店主にお代わりの礼を言い、フリオ青年に別れの挨拶をして薬草屋の店先から立ち去った。薬湯のお蔭か体がぽかぽかとして心地よい。丸めたござを小脇にかかえて噴水広場から五番街に続く路地に入ると、大勢が旧市街へ向かっている様子で、人の流れに乗っている感じがある。
 目抜き通りを見下ろせる高台に来ると、すでに相当の人出になっているのが見えた。そのうちの一区画を見て思わず眉根を寄せた。欅並木のほぼ終点にあたる二番街に近い辺りに、即席の天幕が張ってある。あの大きさだと軽く二十人は入れる筈だ。その出入口を黒頭巾たちが盛んに出入りしている。黒鹿亭の連中がこんな所まで出張っているのか。今日はあいつらと顔を合わせずに済むと思って清々していたのに、気分が悪くなる。


 何気なく立ち止まって黒頭巾たちの様子を窺った。いつも金属製の胸当てや片手剣で武装しているくせに、今日に限って焦茶色のコートを羽織っていて金気がない。開いたコートの中にベストが見えるが、剣帯をしめている様子もない。イルファーロにいるのだから表だって武装出来ないのは当然だが、こんなところに集まっているのは碌でもない事をしているに決まっている。天幕の入口をくぐって中に入る瞬間、コートの裾が不自然に持ち上がるのに気付いた。剣を背負っているのだ。市民風の格好をしていながら油断ならない奴らだ。


 あまり詮索していて気付かれるのも嫌なので天幕の前を通り過ぎる。すぐ先に教会の敷地が見える。欅並木に面した辺りに背もたれのない椅子が数十置かれていて、何事か始まる雰囲気がある。芝生は大きく木柵で囲まれて、そこに据えられた椅子に楽団員たちが座って音合わせをしている。ギターに手風琴、縦笛、ヴァイオリンといった面々で、何をやるのかと興味をもって垂れ幕に目をこらす。どうやら旅回りの一座が劇を上演するようだ。演目の「帰らぬ持ち主を待つ剣の物語」はデルティスの変を描いた人気の劇だ。大いに受けて巷を賑わしたので、観たことがない俺でも粗筋は知っている。


 名うての泥棒がお城の倉庫に忍び込んで剣を持ち出そうとする。すると窓からさす月光を浴びた剣が、手をかけた泥棒に「デルティス公か」と問う。地の底から湧きあがるような不気味な低い声である。泥棒が驚いて手を離すと、剣が「我が持ち主に非ず」と答える。泥棒は剣が喋ったことに腰を抜かしてしまう。「これは何としたことか、剣が物言うを聞いた気がするが、地鳴りかはたまた幻か」。剣はぐわらぐわらと哄笑し、歌にもなった有名な台詞を返して一人語りを始める。「さても面白き夜かな。無聊にかまけて秘密を話そうぞ」。


 剣の持ち主はデルティス公その人である。
 剣には呪いがこめられていて、持つ者を狂わせる。デルティスの領主フランツ・フォン・リヒテンシュタインは忠実な臣下であったが、剣の魔力に負けて王に斬りつけてしまう。王の血を見たとたんに呪いが解け、デルティス公は恐ろしさの余り剣を投げ出して逃走する。剣は証拠の品として城の倉庫に仕舞われる。
 デルティスの領主から一転、大逆人となったフランツは、庇い立てする息子たちを盾になんとか追っ手を逃れる。一命をとりとめた王はフランツの逃げ延びた先、呪いの森に兵を差し向けるが、兵たちは道に迷ってどこにも辿りつけない。そしてフランツもまた、森の精霊に憑り殺されて息絶える。


 五年前、俺はその場にいたので王に斬りつけたのがデルティス公ではなく、その家来だったことを知っている。凶器が剣ではなくて小さな匕首だったことも。だが演劇とはそんなものだ。伝え聞く噂を筆者が面白おかしく脚色して書く。
 変事の舞台となった閲兵場はアイトックスの郊外、クシャーフの丘にあった。捕縛されたデルティス公は近衛師団の野営地に連行されたが、いたって落ち着いていた。俺たち近衛もそれを見て、やはりこの出来事はデルティス公とは関わりがないのだと思ったものだ。王の臣下は数あれど、デルティス公ほど忠実な男はいなかったのだ。


 デルティス公を近衛大天幕の奥にある尋問室に軟禁した後、その身柄の取り扱いで揉めた。侍従長のバイロン卿は直ちに自分が尋問を始めると言い、閲兵式を執り行っていたルナハスト将軍はそれは自分の役目だと言い張った。王は幸い軽傷であったが、大事をとって十重二十重の警護の中で治療中であり、指示を出す状態になかったのだ。結局は宮廷審判所を擁する侍従長のバイロン卿が尋問を執り行うこととなった。


 デルティス公の尋問はバイロン卿とその側近のみで行われたので、それ以外に詳細を知る者はいない。尋問から引き揚げてきたバイロン卿は、デルティス公は謀反を企んだ大罪人である、明日の朝にも王城の地下牢に移送して宮廷裁判を開く、と言明した。その言葉は野営地に瞬く間にひろまった。近衛師団の中には忠臣デルティス公に親しみを感じている者が多く、俺自身もバイロン卿の言葉を疑った。俺は尋問室の前で立哨していた同僚に話を聞いたが、詰問するような大声も声高に話す様子もまるでなかったと言う。


 その夜、斬られた腕を吊った王がデルティス公に会いたいと言って秘密裏に大天幕を訪れた。謀反の容疑者と二人にするわけにはいかないので近衛隊長のベルシェが立ち会ったが、そのとき王はバイロン卿に知らせることを禁じたという。深夜の謁見はそう長くは続かなかった。やがて王は退出し、近衛兵を始めとするその場にいた面々は話を聞こうとしてベルシェを取り囲んだ。ベルシェは手短に言うに止めた。明日の朝、王からお達しがある。それまで待てと。


 さらに夜更け、王がデルティス公と話したことを聞きつけたバイロン卿が起き出して来て、夜のうちにデルティス公を王城へ移送すると言い出した。これには近衛隊長のベルシェが反対をした。ただ一人ベルシェだけが王の意向を知っているという混乱した状況であった。近衛師団の指揮権は侍従長のバイロン卿にあるので、ベルシェの態度は命令違反にあたる。ベルシェは近衛隊長の職を解かれ、営倉に入れられることになった。


 バイロン卿は繰り返しデルティス公を移送するよう近衛師団に命じたが、王の天幕の警護を手厚くしているところで、人手が足りなかった。さらにはその夜、クシャーフの丘には近衛師団の他にも山賊討伐のために募られた新兵団の三千五百人ほどが野営していた。閲兵式は混乱のうちに終わったので、近衛師団の隊長たちが野営地を駆け回って動揺がひろがらないように手を尽くしているところだった。暗い夜のうちにデルティス公を移送するとなればさらに手分けをする必要があり、準備をしているうちに朝を迎えてしまうだろう。
 ベルシェ隊長を欠いた近衛師団の幹部たちは、デルティス公の夜間移送は無理であることを連名で申し立てた。怒鳴り散らすバイロン卿との間で衝突が起きたが、バイロン卿もまさか幹部全員を営倉送りにするわけにもいかず、とりあえず朝を待つこととなった。


 そして翌朝、尋問室に軟禁されていたデルティス公は忽然と姿を消していたのだ。新兵の編成を一旦解いて周辺の捜索隊が組織され、完全武装した近衛の一団を引き連れてバイロン卿がデルティス城に急行した。この後のことは世に知られているのと同じで、デルティス公がどこへ行ったのか、俺も真相を知らない。
 だが、その後に起きたことを考えたら自明の理と言える。バイロン卿はこの椿事を利用して政敵を抹殺にかかったのに違いない。おそらくデルティス公は夜のうちに亡き者にされている筈だ。大公ほどの男が、たった一人で五年も逃避行できる筈がない。


 物思いに耽りながら教会の芝生に劇の書割が配置されていくのをぼんやりと眺めていたら、西空が赤々と暮れはじめたのに気付いた。空に棚引く紅色の薄雲の中に、教会の尖塔が暗く突き立っている。今しばらく思い出に浸っていたい気もするが、これ以上待たせたらルメイとフィアが心配してしまうだろう。
 脇に立てていたござを小脇に抱え直し、並木をゆく人の流れに乗る。


 似たような建物が並ぶなか、ホテル南イルファーロの看板を覚えていて助かった。フロントの女性は俺のことを覚えてくれていて、会釈をするだけで中に入れた。階段を上って三階の部屋に入ると、人の気配がしない。窓からは盛大に西日が入ってきていて、部屋全体が茜色に燃え上っている。その神々しい光の中、極小の繊維が空中をゆったりと漂っている様を立ち尽くして眺めた。初めに入った時とまるで印象がちがくて、お伽の国から十年振りに帰ってきたかのような気分を味わった。きっと俺は魔法の薬を飲んで長いこと寝ていたのだ。ルメイとフィアはどこへ行ってしまったのだろう。部屋にはほんのりと白湯の匂いが漂っていて、浴室から水の音がする。


「誰かいるかな」
 浴室のドアを開けて中を見ると、籐の衝立がひろげられている。衝立にキルティングの亜麻服と、フリルのついた足首まであるパンタレットがかけてある。浴室も西日の色に染まっていて、藤の隙間からうっすらと浴槽の様子が透けて見える。頭にタオルを巻いたフィアが肩まで湯に浸かっているようだ。
「姫御前が入浴中ですよ。ご遠慮なされ」
 肩に湯をかけるような、チャプリという音が狭い部屋に反響する。天井の隅っこには光の波紋がゆらゆらと揺れている。フィアの声から、湯浴みを寛いで楽しんでいるのが伝わってくる。
「すまんね」
 俺はドアを締め切らず、細く開けておいて中にいるフィアに声をかけた。
「教会の隣の番地をござ二枚分取って来たよ」
「あら、お金を取られたでしょう」
 また水の音がする。
「大した金じゃない。三人の時もあるから、それ位ないと狭いだろう。ござも一枚買い足したよ」
「それもそうね。ありがとう」


「ルメイはどこに行ったのかな?」と俺は言った。「まさか振る舞い酒を?」
 フィアがころころと笑う声が浴室に反響する。
「振る舞い酒は夜中よ。わたしが買い出しを頼んだの。明日の午前中には旅の空、出がけにばたばたすると嫌だから、必要な物を買ってきてもらうことにしたの。食糧とか燃料とかそういった物ね。この辺りの商店でそろそろ安売りが始まるのよ」
 フィアが浴槽から上がる水音がして、濡れた足音がする。俺は薬草屋の主が言っていた話を思い出した。実用品を買いためるなら今が好機だろう。
「ルメイに悪いことをしたな。金はあらかた俺が預かってるんだよ」
「大丈夫よ。ルメイにはお小遣いを渡してあるわ」
 フィアは鼻歌を口ずさみながら、体を拭き始めたようだ。
「そうか。後でみんな精算する」
「いいのよ、パーティーなんだから。気にしないで」
 俺の気が済まないのだとはあえて言わず、浴室のドアを閉めた。


 居間の椅子にどさりと腰を下ろす。テーブルの上にはフィアの売り物が並んでいる。顔を寄せてみると、丁寧な文字で値段が書かれた正札が添えられている。ポットに残っていた冷めた紅茶をカップに注いで飲みながら、そのひとつひとつを目で追った。良い方のカメオのブローチはたしか銀貨二、三枚と言っていた筈だが、銀貨一枚の札がついている。おもちゃと言っていた古ぼけたコインや瑪瑙石などは銅貨数枚の値がついている。どうやらフィアは今夜、これらの品を売りつくして金に替えてしまおうという心積もりらしい。深緑や乳白色をした光沢のある石は篝火の下で見たらどう映るだろうか。もしかして恋人に贈るのに買っていく者もいるのではなかろうか。


→つづき

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