わせながら目の前に立っている。たった今この時も、カルディス峠では山賊たちがフィアを待伏せしているのだ。 どういう縁でフィアと出会ったのかは判らないが、こんな可哀想な子を放っておける訳がない。俺はフィアを助けると決めた。俺はその日暮らしを続けてきた冒険者だが、自分のやるべきことが判った。 「リヒテンシュタイン家に起きたことは半ばこの目で見てきたし、落ちのびて冒険者になってからも噂で何度も聞いてる」 こわごわと俺を見ているフィアの目を見つめ返す。 「フィア」と俺は言った。「本当に大変な目に会ったね」 フィアの顔がくしゃくしゃと乱れた。唇を引き絞り、瞳を潤ませている。 俺はフィアの脇に立って肩に手を乗せた。 「俺たちは今、手のかかる旅のさなかだ。聞きたいことも、積もる話も山とあるが、とりあえず出発しなければならない」 フィアが自分を取り戻して頷いた。呆然自失とする事態に陥っても、一つ一つこなしていかなければならないことが目の前に見えたら、人は手探りで自分の場所に戻って来れるのだ。 「今日を生き残るために、まずはパーティーの目的を優先する。ここは辺境で、食い物も乏しい。取り敢えず街まで戻らねばならない」 俺はひと呼吸おいてから、フィアの目をじっと見つめ返した。 「だがこの先、俺たちの暮らしが立ったら、俺はフィアの手助けをする」 フィアが瞬きをして、頬を涙がつたった。 俺は目でルメイを呼んだ。ルメイも近くに来てフィアの肩に手を乗せた。 「俺に出来ることなら、何でもするよ」 フィアの顎から涙が滴った。青灰色の瞳が濡れて光っている。 「二人ともありがとう」 俺はルメイの肩に手を回した。ルメイも俺の肩に手を乗せた。 「それじゃ、三人でこの危機をなんとか乗り越えていこう」 俺たちは輪になって互いの肩を叩きあった。 二人から体を離し、剣の柄をぐいと引いた。 「それじゃ、探索行の続きだ」 ルメイが、よしと答えた。フィアも指で涙をぬぐって顎を持ち上げ、泣いてないわ、という顔で頷いた。 「俺とルメイで山賊たちの死体を埋める。その間にフィアは帆布で首を入れる袋を作ってくれ。そのままだと運びづらいし、道中、生首を晒していては誰に見られるか判らん。俄か作りで結構だが、肩から提げられるように頼む。そしてその首二つは──」 首を傾けてルメイを見ると、わかってるという顔をしている。 「請負った。俺が運ぶ」 かなりの重さになる筈だが、敢えて何も言わずにルメイの大きな肩を叩いた。 「オロンゾの死に際の言葉、ネバたちが峠で待ち伏せてるという話は本当だと思う。まずは用心しながらシラルロンデまで戻る。そこで次の道を決めよう」 シラルロンデには多少の食い物を残して来ている。あそこに立ち寄った山賊どもは食糧に困っていた様子だが、あの用心深いピューのことだ。誰も入った形跡を残さずにおいてあるだろう。ビスケットをあと何枚か焼くくらいのことは出来る筈だ。 「峠をどうやって越すかだな」 ルメイが首を傾け、顎の不精髭を撫でながら呟いた。確かにカルディス峠を越えなければイルファーロまで戻れない。それについては俺なりに答を持っている。入口が判らないままだが、シラルロンデの塔とカオカを結ぶ地下道がある筈なのだ。塔の近くまで戻って遠見の窓を探す積りだが、ルメイが嫌がるので言わないでいる。イシリオンが夢の中でわざわざシラルロンデに立ち寄れと助言してくれたのだ。きっと道はみつかる。 フィアが気になっていたことを口にした。 「準備が済んで出発する時、森の入口のあたりで注意して。もしかしてオロンゾたちの荷物が見つかるかもしれない」 俺とルメイは同時に「そうだな」と答えた。ざっと川沿いの道を振り返るが、それらしき物は目につかない。しかし連中もここまで手ぶらで来た筈はなく、俺たちのねぐらを襲う前に荷物をどこかに隠した筈だ。フィアがそれを気にするのは、依然としてフィアの似顔絵が見つかっていないからだろう。急いでいるとはいえ、多少時間をかけてでも探した方がいいなと心に銘記する。 黙っていたルメイも口を開く。 「それと、誰かがこの辺りまで来ても怪しむことがないように、鳴子や松明の類は全て外していこう。死体を埋めた穴をならして隠すのは当然として、足跡や血痕も出来るだけ消そう。俺たちの狩場を誰にも荒させはしない」 ルメイもフィアも強い眼差しで俺を見ている。しばし途方に暮れていたが、俄然やれるという気がしてくる。 「よし。それじゃ、さっそく取り掛かろう」 ルメイと一緒に川辺まで走った。 そこに投げ出してあったサッコの死体を持って土の柔らかい林の中まで運ぶ。次いでオロンゾの死体を崖下まで取りに行く。サッコほどの重さはないが、オロンゾは身長があるので運びづらい。二人の死体を林まで運ぶと、俺たちはその場に座り込んで額の汗をぬぐった。 「勿体ないけど仕方ないな」 ルメイがオロンゾの片手剣を持って鍛冶屋のように見立てている。ルメイの言う通り、山賊たちが身に着けていた装備は一緒に埋めるしかない。街で売れば結構な金になる筈だが、持ち運ぶのが大変だし、どこで足がつくとも知れない。 シャベルで大きめの穴を掘ったところで、ルメイと見合った。サッコの死体を穴のそばまで引っ張って来てうつ伏せに転がす。首だけ穴の中に落ちているので、腹這いになって穴の底を見下ろしているような格好になった。 小さな声でルメイに、髪を掴んでてくれ、と頼む。ルメイが黙って頷き、穴の中に片足をドスンと下ろした。ルメイは体を傾けたまま、指を絡ませるようにしてサッコの髪を握り込むと、その首を持ち上げて水平にした。俺は穴の縁に立ち、ゆっくりと剣を抜いた。静かな森のなかにシャリインという金属音が響く。斧があれば良いのだが、あいにく持ち合わせていない。 足場を固めていると、ルメイが少しでも離れようとして体を反らせ、顔をしかめた。剣を振るうのが仕事だった俺でも、いきなり人間の首を切り落とすのには抵抗がある。カオカで賞金稼ぎのスミスがやったのを真似て、まず額に、次いで胸に指で触る。 「僧侶でも墓守でもない俺が山賊の首を取るぞ。俺たちの命を狙う奴は、みんな返り討ちだ!」 渋い顔をしていたルメイがふっと笑みを浮かべ、その通り、と合いの手を入れてきた。剣を大きく振り下ろし、骨に当たった瞬間にぐいと手元に引く。バツンと音がしてサッコの首が胴から離れた。切り口からぼたっと血が流れ落ちた。 体を傾けていたルメイが支えを失ってよろめき、穴の縁にぶつかった。振り子のように飛んでくるサッコの生首を慌てて左腕で支える。その感触が気味悪かったのだろう、慌てて体から離すと、苦悶の表情を浮かべたサッコがまともにこちらを向いている。生首からは血が滴っている。 「うわわわわ!」 ルメイが腰砕けになり、釣果を見せびらかすように生首をぐいっと持ち上げた。 「誰の首か判るように傷つけないでくれよ」 「判ってるよ。大丈夫だ。これが金貨になると思えばなんてことない」 ルメイが何度か鼻を蠢かし、傍らの地面に生首をそっと横たえた。俺は思わず鼻で笑ってしまった。 「金のことはいいんじゃなかったのか?」 ルメイが珍しく反抗的な顔で振り向く。 「全くその通りさ。お互い、目の前に金貨を積み上げられても平常心を忘れないようにしようじゃないか」 前のめりになっていた上半身を少し引いて、明るい光に包まれた林を見渡す。 金貨が、六百枚。 そんな大金は手にしたことも見たこともない。果たして俺は平常心でいられるのだろうか。そういえばルメイは商会を経営していたのだ。その程度の金なら扱ったことがあるのかもしれない。 ルメイがサッコの両脇に手を入れて穴の中に引き摺り下ろした。首のあるべき場所には丸い切り口があり、粘るような赤黒い血が滴っている。 「早いところ済ませよう。まだ崖の上に一体あるんだ」 サッコを穴の底に寝せたルメイが、オロンゾの死体を引っ張って穴のそばまで持って来た。うつ伏せに転がすと、乱雑に伸びた赤い髪から砂がさらさらと流れ落ちた。体を押し上げるようにして穴の縁まで動かすと、ルメイがオロンゾの髪を掴んで首を水平に持ち上げた。 俺は剣を振り上げ、腹の底から声を出した。 「山賊の、末路は、こうだ!」 剣がうなり、オロンゾの首も胴から離れた。二度目にして手慣れたもので、ルメイは慌てもせずにその首を支えた。手を添えて穴の縁に横たえると、サッコとオロンゾが並んで空を見上げている。青葉の繁る林を抜けて来たわずかな風が、血の匂いと薄荷の香りを吹き流した。 (→つづき) |
戻る |