ルメイとフィアをほら穴に残して外に出る。
 サッコとオロンゾから見えないようにしゃがみながら大きく回り込み、腹這いになって足を崖に振りだす。岩の凹凸にブーツの爪先をかけて体を下ろしていく。崖に突き出た足場から完全に下りる前にほら穴の方を窺うと、フィアが腹這いになって崖っぷちににじり寄っているところが見えた。短剣を納め、弦を張った弓を背に担いでいる。フィアは弓が頭上に飛び出ないように斜めに傾げると、俺の方を向いて崖下を指差した。しきりに小突くような手振りをしている。今のうちに早く降りろと言っているのだ。


 ほぼ垂直に近い崖が身の丈の倍ほどある。その下までたどり着けば斜面になっていて移動しやすい。なんとか断崖を下りてしまおうと焦っていると、小石が転がり落ちていった。足を止め、顔をしかめて聞き耳をたてる。岩場にへばりついているところを山賊たちに見つかったらと思うと冷や汗が出る。何度か深呼吸をしてから、足場を手繰ってなんとか斜面まで降りた。張り出した岩場からそっと覗くと、二十歩ほど先でサッコとオロンゾの二人が眩しそうな顔をして崖上を眺めている。いまだにピューからの合図を待っているのだ。


 バスタードソードの柄をしごくようにして握り込むと、足を踏みにじってブーツの具合を確かめ、岩場の陰から歩み出た。
「ここで何をしてる」
 声をかけると、サッコとオロンゾが肩をびくっとさせてこちらを向いた。ここでは手加減する必要がないのだ。思い切りやれると思うと、武者震いが胴体を駆け上がった。
「てめえ、どっから湧いてきた」
 オロンゾが素早く四方に視線を向け、自分たちが取り囲まれていないか確かめた。それから目立たぬように上目使いに、ピューが這い進んでいった崖の上をちらっと眺めた。後ろにいたサッコが長大な両手剣を抜こうとするのを、オロンゾが手で押さえ込む。


「こんな所で出くわすとは奇遇だな。お前、冒険者だろう?」
 オロンゾが剣を抜かずにしわがれ声で問いかけてくる。何か小賢しく考えているのだ。遠見の窓から見たことをはっきりと覚えている。女と一緒にいる連中は見つけ次第ばらすのではなかったか? と聞き返してやりたくなる。しかしこちらとしても、山賊どもが迂闊に何か漏らすなら聞いておきたい。剣を構えたままじっと見返す。少なくとも山賊を相手にしてる積りであることは伝わったようだ。
「荒事はよそうや。ひとつ相談なんだが、食い物を持ってないか?」
 その不気味なにやけ顔をどうにかしない限り、どんな提案も疑わしいばかりだぞ、と忠告してやりたくなる。


「お前らに分けてやる食料はない」
 オロンゾがガントレットをつけた腕を交差させて腰に吊るした二本の片手剣に手を乗せた。前屈みになり、据わった目で睨み付けてくる。
「そんな口がきけるのも今のうちだ。こっちは二人で、お前は一人だ」
 これは誘い文句だ。オロンゾは俺の顔を穴があくほど見詰めている。ピューを見かけていれば三人だろうと言い返してくるかもしれない。或いは、俺は一人じゃないぞと言い返すならば仲間とはぐれていないことが判る。ピューの安否と、探し人のフィアがそばにいるかどうかを気にしているのだ。


 俺は何も聞こえなかったかのように表情を動かさない。何の感触も得られないことに苛立ったオロンゾが唇を歪めて舌打ちをした。
「最後に一度だけチャンスをやる」
 オロンゾが腕を交差させたまま、両手の指先を蜘蛛の脚のように動かした。その指が片手剣の柄をがっしと握る。
「連れ回してる女をこっちに寄越せ。命だけは助けてやる」


 オロンゾは俺の様子をしげしげと見ている。そばにフィアがいるか、どうしても知りたいのだ。俺を殺した後、ピューなしで追跡する羽目になるのを恐れている。俺の無言を迷っていると勘違いしたオロンゾが駄目押ししてきた。
「なんなら金貨もやるぞ?」
 薄気味悪い乾いた声で笑っている。俺は剣を体に引き付け、わずかに当惑の色を顔に浮かべた。
「すまんが、そろそろ始めてもいいか?」


「この野郎!」
 オロンゾが怒りもあらわに剣を抜いた。背後のサッコも一歩さがってから両手剣を手繰るようにして腰から抜いた。オロンゾが一歩前に出た瞬間、鳴子を踏んでチャリンという音がする。オロンゾは目をむき、片手剣を目の前で交差させて防御の姿勢をとった。俺たちのなかに罠の専門家がいるのを知っているのだ。それはただの鳴子だが、恐れるだけ恐れたらいい。俺は自分の有利を残しておくために前に出るのを控えた。


 オロンゾは苦虫を噛み潰したような顔をして崖を見上げた。
「おい! ピュー! いるのか? こっちは始めてるぞ!」
 オロンゾが薄氷を踏むようにじりじりと進んでくる。サッコは剣を振り回すために、オロンゾと少し離れて進んでくる。左手には崖、右手には高く盛り上がった岩場があり、このままだと左右から押し込まれる。二人同時に相手にするのを避けるため、オロンゾの方に回り込むと、二歩退いてきた。サッコと挟む位置に誘っている。


 すっと近寄ると、オロンゾはさらに後退するために軸足に力を入れた。その瞬間に大きく踏み込んでガントレットを思い切り突く。ガッと音がしてオロンゾの右肘が弾かれたように跳ね上がった。切っ先が小手の隙間に入らなかったので傷は負わせていないが、渾身の力で突き込まれたらガントレットをしていても指を打撲する。苦痛に顔を歪めたオロンゾがさらに数歩退く。それを確かめてから足場を広げ、リカッソに左手を添えて剣を斜めに立てる。想定より一拍子遅れて、サッコが両手剣で横ざまに薙ぎ払ってきた。


 剣と剣が体重をかけてぶつかり合うガツンという音がする。剣身を傾けてあるのでサッコの両手剣が刃元まで滑ってくる。それが柄にぶつかった瞬間、相手の剣身をヒルトで絡め取る。そうして固定したまま、バスタードソードの柄から十字に飛び出たキヨンを両手で握って力任せに捻った。
 サッコの小手がぐるんと回転し、あっと声をあげて剣を取りこぼした。サッコが剣を拾おうとして慌ててしゃがみ込む。胸鎧の弱点、上から見た首まわりが見える。顔面より太い首をしている人間はいない。そこにはどうしても隙間が出来るのだ。


 サッコの首を突くために剣を水平に構え直し、距離があるのでポンメルの底に左手の掌底を付けたところで、オロンゾが斬りかかってきた。上体に溜めを残したまま脚だけで素早く一歩下がると、ポンメルを握った左手を支点にして大きく剣を振り出した。オロンゾの右手のガントレットを、弧を描いた剣先が強かに打ち下ろす。こちらの剣の切っ先がオロンゾの指先を強打して、みるからに痛々しい。ガントレットのような鉄板で撫で斬られるのを防いでも、重量物で殴られれば骨が折れる。オロンゾは右手の指を腹に付けて苦渋の顔色を浮かべた。


 サッコがやっと両手剣を掴んで立ち上がり、頭を小刻みに動かして兜のスリットから何が起きているのか確かめようとしている。リカッソを両手で握って空中で剣を一回転させ、柄頭のポンメルでサッコの顔面を強打した。ガン、という鈍い音がしてサッコは衝撃でふらつき、水中から顔を上げたかのようにブハァと息を吐いた。兜の面覆いについている空気穴から赤い血が滴ってくる。
 さらに追撃しようとすると、オロンゾが腰を落として前のめりになった。剣を逆手に握って突き返そうと身構えた瞬間に、師匠の声が聞こえた。
 メメント・モリ──死を忘れるな


 さっと身を引くと、オロンゾが捨て身になって飛び出してきた。鶏を捕える時のように覆いかぶさって両手で捕えにきたのだ。突き返せば深手を与えただろうが、体を掴まれてもがいているところをサッコに刺されただろう。こちらは革鎧しか装備していないのだ。
 あてが外れたオロンゾはその場で片膝を地に着いているが、そのすぐ脇でサッコが剣を構えている。思い切り突くために溜めたままじっとしていて、殺気がこもっている。


 起き上がったオロンゾが片手剣の切っ先を俺の方に向けた。
「思い出した。お前、カオカにいたな?」
 オロンゾが目を細めて俺を見ている。動揺させる積りかもしれないが、この二人が何を知っていても関係ない。もうすぐ五体を地に投げ出して冷たくなる連中だ。
「ここは荒野だぞ。あの時みたいに助けを呼んでも誰も来ない。俺がどんな風にお前を殺すか、想像できるか?」
 多少は手ごわいと思ってくれているようで、武器をゆらゆらさせながら二人がかりで押し包んでくる。それでも相変わらずこいつらは自分たちこそが殺す方だと思い込んでいるのだ。


「カオカでは引っくり返ったり寝っ転がったり、大変だったな?」
 オロンゾが子供をあやすような口調で煽ってくる。思わず薄笑いが浮かびそうになったということは、その言葉は俺を動揺させているのだ。確かにあれはみっともなかった。余計な口をきくまいとは思うが、自分の口を止めることが出来ない。
「俺も思い出したよ。盾に隠したクロスボウまで使って倒し損ねたんだよな?」
 オロンゾが黙り込み、顔にかかる影が濃くなった。二人してゆっくり挟み込んでくるので、サッコの剣が届く範囲に敢えて入り込む。サッコはすかさず両手剣を横ざまに振り出してきた。


 サッコは力任せで不器用な奴だ。俺が剣を斜めに立てて受けると、またしても剣を絡み取られている。さっきやられたのと同じはめ技にもう一度引っ掛かっているのだ。今度は剣を落としこそしなかったが、両手で抱えるようにしてなんとか胸元で保持している。リカッソを握り、切っ先がサッコの面覆いのスリットの中に入るように狙いをつけていると、オロンゾが伸び上がるようにして片手剣を振り上げ、俺の剣を跳ね上げた。オロンゾの剣が戻る前に、返す刀で斬り付ける。剣の切っ先がガントレットを越えてオロンゾの左手に食い込む。オロンゾが、あっ、と叫んで数歩下がる。サッコが剣を構え直してオロンゾを庇う。


 サッコの背後に回ったオロンゾが、左手に持っていた剣を口にくわえ、片目をつぶって痛みに耐えている。左腕の動脈を切り裂いたので、流れ出た真っ赤な血がガントレットの指先から幾筋も垂れてくる。オロンゾは血塗れのガントレットを取り外して左の脇に抱え込んだ。
 血管を圧迫して止血しているところを見ると、まだ落ち着いている。慌てふためいて血が流れるに任せているなら、適当にいなして時間を稼ぐだけでそのうち立っていられなくなるだろう。オロンゾは右手に持った片手剣を腰に戻し、口にくわえた剣を右手に持ち直した。


「兵隊あがりだな」
 オロンゾが恨みがましい目で俺を見返した。技量に大きな差があることに今さらながら気が付いた様子だ。
「剣捌きは達者なようだが、くたばるのはてめえの方よ!」
 オロンゾは戦意を失っておらず、脚力を生かして崖の方へ回り込むと、右手の片手剣を投げつけてきた。俺は盾を持っていないので、飛んで来た凶器を体を傾けてやり過ごした。そこへサッコが、唸り声をあげながら両手剣を振り下ろしてくる。


 剣を頭上に水平に構え、サッコの剣を受ける。
 当たれば致命傷は免れないが、こんな大振りがまともに当たる筈がない。ギャリンという音がして剣がぶつかり合い、負けじと柄を右手で支えるが、柄頭に添えていた左の拳が跳ね上がる。剣圧を止めることは出来ないが、サッコの剣は俺の剣に沿って体の脇を滑り下りていく。力任せに大振りした剣が地面に当たった瞬間、鉄芯入りのブーツで剣身の中ほどを踏みつける。サッコの肩ががくんと下がるのが見えた。武器が長大で実に御しやすい。短剣で迫られたら躱せなかったかもしれない。


 バスタードソードをこれ以上ないくらい大きく振りかぶった体勢の俺に前に、オロンゾが片手剣を振りかざして迫ってくる。オロンゾの狙いは、肉薄して剣の間合いの内側に潜り込み、俺を一瞬でも抱え込むことにある。そうすれば剣の勝負ではなくなる。
 それなら、この一撃を受けてみるがいい。
 俺は全身を発条にしてバスタードソードを振り下ろした。オロンゾが咄嗟に片手剣で受けようとする。しかし骨折した指で握る剣に、斬られた方の手を添えている状態では受け切れない。オロンゾの片手剣は甲高い音をたてて弾かれた。


 バツンという音がしてオロンゾの右腕に剣が命中した。
 ガントレットのすぐ後ろを革鎧ごと切り裂き、片手剣を握った腕が切り口のところからだらんとぶらさがった。一瞬だけ白い骨が見えたが、溢れ出る血潮でオロンゾの右手と脇腹が朱に染まった。オロンゾが片目をつぶって歯を食いしばり、呻き声をあげる。


 俺は剣を振り抜いておらず、切っ先はオロンゾの腰の辺りで留まっている。一対一なら勝負あったの図だが、仕方ない。そのまま剣先で地を掃くようにして、俺の背中に斬り付けてきたサッコの剣を巻き上げた。至近から二の剣を受けたら堪らないのでサッコが体勢を整える前に二歩、三歩と間合いをとる。


 オロンゾはぶら下がった右手の先を左手で支えながら後ろに退いていく。もはや動かない指が握り締めた片手剣を外すために、左手でガントレットを細かく揺すっている。片手剣は重みで片方にがくんと傾いだが、右手の指が剣の柄を放さない。最後には自分の左手の指で右手の指を端から開いている。やがて片手剣が地に落ちた。オロンゾは退き続けて崖に背を預けると、ぐおお、と叫び声をあげながら右手のガントレットを取り外した。それを今度は右の脇に挟み込み、背中をずるずると滑らせてその場に座り込んだ。唇を引き結んで天を仰いでいる。足元に血溜りが広がって、顔がみるみる土気色に変わっていく。


 サッコが片手剣を拾ってオロンゾの所へ持って行った。しかしオロンゾはまだ動かせる左手でサッコを弱々しく追い払った。
「お前は逃げろ」
 サッコが一瞬顔を引いてから、信じられないという風に首を左右に振っている。
「さっさとずらかれ! 仲間を呼ぶんだよ!」
 オロンゾがそう叫んでから力尽きたように顔を伏せた。


 俺は顔を上に向けないように気を付けて崖上を見ている。ぱっと見は誰もいないように見える。しかしよくよく目を懲らせば、低灌木の枯葉の向こうにルメイとフィアの顔が見える。ここまでは見つからずにうまくやりおおせた。あとはサッコを残すのみ。
 サッコが逃げ出さないか挙動を確かめる。先に倒したのがオロンゾで幸いだった。オロンゾが逃げだしたら走って追いつく自信がないが、サッコなら逃がすまい。サッコは片手剣を二本とも自分の腰に差すと俺の方を向き、うおおお、と雄叫びをあげた。


 サッコが両手剣を上段に構えたまま走り寄ってくる。馬鹿の一つ覚えのように力任せに振り下ろす積りだろう。矢張りこの男は力技しかもっていないようだ。確かに怪力と綽名されるだけの膂力をもっているが、それだけでは勝負にならない。もしこいつにちゃんとした剣の師匠がいたら、感情的になった瞬間にお前の負けだと教えてもらえただろうに。


 バスタードソードの長い柄の両端を握って斜め上段に構え、サッコの振り下ろしを剣先で受ける。剣がぶつかり合うカン、という音がして、サッコの剣がこちらの刃元に滑り落ちてくる。それを左に振り払おうとした瞬間、目の前が真っ暗になった。立ち眩みだろうか。しかし防御を途中でやめるわけにはいかない。


 目が見えないまま迫りくる両手剣を左に払い、右に数歩さがった。やがてじわじわと視界が戻り、つんのめったサッコが体勢を立て直すのが見えた。今度は樵が斧を振るように水平に剣を繰り出してくる。サッコの剣は全部大振りだ。
 俺は反射的に剣を合わせるのを嫌って後ろに下がった。しかし、こんなに長い剣を受けない訳にはいかない。サッコの剣先にこちらの刃元をぶつけにいった瞬間、やはり目の前が真っ暗になった。気のせいじゃない。剣が触れた瞬間に視界が失われる。こいつは妖術使いか?


→つづき

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