荒地の塔に夜がくる
  石くればかりの丘のうえ
  筋違ならして風が吹く
  月夜に浮かぶ千切れ雲


 まだ夕食に集まるには早い食堂を、一つきりの燭台がほのかに照らしている。
 長方形の分厚いテーブルの向こう端はほとんど闇に包まれている。俺とルメイとフィアの三人は上座と思われる場所に座らされ、当番兵が隣の厨房で食事の支度を終えるのを待っている。
 厨房で調理をしている衛兵はなかなかの歌い手で、まだしらふであろうに、伴奏もなしに朗々と声を響かせている。歌の合間に何かを炒める音が聞こえ、香ばしい匂いがする。夕飯を心待ちにする子供のように鼻をきかせているうちに、それが玉葱を炒める匂いと気付く。手持ち無沙汰に薄暗い壁を眺めながら、コルホラ隊長が厨房に入って行った時のやり取りを思い出す。


 ドミトリ、三人分追加だ、とコルホラ隊長が言った。
 さっき上にあがって行った冒険者たちの分だな? と聞き返す男の声が聞こえた。その野太い陽気な声を聞いただけで、ドミトリと呼ばれた男が大柄で鷹揚な男であることが伝わってくる。コルホラ隊長は食堂の入口から顔を出して俺たちを見て、少し待っててくれ、と言い残して去った。
 それから俺たちは暗い食堂で並んで座って待っている。
 子供の頃、年に二度ほど親戚が集まる日があった。収穫祭か、或いは聖樹節だったかは忘れたが、大人たちが話をするあいだ子供たちは奥の間に集められた。まだ幼い子から、農作業を手伝っている年上の子まで、十人はいた。よく知っている顔も、ほとんど見たことがない顔もあった。居間にお菓子と甘い飲み物が運び込まれている最中で、子供たちは薄暗い部屋でわくわくしながら呼ばれるのを待っていたものだ。大人しい女の子たちも期待に目を輝かせて声高に話をしていたし、男の子ははしゃいで小突きあったりしていた。


 追憶は耳を刺す鐘の音に途切れた。
 人の頭ほどの鐘を金属で思い切り叩く音が連続して続く。それを合図に建物の戸が開け立てされる音が続けざまに響いてきた。大柄な男が小さな蝋燭と細長いこよりを持って部屋に入ってきた。彼がドミトリなのだろう、体に料理の匂いが染みついている。ドミトリが食堂の燭台に火をつけて回ると、部屋全体がよく見えるようになった。
 細長い部屋に武骨で長大なテーブルが据えられていて、ぐるりと囲めば優に二十人は座れる。俺たちが座っているのは部屋の奥の方で、そのどん詰まりには横に三人ほど並べる小さ目のテーブルが据えられている。すべての灯りをつけたドミトリが厨房に戻るのと入れ違いに、コルホラ隊長が来て上座のテーブルにこちら向きに座った。さらに廊下から足音が聞こえてきて、衛兵たちが次々と食堂に入ってきた。彼らは俺たちを見て一瞬どこに座るか逡巡したのち、それぞれの席に落ち着いた。厨房ではまだ物音がしているが、隊長も合わせて十人の衛兵がテーブルに着席している。


 俺は背筋を伸ばし、居住まいを正した。隣にいるフィアは落ち着いた様子で涼しげな顔をしている。武装した男ばかりの所帯に女が一人でいるというのに、度胸がある。ルメイが厨房から届く料理の匂いを嗅いでいて、足が届けば脛を蹴ってやりたくなる。
「お客さんを紹介する」
 集まった衛兵たちがコルホラ隊長に注目した。
「崖下で灰を捨てている最中に通りかかった冒険者だ。遺跡で見た山賊の話をウァロック君にせがまれて、立ち話も何だからここに寄ってもらった」
 上座に近い俺に自然と視線が集まる。
「セネカといいます。どうぞよろしく。こちらはフィア、そしてルメイ。カオカから森の辺りを探索しているところです」
 フィアとルメイも頭をさげた。今度はフィアに視線が集まる。コルホラ隊長が言葉を続ける。
「ウァロック君との話にすっかり時間を取られてもう黄昏時だ。敷地の中で野営させてくれないかとの申し出があったんだが、見れば娘さんも一緒のパーティーじゃないか。私の部屋の宿直室に泊まってもらうことにした。一夜の友だが、仲良く頼む」
 

 コルホラ隊長が自分の隣の空席を手で示した。
「副隊長のドミトリは今、厨房にいる。態度のでかい奴だが、料理はうまいぞ」
 衛兵たちの顔に笑顔が浮かんだ。厨房に向かって開けたままのドアから、聞こえてるぞ、と怒鳴るドミトリの声がすると、どっと笑いが広がった。コルホラ隊長は反対側の隣席に座った年嵩の男の方を向いた。
「こっちは主計のタリアーニ。さっきは暗い部屋で待っててもらって悪かったが、主計に言われるまでもなく、とにかく経費を詰めないといかんのでな」
 肩に手を置かれたタリアーニが黙って頷いた。
「後はいいだろう? 勝手に自己紹介してくれ」
 コルホラ隊長が大テーブルに座った面々を見て言った。衛兵たちが上座の方から名前だけ告げていった。よろしくな、と添える者もいるし、素っ気ない者もいる。しかし覚えきれるものではない。衛兵たちの自己紹介が終わると、何かあるかね、という感じでコルホラ隊長が俺を手で示した。


 こういう時は一瞬で頭を巡らせなければならない。
 滅多にないことらしく、衛兵たちは部外者をどう迎えて良いかはっきりしていない顔だ。日課をこなし続ける衛兵の暮らしは俺も知っている。彼らはどこにも行かずにここに詰めているが、俺たちは渡り鳥のようなものだ。フィアのような若い女を連れた冒険者風情が、いつも自分が座っている席に着いていたらどんな気持ちになるか、よくよく思いを致さねばならない。
「衛兵の皆さんにはいつも感謝しています。街ではよく見かけていましたが、櫓にもこんなに詰めてるとは知りませんでした」
 コルホラ隊長が満足そうに頷いた。
「厨房にあと二人いる。ここの定員は十二人で、昼のうちは記者も一人か二人いる。なかなかの大所帯だろう」
 近衛の小隊も十二人が定員だった。懐かしい話で、俺も頷いた。
「実は予定が遅れ遅れになって焦っていたのを、隊長に助けてもらったというところです。食事まで招いてもらって、感謝しています」
 俺が改めて頭を下げたので、少なくとも生意気な奴でないことは判ってもらえたようだ。衛兵たちは寛いだ顔をして俺たちを見ている。


 話しの途切れたところへ、ドミトリともう一人の衛兵が厨房から料理を運んできた。下座にいた衛兵が数名、さっと立ち上がって厨房に向かった。数人がかりで次々と料理が運ばれ、テーブルに並べられていった。
 料理は厚手の木皿にまとめて出された。
 豚肉と玉葱を炒めたものが中央にこんもりと盛り付けられていて、見るからに食欲をそそる。湯気とともに甘辛い匂いが立ち上っていて、空きっ腹にはたまらない。
 大皿の隅には塩漬けニシンが添えられているが、肉汁に浸らないように焼き目の付いた柵切りの人参が敷いてある。ニシンの身には白銀に光る皮が残っていて、玉葱のみじん切りと香草が乗せてある。次いで、野菜スープが両手を合わせた程の大きさの椀で出された。スライスした硬いライ麦パンも添えられる。なるほど兵隊の食事はどこでも似たようなものだ。このあとまだ任務があるので酒は用意されていない。
 

 食事の準備ができて場が静まった。
 上座のテーブルに、タリアーニ主計、コルホラ隊長、ドミトリ副隊長の三人がこちら向きに並んでいるが、左右の二人が大柄なので、真ん中に座った隊長がいよいよ小柄に見える。この三人が士官なのだ。
「アブルールに感謝を」
 コルホラ隊長が目をつぶり、拳を額につけてから食事を始めた。衛兵たちも同じようにして食べ始める。兵隊の祈りは素っ気ないものだ。
 豚肉はハーブと一緒に炒められている。皿の上に鼻をもってきて匂いを嗅いでみた。このわずかな香りはタイムだろうか。一口頬張れば豚肉の甘みが口にひろがる。褐色の甘辛いソースは材料がわからないが、肉厚の玉葱に良く合う。
 ニシンの塩漬けはナイフで切り分けると薄桃色の断面が見える。衛兵たちは硬いライ麦パンを野菜スープにつけて食べているが、俺はニシンの身を乗せて噛みしめる。脂が乗っていて、塩味がきいて旨い。


「山賊に会ったって話だが、どこで鉢合わせを?」
 副隊長のドミトリが食事の手を止めて山賊の話を振ってきた。ドミトリは大柄な男で、焦茶色の髪を短く刈り込み、青い瞳をまっすぐこちらに向けている。腕が太く、手の甲から指の背までびっしりと毛を生やした雄々しい奴ではあるが、その笑顔には人好きのする雰囲気がにじんでいる。俺は頬張っていたものを呑み込んだ。
「俺たちは襲われてない。遠見の丘で昼飯を食い終わった頃に、ジェラールのパーティーのマシューが助けを求めて来たんだ」


 大テーブルの末席に、白に近い銀髪を眉にかかるほど伸ばした男がいる。いくらか体の線が細いが、鼻筋の通った優男だ。そいつがナイフを使いながらこちらも見ずに冷かしてきた。
「二枚岩で狩りをしてたんじゃないとしたら、女連れの冒険者さんたちは何をしてたんだい?」
 何人かが下卑た笑い声をあげた。世の中には当然こういう奴もいる。俺は少し笑みを深くして言葉を返した。
「フィアは罠師でな。こう見えて狩りの腕はなかなかのものだ」
 フィアは少し苦しそうな顔をしているが、俺の紹介を無視するわけにもいかず、ちらと顔を上げて微笑んだ。すると、さっきとは別の一人がおかしな節をつけて答えた。
「お上手なんだそうだよ」
 微笑んだまま顔を向け、そいつの顔も覚える。栗色の髪を刈り上げた大鼻野郎だ。まだ若く、俺とそう年も違わない感じだ。フィアは自然な感じを装っているが、多少こわばったように食事をしている。ルメイは何も耳に入っていないかのように旺盛に食べ続けている。


 銀髪の優男と栗毛の大鼻野郎を無視してドミトリに言葉を返す。
「二枚岩に戻った時には剣士が二人やられてた。その場に十人もいたのに、奇襲されてあっという間にやられたらしい」
 ドミトリが一瞬手をとめてから、ニシンの切り身を口に運んだ。
「相手は何人だったんだ」
「六人。けっきょく取り逃がしたが、そのうち二人はサッコとオロンゾだった」
 コルホラ隊長が料理の中に虫を見つけたかのようなしかめ面をして、忌々しそうにナイフとフォークを皿に置いた。
「誰かその二人を討伐してくれんものかな」
 コルホラ隊長が溜息をついてからライ麦パンを齧った。また下座の方から声がかかる。
「冒険者ってのは山賊にいいようにやられちまうんだな」
 声の主に対して、コルホラ隊長が冷たい視線を向けた。ドミトリは面倒臭そうな顔をしてみせた。銀髪の優男の、この界隈での人気が判るじゃないか。


「赤髭のメイローって剣士がいて、そいつが賞金首を二人倒した。若い名無しの山賊も二人倒して、つごう四人やっつけた」
 俺もそいつを見ずに答える。ドミトリの顔色が明るくなった。
「誰だ、その賞金首は?」
「鷲鼻のウーゴと、皮剥ぎのマカリオ」
 ドミトリが拳でテーブルを叩いた。
「そいつは朗報だ。その二人はいつもつるんでカオカの辺りを荒らしてたからな。今頃その剣士は金貨をもらって大酒を飲んでるぞ」
 ドミトリが豪快に笑い、コルホラ隊長とタリアーニ主計も頷いている。俺は赤髭のメイローを主役にして話しながら、陰で賞賛の一部を盗み食いした。


 食事が終わると、下座の衛兵たちが皿を片付けて回った。俺たちが料理を全て平らげて皿をまとめると、それをドミトリが器用に重ねて持った。フィアが「ご馳走様でした」と言って笑顔を向けると、ドミトリはにっと笑って皿を厨房へ持ち帰った。テーブルの上が片付けられると、台の上を拭いて清めている。ここで何か始めるようだ。
 大テーブルの下座の方に衛兵が五、六人集まって灯火信号の符牒を確認している。原稿を読む係が、カオカ地方、と言えば、符牒一覧を見ている係が、三、と読上げ、それを記録係が票に記入している。順に聞けば、先刻ウァロックから聞いた速報と同じ内容であることが判った。


 コルホラ隊長とタリアーニ主計が大テーブルに移ってきて大きな帳面を繰り始めた。タリアーニ主計は黒髪を刈り上げた堅肥りの男で、四十前後に見える。頬が垂れて顎が二重になり、胴回りが太い。剣を振るうよりは帳面に数字を書くのが得意そうだ。
「すまんが冒険者の方、今イルファーロの木炭の相場はいかほどかね」
 タリアーニが帳簿から目を上げて俺たちに声をかけた。満腹してゆったり構えていたルメイが答える。
「大袋で銀二枚前後ですね。時季で相当に変動しますけど」
 タリアーニは渋い顔をして、そうかあ、と呟いた。ルメイはタリアーニが羽根ペンを走らせている様子をしげしげと見ている。
「帳簿付けですか。大変ですな」
 タリアーニがふとルメイを見返した。
「あんた冒険者だろう?」 
「冒険者は商店主とも戦わねばならないのです。装備に食糧、消耗品。私たちは全財産を担いで歩いてますからね」
「それも大変な話だな」
 タリアーニがからかうような顔でルメイを見た。


 コルホラ隊長が指で目頭を押さえながら乾いた声で言う。
「はた目には判らんだろうが、櫓は毎日大いに戦っているのだよ。経費と」
 大人しくしていたフィアがそっと口を開いた。
「私たち路銀に余裕がありますから、先ほどのご馳走の代金を払わせてもらえませんか」
 コルホラ隊長がぱっと顔を上げて手のひらを振って見せた。
「ちがうちがう、そういう意味で言ったんじゃない。君たちから金を取ろうとは思わんよ」
 フィアは腰のベルトに提げた革袋をまさぐっている。コルホラ隊長は、いらんよ、受け取らんよ、と固辞している。俺はフィアの膝を軽く叩いてやめさせた。この流れで大人役のコルホラが金を受け取る筈がない。フィアはすまなそうな顔をしている。


「ちょっと見させてもらっていいですか?」
 ルメイが帳簿を手で示してタリアーニに問うた。
「構わんが、仕訳が判るのかね?」
 タリアーニが帳簿を少し押し出した。ルメイは椅子を持って主計の隣に移動すると、帳簿をぱらぱらとめくった。
「おいおい、国家の機密が漏れてしまうぞ」
 コルホラ隊長は大げさに言うが、痩せた顔に笑みを浮かべている。ルメイは気軽そうにあちこちのページを見て、目を細めて数字を確かめている。かと思えば大きくページを遡り、元のページと数字を見比べたりもしている。帳簿というものに何が書いてあるのかは知らないが、ルメイはよほど手慣れているとみえ、要所要所をかいつまんで読み取っているようだ。
「なるほどですね」
 ルメイが納得したように頷いてから、帳簿をタリアーニに押し返した。ほんのいっとき見ただけなのに、もう必要なものは全て見させてもらいましたという顔をしている。タリアーニが疑り深そうに薄く笑いながらルメイを見た。
「何か判ったのかね?」
 ルメイは暫く考えてから口を開いた。


「櫓の予算は減らされる一方で、収入は通信組合に開閉器を時間貸しする代金に頼っている状況です。こういう場所にはふつう雑役が配置されるのにそれもない。櫓の経営は大量に使う薪の相場が変わるたびに良化と悪化を繰り返し、良化すれば予算は減らされ、悪化すれば放置される。おかげで筋違の修繕も遅々として進んでいない」
 コルホラ隊長とタリアーニ主計の顔から笑みが失せた。厭な感じの沈黙が続いた。
「それだけの事を今、読み取ったのかね?」
 タリアーニ主計は据わった目をしている。ありのままを言い当ててしまったのだ。こんな僻地にあるとはいえカオカ櫓は軍事施設である。どうやら余計なことを言ってしまったようだ。ルメイが慌てて答える。
「先ほど言いましたように、冒険者も商売に詳しくなければやっていけない時代なんですよ」


 コルホラ隊長が目を細めてルメイを見た。
「君は何者かね?」
 手が短剣の柄に乗せられている。俺が右手を動かそうとすると、フィアが手首を握ってきた。細くてひんやりする指先だ。
「実は、その、雑貨屋をやっていたことがありまして」
 ルメイの喋り方は俺でも嘘と見抜ける。タリアーニ主計が大きくかぶりを振った。
「違う。今のは雑貨屋の所見じゃない」
 ルメイが観念したかのように一つ大きく溜息をついた。
「商会を経営していました」


 タリアーニ主計がルメイから目を逸らし、何かを思い出そうとするかのように首をゆっくりと捻った。
「確か、名をルメイといったな?」
 体を固くしたルメイが、しぶしぶという感じで頷く。
「君はルメイ商会のルメイか?」
 タリアーニ主計が眉根を寄せて顔をつきだした。その名に思い当たる節がないコルホラ隊長はいぶかしそうに二人の顔を見比べている。少なくとも俺も商会のことに詳しいとは言えない。ルメイはばつの悪そうな顔をして俺とフィアを見た。そして小さく頷く。
「こんなところで何をしているのだ? なぜアイトックスを出たのだね?」
 タリアーニ主計が信じられないという顔をしている。ルメイは顔を伏せながらぼそぼそと話し出した。


「人には色々と事情というものがあるのです。訳あって商売が続けられなくなって、この界隈に流れ着いたのです」
 初耳だ。このルメイという男は実に水臭い。長いこと一緒に過ごしてきたのにそれを言わないとは。もっとも俺も隠し事をしているし、おそらくフィアもそうだ。
「私はここに配属される前、君の商館に行ったことがあるぞ。そういえばあの時、あそこにいたのは……」
 タリアーニ主計が食い入るようにルメイの顔を見た。コルホラ隊長は緊張を解いて、なんだ会ったことがあるのか? と小声で訊いている。タリアーニは、うんうんと頷いているが、ルメイは首を振って、申し訳ありませんが覚えてません、と小声で答えた。


 俺は我慢できなくなってルメイに声をかけた。
「おい、二年も一緒にパーティーを組んでいて、一言くらいあってもいいんじゃないか?」
 ルメイがはっとしてこちらを見たが、俺が笑っているのでいくらか安心したようだ。タリアーニが目を丸くして、何だ知らなかったのか、と言う。
「隠していて済まなかった」
 俺には想像がつく。酒だ。ルメイは酒で失敗をして信用を失い、商会を倒産させてしまったのだ。そういう事であれば隠しておきたくもなるだろう。俺は笑ってルメイの背を軽く叩き、まあ気にするな、と言った。
 緊張していた場は和んだが、ひとりコルホラ隊長だけが俺たちをじっと見ている。
「君たちは二年も一緒に探索しているのかね」
「ええ。まあ」
 俺とルメイがしてきたことは探索とは言い難いし、フィアとパーティーを組んだのは二日前だが、余計なことは言わずに曖昧に相槌を打った。


 食事の後、闇が深くなるまでの間、衛兵たちは片手間に仕事をしながら食堂で団欒の時間を過ごすようだ。灯火信号の確認をしていた衛兵たちも、今は出された紅茶を飲みながら寛いで話し込んでいる。質素なカップに注がれた熱い紅茶が、上座に座って話をしている俺たちのところにも運ばれてきた。
 暫くして洗い物をすっかり終わらせた衛兵たちが、厨房から食堂に戻ってきた。そのうち副隊長のドミトリだけがこちらへ歩いてきた。ドミトリはそっとコルホラ隊長の後ろに腰を下ろすと、ルメイの話に耳を傾けた。
「心臓が末端のことまで考えて血を送り出すとは限りません。でも血がめぐらなければ指は死んでしまう。その指が心臓のためにスープを口に運んでいるとしてもです」
「ちょっと話が判りづらくなってきたぞ」
 櫓の経営の話をしていたタリアーニが、ルメイの言葉を茶化している。ルメイはいったん言葉を区切ってから、何気ない風に訊いた。
「領収のサインをこちらの言う通りに書いてくれる仕入先があるでしょう? 金額は無理としても、細切れにしたり、日付を空白にしたり?」


「まあ、いることはいるが」
 タリアーニが下座に集まっている他の衛兵を気にして小さな声で答えた。
「さっきの帳簿をみると、薪を週に何度も買付けてる。あれを、相場の安い時に買いだめするのです。運ぶ手立てと保管場所は考えなければなりませんがね」
 ルメイの言葉を聞いたタリアーニが俯いて考えている。
「運ぶのはなんとかなる。保管場所もある。だがまあ、そうして経費を切り詰めたとしても、その分だけ翌年の予算が削られるのだよ」
 タリアーニが力の抜けた笑みを浮かべた。ルメイが声を落として続ける。
「薪を安い値で買うときに、浮いた分で食糧や消耗品を一緒に買い求めるのです。そしてそれを細々と領収に書かずにおいてもらう。そうして作った別口の経費の枠は、後で自由に使うことができる」
「そんな差額が出るほど一度に買付けたら、何かしてるのがすぐに判ってしまうよ」
「仕訳を何回にも分けて、日付をずらすのです」


 帳簿に顔を向けていたタリアーニが、片方の眉だけ吊上げてルメイを見上げた。
「君は今、反逆罪にあたる話をしているぞ」
 ルメイはきっぱりと首を振りながら答えた。
「現金を懐に入れたり奢侈品を買うなら反逆です。ですが国を守る衛兵の皆さんが食べるのに窮したり、建物を直せずにいるのはおかしくありませんか?」
 タリアーニが低く唸って何か言いかけたが、隣にいたコルホラ隊長がその肩を叩いて話を締めくくった。
「せっかく商売の達人が教えてくれているのだ、なるほどと聞いておけばいい。参考にさせてもらうかどうかは、こちらで決めよう。まさかルメイ君が来月あたりに帳簿を検めに来るわけではあるまい?」
 ルメイがいやいやと言って笑った。タリアーニも緊張を解いて微笑んだ。
「話が面白くなってきたところで申し訳ないが、いま門の開く音がした。ウァロックが戻ったようだ」


 コルホラ隊長が言うが早いか、食堂の扉が開いて水色のチュニックを着た男が入ってきた。紙束を高々と掲げたウァロックが衛兵たちに大声で告げる。
「遅くなりました。今夜の原稿が届きました」
 よし、という声があちこちからあがって衛兵たちが立ち上がった。いよいよ灯火信号を出す時刻らしい。衛兵たちがみな櫓に上がっていくが、俺たちはどうしたらいいのだろう。その場に残っているコルホラ隊長を見た。彼が黙って考えに耽っていたので、俺は遠慮して声をかけずにいた。その無表情は、やはりいくらかの苦悶がにじんでいる気がする。そして驚いたことに、この人はそうして長いあいだ俺たちのことを考えていたのだ。
「私の部屋に来てくれるかな。話したいことがある」
 コルホラ隊長が紅茶を飲み干して俺たちをじっと見つめている。


→つづき

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