死人の樽にゃあ十五人
   ヨー、ホ、ホー
   あとはラム酒がひと瓶よ
   のこりは悪魔がたいらげた



 俺は腑抜けのように棒立ちとなり、口を半開きにして辺りを見渡した。頭を殴りつける勢いで狂ったような手風琴のメロディが聞こえてくる。耳を聾する音量で、自然といかり肩となり、耳をふさぎたくなる。しかし剣を持っているので両手は空かない。仮に耳に手を当ててもこの音は防ぎきれないだろう。大音量のメロディにのせてびっしりと並んだ塚人たちが肩を揺らして歌っている。これはスラムの酒場でさんざん聴かされた荒くれ者たちの歌ではないか。



   海に出たのは七十五人
   ヨー、ホ、ホー
   生き残ったのは俺一人
   のこりは悪魔がたいらげた



「何だこれは!」
 ルメイがメイスを投げ捨てて両手で耳を塞いでいる。武器を拾えと怒鳴ろうとするが、言葉に詰まる。ルメイの顔は骸骨に変わり、暗い眼窩に生々しい目玉がぎょろりと埋まっている。塚人に触れられたのだろうか。仲間を失った予感に心が乱れるが、そうではない。幻を見せられているのだ。
「ルメイ! しっかりしろ!」
 大声をあげてルメイに近寄ると、両手を突出して顔を左右に振り、寄せ付けまいとしてくる。俺の顔も塚人のように見えているのだろう。



   ようく狙って手斧を投げろ
   ヨー、ホ、ホー
   のるかそるかは運次第
   あとは悪魔がたいらげた



 その歌声が余りにも近くから聞こえてきてぎょっとする。
 慌ててキャンプを見渡すと、サッコとオロンゾの首が入っている袋がもぞもぞと動いている。声はそこから聴こえてくるようだ。走り寄って滅多切りにしたい衝動に駆られるが、あいつらに剣はきかない。袋が破れたら首が飛び出してきて、ぴょんぴょんと跳ねながら歌い続けるのではないか。生首の入った袋が蠢きながら歌うのを、ルメイも呆然と眺めている。
「術をかけて惑わそうとしてるんだよ!」
 俺を振り返ったルメイの表情に理解の色が浮かんだ。骸骨に目玉が付いている顔なりにではあるが。


 フィアに声をかけようとして隣を見た瞬間、思わず目を見張った。
 ローブのような雨具を身に着けてそこに立っているのは、セシルではないか。近衛にいた頃、仕事でルーアンの安宿にいくたびに会っていた懐かしい人だ。俺はセシルに銀貨を与え、セシルは俺に快楽を与えてくれた。それだけではない。命からがら王都から逃げ出した時は、あれこれと手助けをしてくれた。まだその礼も言えていない。こんなところで会えるとは思ってもみなかった。細面の顔に長い睫、栗色の髪。あの頃とまるで変っていない。


「セシルだね?」
 剣を左手に持ち替えて片手を差し出すと、セシルは輝く短剣を俺の胸元に突きつけてきた。その切先を、ついでセシルの顔をじっと見つめる。温かいスープを期待していたら、冷たい水を出された気分だ。剣を向けられれば体が自然と反応する。右手が剣の柄を求めてすっと動く。
「わたしには血塗れのオロンゾに見えているのだけど、セネカよね?」
 はっとして目をこらすと、顔を傾けて苦笑しているフィアが見える。
「セシルって誰?」
 フィアの問いに曖昧な微笑で答え、振り返って光のカーテンのところまでつかつかと歩いた。あやうくフィアの短剣を打ち払うところだった。塚人たちを隔てている障壁が消えてしまうかもしれないではないか。むき出しの剣を持っていたら間違いの元だ。光の障壁から手を出し、泥に刺さった剣の鞘をさっと回収する。


 目の前に並んだ塚人たちが大口を開けて、ヨー、ホ、ホー! と合唱している。死人遣いはこれだけのことを魔法でやれるのだ。おそらく俺たちを一息に殺せる。だがこいつは、楽しませて、と言った。俺たちが半狂乱になって斬りあうか、障壁の外へ出てしまうのを楽しみに待っているのだ。
 剣を鞘に納めながら死人遣いを睨む。女は両手を胸に当て、塚人たちの歌にあわせてわずかに体を揺らしている。得々としてお楽しみを待つ祝いの席のお姫様のようではないか。これがお前のやり口なら、手ぬるい。俺たちはその日限りの約束で落ち合った行きずりのパーティーではない。幻を見せられた程度でとち狂ったりするものか。


 そうか。反撃の糸口はある。
 自分にもやれることがあるのを思い出し、両手を開いてわずかに持ち上げた。死人遣いの思念を映す窓を出すのだ。だが力の加減がむずかしい。死人遣いの頭の上にすっと窓が出るのと同時に、周囲の塚人の頭上にも窓があらわれた。死人遣いの窓は長方形で赤く塗った細い窓枠がある。こんな窓は見たことがないが、そこには森に落ちる夕陽が映っている。塚人たちの窓は楕円形をして縁が不明瞭で、ほとんど光のない闇を映している。俺は死人遣いの窓を大写しにして、それを感知できる領域をルメイとフィアのいる場所にまでひろげた。そういうことをしてから、そんな事が出来るのかと自分でも驚く。


 死人遣いの大写しになった窓を見詰めるが、夕焼け空に黒い点のような鳥が飛んでいるのが見えるだけだ。夕陽を眺めている死人遣いの郷愁と孤独がひしひしと伝わってくる。だが俺が見たいのはこんな窓ではない。指をさっと横に振ると、夕焼けが飛びのいて天井の高い部屋が映った。着席した数名の人影と、目の前に立つエルフの男が見える。この女がいつか見た光景なのだろう。身分の高い連中が緊張をはらみながら何事かを合議している雰囲気がある。


「ルメイ、フィア、窓が見えるか?」
「見えるわ。こんな風に自在に操れるのね」
 フィアが感じ入ったような声で答える。
「この窓はセネカが出してるのか?」
 ルメイは半信半疑のようで、声が上ずっている。
「そうだ」と俺は言った。「何が映るか見ていてくれ」
 死人遣いの女とやり合えるだけの情報が欲しい。しかしがなり立てる手風琴の音と塚人たちの調子はずれの合唱がうるさくて集中できない。背後からルメイの、頭がおかしくなりそうだ、という呟きが聞こえてくる。


 死人遣いの窓に映っている人物に思い当たる節がある。
 頬のこけた顔に尖った耳をもち、冷たい青い眼をしている。落ち着いた赤色をしたローブをまとい、開いた前合わせの下に黒いベストと立ち襟。エルフの装束には詳しくないが、この人が高い位についているのが窺い知れる。
 死人遣いの窓に映っている厳めしい顔をしたエルフの男はイシリオンだ。ただし今よりずっと若い。人間の風貌で三十半ばに見えるということは、はるか昔の出来事だ。


 イシリオンの像がくっきりと浮かび上がり、エルフの言葉で話し始めた。俺はその言葉を知らないが、聞いたとたんに頭の中に意味がひろがる。
「考え直せ、ドラウプニル。盟約を違えるなら、ダークエルフの一族は我らの庇護の外におかれる事になるだろう」
 そのたった一言で、俺は幾つかのことを理解した。俺はイシリオンを、取りつく島もない冷淡な男と思っていた。だが年を経てその人柄もずいぶんと丸くなっているのだ。若い時分のイシリオンは剃刀のような眼光をもち、必要とあらば誰であれ容赦なく断罪する恐るべき男だ。


「決めたことは動かせない」
 死人遣いの女が緊張を隠して答える。いや、この頃はまだ死人遣いではなかった。無慈悲に目を細めているイシリオンから思念が流れてくる。
(処刑するのは惜しい。一息に追放しよう。哀れなドラウプニル、高貴なるダークエルフの長よ、さらばだ!)
 イシリオンがローブの前をはだけると、その手に握られた杖が白く灼熱している。ドラウプニルと呼ばれた女が息を呑む気配がする。
「ならばここにいる資格はない。地の果てで朽ち果てるがよい!」
 死人遣いの窓が真白く輝き、ついで暗黒に包まれた。


 得体の知れないものが最も恐ろしい。
 ついさっきまでは目の前に立つ女の正体が判らなかった。しかし今、俺はこの女の素性を知った。この死人遣いはダークエルフで、名をドラウプニルというのだ。かつて朋友であったイシリオンと袂を分かち、今では呪いの森で死人を従えて暮らしている。一族の代表として合議の席にいたのだろうに、大した凋落ぶりではないか。体を膜で覆って剣を防ぐ魔法は大したものだが、それが無ければ斬れるのだ。塚人も数が多くて閉口するが、ひとりびとりはでくの坊に過ぎない。


 死人遣いに対抗する術をさがすうちに、俺ははっとして自分の手を見た。光の障壁を越えようとした塚人の体は黒焦げになった。俺は今、何気なくその境界を越えて剣の鞘を取ったが、俺の手は無事だ。敵は中に入って来れないが、こちらは出入り自由ということか。しかし軽率だった。この薄い光のカーテンが誰彼かまわず焼灼するのであれば、俺は片手を失うところだった。


 よし、と心の底で思う。
 こんなに便利な光の障壁があるなら、塚人が百人いようが斬り伏せる。問題はひとつに絞られた。どれほどの魔法が使えるのか判らないダークエルフの死人遣いとどう戦うかだ。
 剣を納めて物を考えている俺を見た死人遣いの女が、ふと怪訝そうな表情を浮かべた。混乱して慌てふためいている筈の相手が、据わった目でじっと自分を見詰めているのに気付いたのだ。こころなしか手風琴の音量がさがった気がする。俺は死ぬ覚悟をしたのだ。はったりでもなんでもいい、手に入れたものを使ってこいつとやり合わねばならない。


 狂った歌声を押し返す声量で、だが堂々と言うために息を吸い込む。
「ダークエルフの族長、ドラウプニル殿とお見受けする! 話を聞いてくれ!」
 死人遣いの女は不意を突かれ、半歩さがって眉をひそめた。片手を大きく回して拳を握ると、辺りに鳴り響いていた手風琴の音がやんだ。やがて塚人たちも歌うのをやめた。まばらな呻き声と雨音しかしなくなると、フィアの張り巡らせた半球形の障壁が音をさせているのに気付いた。光のわずかな明滅にあわせて、羽虫が舞うようなヴーンという唸りが聞こえる。


「あなたは何者?」
 ドラウプニルが眉根を寄せて顔を近付ける。その顔の手前を、障壁に浮かぶ光の紋様が次々に通り過ぎていった。
「俺はセネカ。冒険者だ。シラルロンデでイシリオンと落ち合う手筈だったのが、道に迷っている」
 死人遣いが今度ははっきりと驚きを顔にみせ、背後の森を振り返った。まるで目から光線でも出す勢いで一点を見詰めている。或いは本当に何らかの能力を使ったのかもしれない。彼女が次に言ったのは、このような言葉であった。
「嘘おっしゃい。あの廃墟にイシリオンはいないわ」


 俺はドラウプニルが見た方向を心に銘記した。
 キャンプの天井にした帆布を支えるのにロープを張り渡しているが、そのラインが指す方向からわずかに左だ。死人遣いにとってこの森は庭のようなものだろう。彼女が思わず見た方向にシラルロンデがあるのだ。どこで情報が手に入るか判らないものだ。俺はそばに落ちていたメイスを拾い上げ、シラルロンデの方向に向けてそっと置き直した。いったん滑らかになった口からは言葉が自然と湧いてくる。
「だろうな。これだけ待たされたイシリオンがじっと待っているとは思えない」


 ドラウプニルが振り向いて俺を見た。白い肌に栗色の髪を伸ばし、ぱっと見は人間の女にしか見えない。それも近寄りがたいほどの美形だ。しかしその瞳は水溜りに反射する月のように朧に蒼く光っている。ドラウプニルは表情を隠しているが、俺たちをどう扱ったものか迷っている様子だ。
「わたしの名をどこで聞いたの?」
 俺を試している。心を覗き見る魔法はお持ちでないとみえる。俺は生き延びるための手づるを掴んだ。それはいかにも細いが、焦らずに手繰り寄せなければならない。俺はことさら頼みにするかのようにイシリオンの名を連呼するのを避けた。
「あなたの持ち物を壊したことは謝罪する。だがいきなり塚人に詰め寄られた俺たちの立場も察してくれ」


「わたしの名をどこで聞いたか、尋ねてるのよ?」
 ドラウプニルがむっとして問い直す。
「イシリオンに決まってる」
 俺は言葉に若干の怒りを込めた。言わずもがなのことをわざわざ言わされる男の苛立ちを演じた積りだ。俺がそんな風に物を言える立場と思っているのが伝わり、ドラウプニルがわずかにたじろいだ。
「わたしのことをどう言っていたの?」
 ここから先は完全に想像するしかない。俺とルメイとフィアの命がかかっている。俺は目をつぶり、どんな些細なことでも得られるものがないか、さっき見たイシリオンの姿を心に思い描いた。


 意を汲む者。
 地龍バロウバロウから授かった俺の能力を、ケレブラントはそう呼んだ。その意味がかすかに判った気がする。さっきは見なかった光景がさらに脳裏にひろがる。
 どこか知らない林の奥。針葉樹が空に向かって錐のように突き立っている。足元には枯松葉が一面に敷き詰められている。空気は冷え渡り、物音ひとつしない。そこでイシリオンとドラウプニルが寄り添って立っている。イシリオンはすくと立ち、空を見上げている。ドラウプニルはイシリオンの腕を取り、脇から相手の顔を見上げている。


 イシリオンとドラウプニルは若く、まるで絵本のなかの王子と姫だ。
 俺はこの情景の寸前の言葉も、この後の二人の運命もあずかり知らない。だがこの世にこういう美しい瞬間があったことは神秘のなせるわざだろう。イシリオンの顔には決意と苦渋の色が浮かび、ドラウプニルは苦悩を甘受して溶けるような眼差しをしている。俺がどんなに鈍い男でも、この二人に匂いたつような恋の物語があることがいやがうえにも伝わってくる。


 時間が与える影響はどこまでも無慈悲だ。この分際をわきまえた小鳥のように可憐な少女は、やがて死人を従えて我が物顔に夜の森を徘徊する。俺たちが出会ったのは恋する乙女ではなく、死人遣いなのだ。
 ドラウプニルは俺を試すために質問をした。しかしそれは彼女が最も知りたいことでもあるのだ。イシリオンに追放されてからどんな気持ちで生きて来たかは知らないが、その本意が気にならない筈がない。言葉に気を付けなければ、俺たちは魔法の刃で切り裂かれるだろう。


→つづき

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