五十名からなる小隊を引き連れて一列に疾走しながら、城下町に連なる屋根の上に顔を出した古城の塔が滑るようについてくるのを見ている。自分たちの姿が城の方から見られないように建物の陰をぬっている。砂岩煉瓦からなる建物の向こうは馬車がすれ違うほどの広々とした煉瓦道になっていて、その先には十歩ほどの幅の堀がある。つまり、この建物の先には姿を隠すような物は何もない。建物と建物の間に細道があり、そこから城壁が見える。そういう場所では背をかがめて走るように後ろに続く隊員たちに手で示す。


 まだ早朝でほとんど人は見かけないが、重装備の兵が五十人も連なって走ればどうしても足音がする。色違いの岩で造ったアーチ状の開口部は商店の裏口で、人がいるかと思って覗いて見たら、大きな麻袋を背負った驢馬が繋いである。騒がしい足音を聞いて驢馬が足を踏みしだき、鳴き声をあげる。それを宥めにきた商店主が列をなして走る俺たちを呆然と眺めている。それから急に顔色を変え、驢馬を敷地の奥に引いていった。家族を呼ぶ大きな声が緊張している。俺は市民を傷つける気はないし、そのことは隊員たちにも命じてあるが、この人たちにそれが判る筈もない。


 城門にほど近い建物の陰で立ち止まり、後ろの兵たちに片手を上げてみせた。前に並んだ者から順に足を止めていき、やがて足音がやむ。甲冑をつけたまま走る隊員たちが荒い息をさせている。俺は建物の壁に手をついてそっと城門を覗いた。
 城兵が一人、回廊で立哨しているのが見える。まったく緊張感のない立ち姿ではあるが、あそこからだとこの裏路地が丸見えだ。俺は少しもどって反対側の壁を調べ、城から死角になる位置に焦げ茶色の大きなドアがあるのを見つけた。ドアは手で押すと難なく開いた。こちらが先手を打っているという確固たる思いがあるので、開いた戸から遠慮なく踏み込む。手入れされた庭に踏み石が続き、その先に建物の入口が見えた。


 誰の家かは知らないが、庭先をお邪魔させてもらうことにする。壁ぎりぎりを歩いてその先にある戸を開け、そっと表を見る。ちょうど城から見えてしまう路地を越えた所に出られた。目の前に見えている建物がちょうど城門の真ん前にあたるようだ。この付近に兵を配置しなければならない。俺は近くにいる筈の副隊長、バーミンガムの名を小声で呼ばわった。バーミンガムが一歩前に出て眉庇を上げ、顔を見せた。完全武装した男たちはそうでもしなければ見分けがつかない。


「十人連れてこの一つ先の建物の陰に兵を配置しろ」
 そう言った瞬間に返事もせずに走り出そうとするので、その肩をがっきと掴んで止め、こちらを向かせた。顔を寄せて目を合わせ、ぎゅっと眉根を寄せる。
「城門に見張りがいる。絶対に見つかるな。俺の隊が走り出たら後に続け」
 バーミンガムが緊張した目で頷き、眉庇をカシャンと落として先に進んだ。その後に十名が付いていく。副隊長の配置は城門から少し離れた位置になるが、ちょうどいい。バーミンガムは俺の命令を待たずに独断専行する癖があり、最前線におくと碌な事がない。


 壁からそっと顔を出し、城門を窺う。
 見張りの男は跳ね上げ橋を格納するのに一段高くなった搭屋の屋根にいて、凸凹の胸壁の奥で壁に寄りかかっている。手振りの様子からすると、背後にいる誰かと話し込んでいるようだ。こちらをほとんど見ていないのは俺たちにとって幸いだ。もっと近寄れるかもしれない。この城に侵入できたとしたらあの見張りの落ち度になるが、無理もない。王国は長い平和を謳歌してきたのだ。いや、平和と呼ぶべきなのだろうか。今の状況は、腹のなかから腐っていく過程のような気がする。


 城門の前、跳ね上げ橋の基部から二十歩ほどの場所に、馬止めの柵がたばねて置いてある。戦場で用いるような先端を尖らせた頑丈な柵ではなく、おそらく目抜き通りの馬車の流れを制御するのに使うのであろう、木板を貼り合わせた隙間だらけの柵だ。しかし折り重なっていて目隠しになりそうである。俺は隣にいるトマスの肩を叩いた。長身の男の肩を叩くには伸び上がらねばならない。


「あの馬止めが見えるか」
 眉庇を上げて俺が指差すものを確かめたトマスがこちらに向き直り、小さく頷いた。
「足の速いやつを五人選んであそこに伏せろ。まずは迂回してこの建物の陰に行け。そこから見張りの様子を見定めて走り込め」
 トマスが深く頷き、右の拳で左胸を叩いた。しかと聞いた、の意味だ。トマスは度胸があって忍耐強い。そして俺の隊でもっとも足が速い。
「モーリス・ジュアンがうまくやって跳ね上げ橋が降りたら、降り切った瞬間を狙って一気に城門へ走れ。搭屋の辺りに操作部があるから占拠しろ。お前が一番乗りだ」
 トマスは頷いて眉庇を静かに下ろすと、踵を返して後に並んだ隊員のうち何人かを指差している。その肩が大きくゆっくりと上下している。俺はトマスの後姿が街角に消えるのを見送った。


 やがてこちらからは見えない建物の向こうから、前屈みになって馬止めの元へ走り込むトマスの姿が見えた。トマスは障害物の陰からそっと城門を垣間見ると、後続の者に手招きをした。一人、また一人とトマスの元に集まり、やがて六人の兵が馬止めの背後に伏せる形になった。ある者は膝立ちで、別の者は両手をついて身を隠している。こちらからは丸見えだが、城門からはよほど目をこらさねば見えないだろう。トマスが振り返って拳を顔にあてた。順調という意味だ。俺は手のひらを伏せ、そこで待て、の合図を送った。


 背後の物音に気付いて振り返った時、思わず大声が出そうになった。
 城門から見えてしまうので敢えて迂回した道を、馬に乗ったバイロン卿がまっすぐに進んでくる。暗紫色のローブを羽織っているので商人のように見えるが、左右には甲冑姿の護衛が二人つき従っている。止めたいがもう遅い。俺は兜のしたで思い切り顔をしかめ、眉庇を勢いよく跳ね上げて城門を見た。見張りの兵はよそ見をしたままだ。壁に手をついたまま、肩にあごが乗るほど首をひねる。バイロン卿を乗せた馬がゆっくりと進んでくる。握り締めた拳に力がはいる。再び城門を見て、馬を見て、また城門を見る。見張りの兵は暢気にお喋りをしている。どうやら気取られずに済んだようだ。路地を越えてきたバイロン卿につかつかと歩み寄りながら、抑えろよ、自分を抑えろよ、と念じている。


 背の低いバイロン卿のために重ねた掌を突出しながら声をかける。
「城門に見張りがいます。ここはもう危のうございますので、馬から降りて急拵えの詰所にいったん御隠れ下さい」
 バイロン卿は鷹揚にそうか、と言うと遠慮なく手の上に靴底を乗せてきた。そうして俺に体重を預けながら、片足を大きく回り込ませて馬から降りた。
「順調であろうな」
 御大臣ぶったその顔を小突いてやりたくなるのを抑え、ささこちらへ、と迂回路に使った庭先に案内する。路地からあぶれた二十名ほどが壁に隠れる形で待機している。俺はバイロン卿を護衛の二名に任せ、モーリス・ジュアンの名を呼んだ。


 兜を被っていない髭面の男がずいと前に出てきた。偽の伝令を演じるモーリス隊員があまりに寛いだ表情をしているので一瞬とまどう。酒場で酒がくるのを待っているかのような顔をしている。
「自分の役目は判っているな?」
 モーリス・ジュアンは小さな溜息をつく。
「わかっていますとも」
 そう答えて俺を見返してきた。


 なんとも良い人選をしたようだ。こいつがぶるってすくみあがっていたら、この作戦は台無しになるのだ。副隊長のバーミンガムにでもやらせようものなら、肩をいからせて鼻息荒く返答してくることだろう。
「早いところ始めましょう。住民が騒ぎ始める」
 それを言おうとしたところだ。俺はモーリス・ジュアンを連れて今さっきバイロン卿を降ろした馬がいる路地に向かった。偽の伝令役は一息に馬にまたがると俺を見下ろし、やり遂せます、と言った。目に力がこもっている。緊張がないわけではないのだ。


「任せたぞ」
 城兵が何を言い出すか判らないのだから、細かいことを言い始めたらきりがない。眉庇をあげたままそう告げると、深々と頷き返してきた。この作戦が失敗するとしたら、最初に死ぬのはこいつかもしれない。俺は目の前にいる細い目をした髭面の男を心に銘記するつもりでまじまじと見つめた。
 一息ののち、モーリス・ジュアンは優しいといってよいほど軽やかに馬の腹を蹴り、わずかに前のめりになって立ち去っていった。たっぷり終日の仕事を終えた人夫のような背中をしている。やがて役者を乗せた馬は建物の陰から出、開けた道をまっすぐに城門へ向かって進み始めた。


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