カオカ遺跡は、神々の荒々しい所業を思わせる。廃墟と植物の無秩序な混ざり具合は、まるでこの街が神々の呪いを受けて破壊され、ゆっくりと森に食われているかのようだ。
 かつてドラグーン人が開拓したとされるカオカの街は、紋様を彫り込んだ大量の石材で構成されていた。門があり、道が敷かれ、様々な建物が造られた。それらが全て機能していた時代、この街は深緑の森に浮かぶ眩い純白の街だったことだろう。大陸中央から次第に勢力を伸ばしたドラグーン人にとって、アイトックスやデルティス、イルファーロといった地方は東の辺境にあたる。その辺境の要所に、白亜の文明都市を見せつけるように建造したのだ。


 それが今、建物は崩れ、敷石は割れ、風雨に曝された瓦礫は苔蒸して灰と緑の混ざり合った無残な姿と成り果てている。例えば目の前にあるカオカの門は、その質量が膨大だったために崩壊してなおその基部が門の役目を果たしているが、繋がる壁の大半は倒壊し、屏風の木と呼ばれる樹木が壁に網目のような根を張っている。屏風の木が根を頼りに遺跡の上部に枝を張って葉を生い茂らせている様は、森が人工物に対して勝利の旗を掲げているかのようだ。


 分厚いカオカ門の基部に入る。
 人間の背丈ほどの基礎が残り、その上にあった構造物は崩壊しているが、足元に転がっていた瓦礫は冒険者の手で門の脇にうず高く積まれている。かつて街だったということは、何か価値のある物が埋もれているかもしれない。それを手に入れようと大勢の冒険者が遺跡を探索した。その往来に邪魔な瓦礫はすっかり取り除かれてしまった。この辺りはすり鉢状になって空気が淀んでいるので、泥と苔の匂いが鼻につく。
 カオカ遺跡が冒険者にどんな土産を与えたかは知らないが、今や足跡だらけの探索され尽くした遺跡となっている。もはや人が出入りしていない区画を探すのは難しいだろう。


 木の根がはびこる壁に体を寄せてそっと開口部の向こう側を覗き込む。
 頭上には深緑の枝葉が広がり、姿は見えないが近くで小鳥が囀っている。壁には湿気た苔が勢いよく蔓延っていて、小手越しにも柔らかく盛り上がっているのが判る。耳を澄ますが、門の奥に何かが潜んでいるような気配はない。
 俺はそっと振り返り、壁際に立つルメイとフィアの顔を眺め、静かに剣を抜いた。剣が鞘を擦るシャリィィィンという微かな音が長く尾を引いた。遺跡は静かな朝にまどろんでいるかのように見えるが、ここはもうコボルトやツノムシが普通に現れる狩場だ。


 フィアに案内を頼むとは言ったが、ここで先頭を任せるのは気が引けるので見通しのいい場所までは俺が先導しようと思いつく。
「取り敢えず遠見の丘に登るが、それでいいか?」
 ほとんど音をさせずに短剣を抜いたフィアが頷いた。そういえばその短剣は王佐の剣というのだった。フィアはそのことを知っているのだろうか。昨夜は暗くてよく見えなかったが、刃元の方に何か銘が彫ってある。俺がじっと短剣を見ているのでフィアが首をわずかに傾げた。







 カオカの門をくぐると、ルメイとフィアが後に続いた。
 俗に大通りと呼ばれる道が数十歩続いて、その先で大きな建造物の瓦礫に塞がれて進めなくなっているのが見える。大通りとは言っても、敷石が割れてあちこちでその断面をみせ、露出した土を雨が削るので凸凹だらけの道である。ここから奥に進むには左手の建物に入ってその窓を越えて行くか、大きく右手に回り込んで壁の切れ目から先に進むしかない。冒険者たちが、窓の道、壁の道、と名付けた二つのルートだ。遠見の丘は左手の高台にあるので、窓の道から進むことにする。


 足場の悪い大通りを、左の壁沿いに進む。
 正面には三階建てほどの大きさがあったと思われる建物が基礎を残して崩れ、紋様のわずかに浮かんだ苔だらけの石が山の裾野のように周囲に広がっている。その手前の左側に、他の建物と比べたら保存の良い建物が残されている。そこに滑り込むようにして入る。
 カオカ遺跡にはあまり来たことがないルメイが、小振りのメイスを構えたままついて入り、大きな空間をぐるっと見回した。ここは天井が高いのでお堂などと呼ばれている。何のために造られたかは判らないが、四方に大きな開口部があり、それが瓦礫の山を迂回する分岐点の役目を果たしている。床が珍しく平らなので、フィアがそっと開口部に回り込んで周囲の様子を窺っている。


 ずいぶん離れたところから、ジェラールのパーティーの釣り役がホーッと声をあげているのが聞こえてきた。彼らも狩りを再開したようだ。二枚岩の狩場は遺跡の入口から少し離れた場所にあり、釣り役が行き来するための平らな道が幾筋か作ってある。そこなら走ることが出来るが、それ以外の場所でコボルトと遭遇したら足場が悪くて逃げられない。カオカ遺跡を探索する時はこちらが先に相手を見つけるように、注意深く進まなければならない。


 お堂から出て西の路地を進む。
 大通りと平行に走っている細い通りで、途中で二度ほど分岐しながら遠見の丘まで続いている。左右には建物の壁が視線を妨げるように残されていて、見通しがきかない。壁の切れ目からそっと顔を出して周囲を見渡す。コボルトは待伏せをするような頭はないが、ツノムシの群れと出合い頭に遭遇するのは避けたい。あいつらは必ず三、四匹でかたまっていて、いきなりたかってくるので始末に負えない。
 それに、今はもう討伐されたが、この辺りで待ち伏せするのを得意にしていた山賊もいた。どんな狩場でも最悪の敵は、こちらの手の内を知り尽くしている山賊たちだと言える。







 西の路地の曲がり角で壁の先にそっと顔を出して覗き込むと、ツノムシの群れが見えた。形がコガネムシに似ているので距離感を誤りそうになるが、一匹一匹が人間の胴回り程もある巨大な虫だ。
 壁沿いをついてくる二人にさっと手を上げてみせた。道の敷石がほとんどなくなって土がむき出しになった一画がある。そこは明るい陽だまりになっていて、下草が生えている。草が揺れているので目をこらせば、数匹のツノムシが固まって蠢いている。ちらちらと見える甲羅が陽射しを反射していないかと期待するが、あれは金ぴかツノムシではなくて、赤錆のような色をした普通のツノムシだ。
 フィアが俺の足元に屈んで地面に手をつき、壁の向こうを凝視している。金髪が陽を受けて輝いている様は、色褪せた廃墟ではなんとも好ましく見える。


「おい、何が見えるんだ」
 様子が判らないルメイが小声で訊いてくる。
「ツノムシだ。回り道するより、倒して先に進もう」
 俺が答えるが早いか、ルメイが重ねて聞いてくる。
「オオルリコガネか?」
 フィアが道の先を見ていた目をルメイに向けた。
「残念。あれはオニハナムグリね。草地に三、四匹かたまってる」
 フィアが言うなり、荷物の中から罠網を取り出した。持ち上げて捻じれを取りながら左手の肘に二つかけ、三つ目を右手に持っている。
「網で狩るのか?」
 フィアが下からぐっと見上げながら、「そうよ」と答えた。
「俺たちはいつも通りの武器で戦うけど、あれは甲羅を傷つけてもいいよな?」
 荷物を静かに壁際に置き、指を順に開いて剣の柄を握り直す。
「あの甲羅は売り物にならないわ。気にせずやって」
「よし。少しずつ釣り出すのは難しそうだから、ここを出て五歩の辺りで迎え撃つぞ」
「了解。飛んでくる奴を落とせるだけ落とすから、その後をお願いね」
 フィアが立ち上がりながらさっと通りに出た。


 フィアがツノムシたちから二十歩辺りの所まで進んで立ち止まった。前屈みになっていつでも罠網を投げられるように身構えている。俺はその左、一歩下がった辺りに陣取った。丸盾を背中にまわして両手でバスタードソードを握りしめる。ルメイはフィアの右側に立った。
 ツノムシたちが俺たちに気付いた。もぞもぞと窪みから這い出してきて、背中の硬い甲羅を少し持ち上げている。甲羅と腹の隙間から、茶色の薄い羽根が出てきた。


「気を付けて、五匹以上いるわ」
 声をかけながらフィアがさらに低く構える。
 ブブブブブという嫌な羽音が聞こえてきて、ツノムシたちが飛んできた。こいつらは飛ぶのが得意ではないらしく、脚を空中に思い切り突っ張っていて、鎖のような足先に鋭い鉤爪が見える。あの鉤爪でしがみつかれると取り払うのに苦労するのを思い出して嫌悪を感じる。


 シャッという音がして、フィアが罠網を投げた。
 体の横から網を振りだす感じで、網を手放す瞬間に両手で捻っている。遠心力で分銅が広がるので網が空中にぱっとひろがった。その網の中にツノムシが突っ込んでくる。ツノムシは網に絡まり、羽ばたけないので地面に落ちてもがいている。フィアはその頃にはもう二枚目を投げている。見事なものだ。


 余所見をしている暇はない、一匹がまっすぐ俺の方に向かってくる。左手で柄頭ぎりぎりを握り、右手で刃元のリカッソを握って待ち受ける。近寄ってくるにつれて羽音が大きくなり、腕や首がむず痒くなってくる。柄を支点にして小さく斧を振る要領で、狙い澄ましてツノムシの頭部を叩いた。うまい具合に命中し、ツノムシは地面に落ちて引っくり返った。
 慌てて体の向きを直そうとしている所を、ブーツで踏みつける。空中に突き出して掴む物を探していたツノムシの脚が俺の足をがっちりと抱え込んだ。その節くれだった脚と鉤爪がブーツに食い込んでくる。ツノムシを踏んでいる左足を悪寒が駆け上がってくる。


 自分の足を斬らないように気を付けながら、剣先をツノムシの剥き出しの腹にそっとあてがい、ゆっくりと突いた。ブシャと音がして緑色の体液が流れ出てくる。思わず顔をしかめるが、ツノムシはキイキイと鳴きながらさらにブーツを脚で締め上げてくる。腹を何度か刺すが、ツノムシの力は衰えない。
 剣先を靴底と虫の間に差し入れ、ツノムシの胸の甲羅の隙間にあてがった。剣を突き入れると、グシャリという硬い手応えがあった。それでやっと締め付けが止まった。剣をそばに置いて両手で鉤爪を引き剥がしにかかる。ブーツはすっかり傷ついて、何箇所かは鉤爪で穴があいてしまった。こんな狩り方をしていたらすぐにもブーツが駄目になってしまうだろう。


「うおおお!」
 大声をあげたルメイを見ると、ツノムシにしがみつかれている。ちょうど胸の辺りにくっついていて、手が届かない背中の方に鉤爪が回っている。ルメイは武器を手放して虫の脚を引き剥がそうと必死になっている。
「待って、ルメイ、そのままにしていて」
 フィアがルメイに近寄りながら、落ち着いて、動かないで、と繰り返している。俺はツノムシが飛んで来た方を確認した。もう残りはいない。コボルトの姿も見えない。フィアは三匹のツノムシを網で絡み取っていて、そいつらは地面に転がってもがいている。俺はさらに周囲をぐるっと見渡してから、身もだえしているルメイの所へ歩みよった。


→つづき

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