「……わたしを庇って死んだの」
 フィアは表情に苦痛をにじませながらも気丈に答えた。クレメンスが肩を落とす。
「そうでしたか。それは残念です。彼のような忠義心をもつ者はもう現れないでしょう」
 辺りが静まり返り、薪のはぜる音がパチパチと響いた。闇がさらに深くなっている。日はすっかり暮れたと思うが、時間の見当がつかない。ややあってクレメンスが再び口を開いた。


「知らない土地が心細くて、カオカ櫓にいる兄に会いたくなりました。冒険者のふりをして尋ねれば迷惑をかけることもないだろうと思いましてね。それで、二枚岩で狩りをするパーティーに加わるようになりました」
 しかしどのパーティーも二枚岩より先へは進まなかったという。カオカ遺跡へ踏み込めば格段に危険が増し、日帰りも難しくなるからだ。クレメンスはもどかしい思いをしながら、夕暮れにはパーティーメンバーたちと共にイルファーロへの帰途についた。かつて俺も何度となくその道を歩いた。狩りの名残に気持ちを昂ぶらせ、一歩ずつ近づいてくる街で何を食うか、物思いに耽りながら。


 イルファーロの酒場には手慣れた冒険者たちもいて、そうした者たちの中にはカルディス峠の付近まで採集に出向く者もいた。クレメンスは彼らの話に耳をそば立てた。カオカ遺跡の先には見渡す限りの荒野がひろがっているが、峠までは道がある。峠を越えるとアリア河が見え、その河原では宝石が拾えるという。その道なかばにカオカ櫓があって良い目印になる。生き別れになった兄がそこにいるのだ。
 クレメンスはそうして見聞をひろめながら、ある日、とうとう決心をした。


「皆さんはご存じと思いますが、二枚岩は人気のある狩場で順番待ちがあるくらいです」
「俺たちもそこで狩りをしたよ」
 ルメイとフィアも頷いている。ほんの数日前の話だが、遠い昔のような気がする。
「早出をして朝から狩場が使えたパーティーの中には、そこに残って次のパーティーに加わろうとする者がいます。そういう場合、その場で分配をして解散します」
 パーティーで狩りをしたことがなかったフィアはふんふんと聞いているが、俺とルメイには思い当たる節のある話だ。


「忘れもしない、初夏の抜けるような青空の下、人数分のコボルトを上首尾に狩れた日、俄かごしらえのパーティーがその場で解散しました」
 クレメンスはそこで言葉を切ってじっと森を見詰めた。
 森は雨に濡れて足元がぬかるんでいる。月も雲に隠れて暗い。しかしこの死んだ男の頭には、そうした陰鬱な光景にかぶさるように、夏を迎えつつある二枚岩の辺りの景色がひろがっているのだろう。俺もその季節のカオカの、緑の嵐とでも言うべき風情を思い浮かべた。


「パーティーが解散して、一緒に狩りをしていた仲間たちが散っていくのを見ている時に、……何かに背中を押されるような気がしたのです」
 クレメンスは松明の光に照らされた自分の手をじっと見下ろしている。それからふと顔をあげて、何かを打ち明けるような小声になった。
「今しかない、というような、不思議な気持ちでした」
 クレメンスはそのままカオカ遺跡に分け入ったという。俺たちはカオカ櫓に立ち寄ってコルホラ隊長の話を聞いているので、クレメンスがなんとか櫓まで辿りついたことを知っている。しかしこの男一人でよくやり遂せたものだ。俺たちはその同じ道を三人で辿って来たが、苦難の連続だった。


 二枚岩からカオカ遺跡に入ったその日、クレメンスはキャスという手癖の悪い男に尾行された筈だ。だがその話は敢えてしないでおく。それを知ったのは遠見の窓の中でのことで、その話をするなら龍から授かった能力を説明しなければならなくなる。頭がおかしいのではないか、と死体になった男から勘繰られては堪らない。摩訶不思議は死体が喋っている事だけで十分だ。シラルロンデで初めて三人で遠見の窓に入った時のことをルメイとフィアも覚えている筈だが、やはり二人とも何も言いださない。


「荒地がどこまで続くのかと心配になりましたが、暫くしたらカオカ櫓が見えてきました。あれは見逃す筈がない」
 クレメンスがその時のことを思い出して嬉しそうな顔をしている。櫓を見たことがある者なら誰でも同じ思いを抱く筈だ。荒野の断崖にそびえるその櫓は、厳しい自然のなかに打ち込まれた叡智のくさびだ。心細い思いをして進んできた人間にとって、実に頼もしい。
「近付いてくる櫓を見ながら、何と言って守備隊長の兄に面会したらいいのか思案しました」
 その景色が見えるようだ。俺たちが来たのと同じ道をクレメンスも辿っていたのだ。
「でもその心配は呆気なく解決しました。兄が崖下にいるのにたまたま出くわしたのです」


 それは偶然ではない。
 エイノ・コルホラは通りかかる冒険者を見つけるためにわざわざその作業を買って出ていたのだ。コルホラ隊長が灰をシャベルで掬う手をとめてふと荒地の彼方に目をやると、そこに一人の男が歩いているのが見えただろう。灰を穴に落としながら、近づいてくる男を横目で見ていた筈だ。冒険者か、それとも行商のたぐいか。やがて男は、何とも言えない懐かしい顔をして目の前に立っただろう。それが自分の弟だと判った時、コルホラ隊長はどんな気持ちになっただろうか。


「カオカ櫓に三日泊めてもらいました。隊長の弟だと名乗るわけにはいかなかったので、パーティーからはぐれた冒険者ということにして。兄は仕事があったのでゆっくり話せたのは夜だけでしたが、色々な話が聞けました」
 櫓の衛兵たちが寝静まった頃、海賊船のキャビンのようなあの部屋で、夜更けまで身の上話をしたのだろう。わずかに灯した蝋燭の火が兄弟の顔を照らす様が思い浮かぶ。


 デルティスを長く治めていたリヒテンシュタイン家は完全に没落した。元のデルティス公フランツは行方不明、二人の息子は処刑され、主だった配下も散り散りになった。王権も弱まり、いまや宮廷はバイロン卿に支配されている。そのバイロン卿は実権を握りながらも戴冠せず、意に反する者をことごとく排斥している。ディメント王家に忠誠を尽くしていた南部諸侯への風当たりは特に強く、その筆頭というべきサウサリア公は公職を解かれて国もとへ追い帰された。


 クレメンスが櫓の中の様子を語り始めた。コルホラ隊長の部屋にさしかかったところで割って入る。
「その部屋を知ってる」
 クレメンスは言葉を止めて俺を見た。信じられない、という風に眉根を寄せている。死んだ人間にも表情がある。
「つい先日にその部屋で、コルホラ隊長と話をしてきた」
 クレメンスが「本当ですか?」と言ってのけぞった。死体がびくっとして顎をあげているのはちょっとした風情がある。俺の墓標には、死体を驚かせた男、とでも書いてもらうか。


「櫓に通りかかった時にコルホラ隊長が灰を捨ててるのに出くわしたんだ。たまたま灯火新聞の記者がいて、俺たちが山賊とやり合った話をしたら食いついてきてな。そんなこんなで一晩世話になった」
 クレメンスの表情がすっと曇った。死人の顔が晴れるとは思えないが、俺にはそう見えた。
「兄は、……兄は元気にしていましたか?」
「ああ」と俺は言った。「どこも悪いようには見えなかった。ただ、ふさぎ込んでいるようだったがな」
 クレメンスは肩を落として足元を見つめた。
「わたしのせいで兄さんは辺境に追いやられた。あんな場所にいつまでも留められるなんて、酷い話です」


 この事態をどうまとめたら良いのか。
 俺たちは遠い狩場へ赴く旅すがら、カオカ櫓の守備隊長から人探しの依頼を請けた。探し人は見つかったが、死んでいる。その死体は、死人遣いのダークエルフが泥のなかから呼び寄せた。そして死んだクレメンス自らが、逃避行の道程を語って聞かせてくれている。これをありのまま依頼人に話しても信じてもらえないだろう。
「わたしたち、人探しの依頼をうけたの。シラルロンデに向かった弟を探してくれって」
 フィアが静かに告げると、クレメンスがゆっくりと顔をあげた。


「……わたしを探してこんな森の奥まで?」
「いいえ」フィアはそっと首を振った。「この森に来たのは虹羽根……、ツノムシの甲羅を狩るため。そこに吊るしてあるでしょう?」
 フィアがキャンプの屋根代わりにしている帆布の内側を指差した。俺たちが命懸けで集めた虹羽根が松明の光を受けて極彩色に輝いている。それを見たらささやかな安堵に包まれた。戦利品は無事だったのだ。
「途中であの廃墟に立ち寄るから引き受けたの。でも何度も死にそうな目にあってここまで這う這うの体で来た。おじ様を探す余力はなかったわ」


「わたしは悔しい!」
 クレメンスが地面に座ったまま身を縮め、握った拳を片手で包み込んだ。
「ソフィア様を見つけ出して力になろうと思っていたのです。それが、こんな姿になって、探してもらう羽目になるとは……」
 黙って聞いていたルメイが口を開く。
「そんなに嘆くものじゃない。コルホラ隊長はあなたを誇りにしていた。領主様のそばにお仕えしていたあなたの話をして、自慢の弟だと言っていた」
 生と死を隔てる壁は厚くて高い。志なかばで倒れた仲間がいても、残された者に出来ることはない。敢えて言えば追悼するしかないが、それをもって本人の口惜しさを和らげることは出来ない。しかし俺は目の前で、生者が死者を慰めているのを見ている。気を付けないとこれは際限がない。


 頭を垂れているクレメンスの周囲がひときわ暗くなった。
「今から思えば、あの時こうしていたら、という後悔ばかりです。悔しい。本当に悔しい。足手まといになるならせめて金貨と智慧の剣だけでもお渡ししようと思っていたのに……」
 クレメンスは自分の言葉にはっとして顔をあげた。
「そういえば、オイゲン殿はその短剣のことを何か言っていませんでしたか?」
 フィアが自分の腰に吊るしている短剣を見た。
「王佐の剣のこと?」
「そうです。その短剣と私が持っていた智慧の剣は一対のものなのです」


 フィアは短剣に目を落としたまま暫くじっとしていたが、何も思いついた風にはみえない。
「あまり覚えてないわ」
 そう答えてゆっくりと首を振る。
「じいじはこの短剣をあまり好いていなかったみたい。わたしが剣の手ほどきを受けてすぐ、わたしに預けてしまったくらい。魔除けになるから持っていなさいって」
 隣からルメイが「わかるよ」と合いの手を入れた。
「森で生き残るのと金貨を管理するのは似てる。誰かをあてにすれば足元をすくわれる。まして魔法、占い、神がかり、そういうのは遠ざけたい」
 フィアが難しい話を聞いたような顔をしてルメイを見た。そういうものなのね。


「わたしがシラルロンデに向かおうとした理由は二つです」
 クレメンスが早口になる。この男に残された時間はいかほどであろうか。
「ひとつには、衛兵や王の耳に見つからずに、身を潜めて暮らしていける場所があるのではと思ったから」
 だがそうではなかった。冒険者のなかにはあの廃墟まで遠出をする者たちが稀にはいた。それだけではない、黒鹿亭にたむろするならず者「黒頭巾」の連中がクレメンスを追ってきた。さらに、フィアを生け捕りにしろというゴメリー親分の命を受けて山賊たちまでやってきた。


「もうひとつは、王佐の剣と智慧の剣の伝承です」
 フィアが小首を傾げ、伝承? と呟いた。
「御父上から剣を授かった時に聞きました。隣にいたオイゲン殿も聞いた筈です」
 そういえばその二振りの短剣はもともとディメント王の持ち物で、デルティス公に下賜されたものがクレメンスとオイゲンの手に渡ったのであった。
「わたしはじいじからその話は一度も聞いたことがなかったけど」
 フィアが心細そうに言う。
「自らを頼むオイゲン殿は伝承など歯牙にもかけていなかったのですね。彼がこちらへ向かったのは、おそらく……」クレメンスは首をめぐらせて森を見まわした。「この深い森があるからでしょう」


 雨はすっかりやんでいる。人間どもの騒ぎが納まったせいだろうか、どこからかフクロウの鳴き声がする。森の暗さに抗って何本も松明を焚くので油煙の匂いが立ち込めている。
 途切れた会話をフィアが拾い上げた。
「伝承って、どんな話?」
 クレメンスが首を傾けて暫く黙った。
「ディメント公がすらすらと暗唱してくれたのですが、初めて聞く言葉でしたし、もう忘れてしまいました」


 考えが止まったままの俺たちの視線を受けて、クレメンスが慌てて言い足した。
「伝承の言葉自体は大した意味はないと思います。業物についてまわる言い伝えのようなものでしょう。ただ、そこに出てくる『白き塔』という言葉を、ディメント公はシラルロンデのことではないかと思う、と仰ったのです」
 フィアの短剣は魔法がかっていて確かに大した代物ではあるが、うろ覚えの伝承の話を持ち出されても雲を掴むような話だ。俺は息を吐いて緊張を解いた。緩んでしまった雰囲気を引き締めるかのようにクレメンスが背筋を伸ばす。
「わたしは荷物の大半を隠しているのです。そこへ行けば金貨と、帳簿と、智慧の剣が手に入ります」


「その場所を教えて、おじ様」
 フィアが前のめりになる。俺とルメイの目にも力がこもる。俺たちは骨の髄まで冒険者なのだ。
「シラルロンデとカオカ遺跡を結ぶ地下道があるのです。その道はおそらくドラグーン人が造ったものだと思います。通路の脇にところどころに小部屋のような玄室があって、そのうちのひとつに隠してあります」
「やはり地下道があったのか!」
 俺が思わず声にだして言うと、クレメンスが驚いた様子で問うてきた。


「知っていたのですか?」
 俺は少し考えてから、山賊たちの移動があまりに素早いからな、と答えた。遠見の窓のなかでイシリオンが口にしていた、などと言えば話の腰を折ってしまう。
「山賊たちが使っているのは石の道です。わたしが見つけたのは黒の道で、ほんの一握りの人間しか知らない筈です」
 クレメンスがそこまで言った時、俺とルメイとフィアがほぼ同時に口を開いた。言葉が重なったところでいったん口をつぐみ、俺たちは互いの顔を見合った。
「何でも聞いて下さい。ただし一人づつ」
 クレメンスが片手を差し出し、どうぞとばかりに俺を示した。


→つづき

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