「話しておかなければならないことがある」
 フィアが不安そうにこちらを見返した。
「怖い話?」
 俺は俯いて唇を噛んだ。心のどこからか、黙っていたらいいじゃないかと囁く声がする。だがそうはいかない。フィアは知りたがる筈だし、知るべきなのだ。
「俺が近衛にいたことは話したよな?」
 見上げたフィアの顔がまぶしくて目を細めてしまう。フィアは短く、そうね、とだけ答えた。俺が何を言い出すのかまったく判っていないようだ。


「動乱があった日、俺はデルティス城にいた」
 フィアの目が少しずつ見開かれた。薄暗がりで、青灰色の瞳に竈の炎が映っている。フィアは俺を初めて見るかのような顔をした。
「あの日、あそこにいたの?」
 フィアの視線から目をそらさず、ゆっくりと頷いた。
「あの甲冑をつけてた近衛兵のうちの一人?」
 フィアが用心深く尋ねてきた。丸腰で敵のただ中に放り込まれたような気がしてくる。
「そうだ」
 フィアが俺から目を離して斜め上の方を見上げた。あの日のことを思い出しているのだ。


 ほんの束の間、薪がぱちぱちと音をさせると、フィアの視線は俺に落ちた。
「兄さんたちに起きたことを教えて」
 フィアの張りつめた表情から、大きな苦悩を呑み込めずにいるのが伝わってくる。どんな感情が湧いているのかは窺い知れない。
「お願いだから、ありのままを」
 フィアが繰り返し問うてくる。言葉を口から出すために、視線を外して息を吸い込まねばならなかった。


「まだ日も登り切らない頃、俺たちは町はずれで馬を降りた。城兵に覚られぬよう、人目につかない場所でだ。そこから裏手伝いに隊員の叔父が経営する商館に移動した。その中庭で全員、装備を整えた。同行していたバイロン卿を除いて」
 俺のかつての上司、バイロン卿の名を聞いてフィアが眉根を寄せた。ルメイも話の行先を案じて俺の顔をまじまじと見ている。だがもう後戻りはできない。告白は挑戦と似ている。俺は顔を上げてフィアと目を合わせた。
「リヒテンシュタイン家に連なる者すべてを捕えよという命令を受けて、完全武装した五十人の近衛兵を率いていた」



     *



 傷ひとつない白銀色の小手をはめて指を動かしていると、視界のすみで何かがきらりと光った。俺は顔をあげて光った物のありかを探した。
 商館の中庭には肩で息をしている男たちがカチャカチャと音をさせて武装を進めている。不穏な気配を察した厩の馬が鼻息を荒くして地団駄を踏んでいる。しかし闖入者である俺たち以外には誰もおらず、これだけの人間がいるにしては静かと言って良い。商館の建物を見上げたとき、二階の窓が少しだけ開いているのに気付いた。白く塗ったアーチ状の鎧戸が半面だけ外側に開いている。


 俺が顔を向けた途端に窓辺からすっと身を引く男が見えた。あれがトマスの叔父だろう。振り返ると、トマス・ブライトナーが兜をかぶる手を止めて窓を見上げている。この無口な男は抜きんでて長身なのですぐに見分けがつく。俺と目が合うと、トマスはぐっと顎を引いて兜を深々と首に押し込めた。まだ開け放たれている眉庇が陽光を反射している。その下の開口部からは緊張した面持ちのトマスが見える。城下町には未明に辿り付いたが、もう日が昇ったのだ。


 昨夜、商館の中庭を使わせてくれるようトマスに頼んだ。トマスは二つ返事で叔父に手紙を書くことを承諾してくれたが、一つだけ条件をつけてきた。できるだけ商会の名を出さないようにして欲しい、という。地元の領主を強襲する兵隊を留め置いたとあっては、恰好の良い話ではない。文面は有無を言わせぬ形で書くが、叔父は小心者なのです、と苦渋をにじませるトマスの願いを俺は聞き入れた。
 小隊を集めて作戦を聞かせた時、その旨を全員に伝えた。行軍記録にも、ただ通りすがりの商館と記すよう指示した。


 要領の良い者から武装を終えていった。
 最後までもたついているのは副隊長のバーミンガムで、左右で手伝っている者を小声で急かしている。まだ胸当てをつけ終わっておらず、両手を高く上げたままだ。一人で素早く装備を整える調練をしているのに、こいつは従者がいて当たり前と思っている。もっとも、バーミンガムを手伝っているのは従者ではなく貴族出身の同僚たちだ。メンバーの選抜に家柄を用いない俺の方針でさんざん間引かれた数少ない貴族たちは、窮屈な思いをしながら助け合っているようだ。


 俺は実力のある者を自分の隊に選抜した。貴族出身の者には調練を軽視する風潮があり、自然と平民出の者が増えた。ついには名門バーミンガム家の御曹司を放逐しようとしかけたが、バイロン卿から止められた。理由を聞いたが答えてはもらえなかった。俺は皮肉を言いたくなった。近衛はそもそも貴族で構成されるべきですが、それだけの数を揃えるのは難しく、卑賤な平民が混じるのは致し方ないとしても、各隊には少なからず貴族を配置してその穢れを拭い去る必要があるのでございましょうな、と。もちろん口に出しては言わなかった。


「全員集まれ!」
 副隊長が装備を終えるのを見届けてから集合をかけた。甲冑姿の男たちが俺の周りに集まってくる。その兵隊たちの中に、およそ似つかわしくない男が一人混じっている。隊員たちより頭ひとつ分は背が低く、体格も貧弱で、そもそも齢五十は越えている筈だ。小さな丸芋のような顔に偏屈そうな面相がひっついている。白いかつらをかぶり、袖口に金糸の刺繍がはいった濃紺の上着を着て、その下には縁取りのついたベスト、黒のキュロットに白の長靴下という出で立ち。閲兵式の場から着替えをする暇もなく次々と近衛に無理難題を押し付けてきた、バイロン卿その人である。


 表情に不機嫌と尊大を刻みこんだバイロン卿を、俺は気が進まないという顔つきで斜めに見返した。
「改めてお伺いしますが、本当について来られるお積りですか?」
 バイロン卿が小さな目の奥から猛禽のような瞳で俺を睨んだ。
「勿論その積りだ」
 子供のような体格をしているくせに、妙に低く響く声をしている。声を作るのに慣れているのだ。俺は一息の間を作ってから敢えて抗弁した。
「普通、司令官は小隊規模の作戦に随行しません」


 バイロン卿は俺より背が低いので、俺を見下ろすには顔を上げねばならなかった。
「初めからこうすると命じていた筈だ」
 俺は渋い顔をつくり、何度か頷いてみせた。「足手まといだ」とは、なかなか言えるものではない。この男は今、宿敵を追い詰める一世一代の博打をうっているのだ。全て自分の思うままに進める積りなのだろう。俺たちを手駒として自在に操り、その指揮を俺にやらせながら、完全に任せることはせず、最前線であれこれと口を出す積りなのだ。俺は自分の立場にうんざりしてきたが、投げ出すわけにもいかない。


 顎をひいて隊員の顔をずらりと見渡した。
「城兵に気取られぬように移動して最寄りの建物の陰に隠れる。そこから一人だけ城門へ出向いて跳ね上げ橋を降ろさせる」
「降ろすかな?」
 間髪を入れずにバイロン卿が問いただしてくる。どうにも調子がくるう。
「降ろさせる工夫をします」
 そう言って隊員の一人を指差し、一歩前に手招きした。


「モーリス・ジュアン。兜と大剣を外せ。最前線での戦いは免除する。代わりに伝令役を命じる」
 モーリスは忠誠心の旺盛な若者だが、剣技はそれほど冴えない。彼が前線から欠けても大した損失にならないだろう。だが単身で城門の前に立ち、その見た目で城兵たちを安心させるにはうってつけの人物だ。頬から顎までを覆う褐色の髭をもつ男で、細い目でいつも笑っているように見える。近衛には珍しく冗談を言う男で、隊の緊張をたびたび解してきた。


 きびきびと兜を外し、剣を取り外したモーリスが俺の前に立った。
「伝令の中身は?」
「騎乗したまま、大声で城門に声をかけろ。近衛一番隊のモーリス・ジュアン、ルナハスト将軍からの言伝を伝えに来た、とな」
 聡い隊員が何人か、なるほどと呟いた。閲兵式での事件がこちらまで伝わっているか判らないが、ルナハスト将軍が式典を執り行う任務についていることは誰もが知っている。いずれにせよ城の者は言伝を聞きたがるだろう。


 しかし肝心のモーリスはわずかに首をひねって気がかりを漏らした。
「騎乗したままでよろしいので?」
「クシャーフの丘からここまで徒歩では来ない。お前は火急の報せをもって単騎かけつけた。へとへとだ」
 モーリスが褐色の髭をひねりながら、なるほど疲れた顔をするのは得意です、と言って隊員の笑いを誘っている。しかしその目は疑問の色を宿したままだ。
「して、伝令の中身は?」
「何を言われても、城代に直接伝えると言って粘れ。城代のブルーノは必ずいるから、そのうち跳ね上げ橋が降りる。その瞬間に俺たちが押し込む。五十人の近衛隊の突入、それが伝令の中身だ」


 隊員たちの陰で支度を整えていたバイロン卿が大きな声を出して割り込んできた。
「これはどういうことだ」
 安っぽい暗紫色のローブを羽織らされて憤慨している様子で、隊員たちの作る輪を割って俺に詰め寄ってくる。確かに、それを用意したのは俺だ。
「商人に扮して頂きます」
「なんだと!」
 バイロン卿がすごんでみせるが、ローブのせいで小さな老人が怒鳴っているようにしか見えない。貴族たちが偉そうに見えるのは着ているもののせいなのだ。副隊長のバーミンガムが横から「不敬ではないか」と言うのであやうく舌打ちをしそうになった。


「バイロン卿にあらせられましては昨夜の事件から不眠不休の陣頭指揮、恐悦至極に存じます」
 片膝をついて胸に手をやり、貴族への礼を示したのは安物のローブを着ているバイロン卿へのあてこすりだ。
「ですが、ここは戦場ゆえ兵隊の言葉で話してもよろしうございますか?」
 老人は一瞬何かを怒鳴りそうに見えたが、目を細め、ふんと鼻を鳴らした。それが返事のようだ。


 俺はゆっくりと立ち上がった。
「意を汲んでデルティス城を強襲する小隊に同行して頂きますが、まさか式典用に用意したお召し物のまま行かれる積りではありますまい?」
 バイロン卿がローブの合わせの下から見える刺繍のはいった衣服を見下ろして黙った。これから隠密行動をとるというのに、貴族でございと触れて回るような恰好をしているのに今さらながら気付いたようだ。


「我々は建物の陰をぬって走り、覚られぬよう城に肉薄します。卿には乗馬したまま最後尾からついて来て頂きます。護衛を二名つけますが、危険が伴うのを御承知下さい。近衛が城を掌握するまで、フードも被ってお顔を隠しておいて頂きたい」
 バイロン卿は「わかった」と答え、渋々と脇にさがった。己が血筋を盲目的に信奉しきっている門閥貴族であればさらに騒ぎ立てるところであろうが、この男はもともとそれほど高位の出身ではない。逆を言えば、こうした実際家の側面をもっているからこそ、剣呑な時代の宮廷でここまで力を伸ばしてきたともいえる。


 俺は居並ぶ隊員たちの顔に向き直った。
「お前たちが今日、刺されて死ぬことはない」
 死を口にした途端、男たちの顔付きが締まった。メメント・モリ。死を忘れないこと。
「俺たちは近衛の一番隊、屈指の強者が完全武装している。まして城の兵を出し抜いているのだからな」
 隊員たちが互いに目くばせしあって小さく頷いている。
「だが何人か溺れて死ぬかもしれん。甲冑をつけたまま堀のそばで戦うからだ」
 辺りが静まり返った。トマスの叔父が経営する商会は繁盛しているらしく、立派な中庭には剪定された低灌木が並んでいる。今はこうして洒落た庭を眺めていられるが、戦場はここから見えるほど近い。


「出発の前に調練を思い出してもらう。目をつぶって息を整えろ」
 俺はわずかに背を反らして両手を柄頭に乗せた。隊員たちは頭を垂れた。
「水に落ちた時は慌てずに息を止めること。デルティス城の堀は身長の倍。水は淀んで視界はない。落ちている間は泳がずにまず小手を外せ」
 隊員たちはみな、自分の小手を掴むような仕草をしている。
「それから短刀を抜き、鎧を支える革帯を三か所切り裂け。お前たちの鎧は特注品だが、お前たちの代わりはいない。遠慮するな。底に着くまでに鎧を外せ」
 それぞれ目をつぶったまま、体を叩くようにして短刀の位置を確かめている。


「着底したら腰ベルトを切って草摺りを外せ。膝の革紐を切ればすね当ては勝手に外れる。それから底を蹴って浮上しろ。調練でやった通り、両手で水を掻け。落水した者がいたら、縛ってこぶを作った縄を投げること。引き上げる時は三人いないと一緒に落ちるぞ」
 隊員たちが落水時の調練を反芻しているのを見守る。
「よし。目を開けろ」
 やや前のめりになった隊員たちが据わった目を見開いた。出陣前の緊張の瞬間だ。号令をかけようとした矢先に、横槍が入った。


「あらかじめ言っておくが、平民隊長」
 バイロン卿が苦い物を口に含んでいるような顔をしてじっと俺を見ている。この男は部下である俺の名を呼ばない。近衛の隊長で平民出身は俺一人なので言い得て妙なのだ。かちんとくる物言いだが、俺も心からの恭順を示さないのでお互い様といえばお互い様だ。しかしこんな瞬間に声をかけるのは舐めきっているとしか言いようがない。
「失敗した折には厳しい処罰があると思え」
 出ばなを挫かれるとはこのことだ。熱くなった俺の気持ちが冷めるのがどうしても隊員に伝わってしまう。あまりの業腹に鼻から大きな溜息をつく。


「古式ゆかしき棒くぐりの刑でありましょうか?」
 追従をする口調で副隊長のバーミンガムが歌うように言う。バイロン卿は夕涼みの会食に出された乙な肴を横目で見るような顔付きをした。
「なるほど相応しかろう」
 戦場ではなく、まるで宮廷にいるかのような受け答えだ。バーミンガムが脇にいる貴族仲間と含み笑いをしあったのを見て思わずかっとなった。棒くぐりの刑とは、平たく言えば死刑だ。


「ご不満であれば別の者を指揮にあてて下さりますよう」
 俺は深く頭を垂れて片膝をつき、仰々しく右手を回して臣下の礼をとった。
「なんだ貴様、その言いぐさは!」
 バイロン卿が気色ばんで怒鳴った。深々と頭を下げてはいるが、卿が顔を赤くし、唾を飛ばしているのが見えるようだ。あんたに薬師卿としての権限という強みがあるのと同様、俺にも強みはある。俺は顔を上げ、この世における実際家の最たる者、兵隊の長の自信を顔ににじませた。


「他に適任者があれば御下命を」
 そして貴族の真似をしてぱちくりとまばたきをし、バーミンガムに向かって優雅に流し目をした。自分の才覚の程を知らない副隊長は思わず背筋を伸ばし、目を見開いてバイロン卿を見た。もしやここで隊長交替かと期待しているのだ。バイロン卿は憎々しい顔をして俺を見据えている。
「今さらそんなことをしてどうする。はよう出発せい」
 バイロン卿は鼻白んで隅に退いた。副隊長には家柄しか取り柄がないことを、卿も知っているのだ。バーミンガムは眉根を寄せて卿の後姿を目で追っている。なぜお前に任すと言って下さらぬのか、といわんばかりに。


 深呼吸してから一同を改めて見回した。
「ここに残る者もいて後顧の憂いはない。まんいちの際はここに再集合すること」
 静かな中庭に小鳥の声がかすかに響いている。
「お前らが全員討ち死にしても、俺が最後まで残って仕事を終わらせる。だがこれだけ屈強な部下がいれば百戦あやうからず。必ずやり遂げるだろう」
 ひとりびとり目を合わせていく。みな頷き返してくる。
「それでは、出発する」
 おう、という掛け声とともに、俺たちは城下町に駆けだした。


→つづき

戻る