「すまんが、あんたのことをとっぷり話したわけじゃないんだ」 手の平を見せ、くだけた調子で言い訳をする。どのみち詳しくは語れないのだ。 「イシリオンはダークエルフを追放した話をしていた。なんていうか知らないが、首長の集まるような場があって──」 「ヴァイレ会議。それはいいの。わたしのことをなんて言ってたの?」 焦らされるのは我慢ならんという意気込みで畳みかけてくる。 俺は思いきり眉根を寄せ、唇を一文字にひきしぼった。言いづらいことを話す前によく人がそうするように、握った拳を開いて小首を傾げてみせる。ドラウプニルは自分が傷つく予感に張りつめた顔をしている。 「ああでもしなければ処刑するより他なかった……」 蒼い瞳が食い入るように俺を見つめている。 「惜しいことをした、と言っていたよ。黙り込んで、それ以上は何も言わなかった」 ドラウプニルがぐっと目を細めた。 「そう言ったのね? 惜しいことをしたと?」 俺は目を合わせながら黙って頷いた。女をだましているような気がしてくるが、龍から授かった力で知り得たというだけで嘘ではない。そう自分に言い聞かせる。 ドラウプニルの体から力が抜けて両手がだらりと下がった。しばらく思いつめたように宙を見ていたが、やがて目を閉じてゆっくりと俯いた。死人遣いの女はそのまま前のめりにくずおれて膝をつき、両手を地面についた。 「行きずりの人間からその話を聞くとは思わなかった」 ドラウプニルは思いのほか衝撃を受けた様子で、俯いたまま顔を上げない。この女が一人で過ごしてきたのはどれくらいの時間なのだろう。百年? 千年? その年月がどっと肩に落ちてきたのだ。 死人遣いは油断しているように見える。 地に這って頭を垂れているところなど、首を落として下さいと言っているようなものだ。今なら斬れるのではないかと思うと心が揺れる。心の奥底の岩の下あたりでこの化け物を女と思っている部分があり、悲痛に打ちひしがれているところを斬るのは気が引ける。剣の道に生きている積りが、お前も相当に手ぬるいのではないか? いや、そうではない。 この期に及んで物事には慎重にあたるのだ。言葉のひとつ、動きのひとつで命が失われるだろう。この女は依然として雨に濡れずにいる。泥濘に両手をついているのにその指は泥にまみれていない。剣を弾く膜はまだ働いているのだ。エルフの寿命がどれほどか知らないが、こういう油断のなさを持っていなければ悠久の時を生き延びることは出来ないだろう。 殺意をみせて失敗したらせっかくここまで辿って来た道がふいになる。俺はなりゆきを見ながらどう締めくくるべきか思案した。 「ずっと恨んでたのに莫迦みたい」 ドラウプニルが大きく溜息をついた。居並ぶ塚人たちまでこころなしか肩を落としているように見える。ややあって死人遣いの女は体を起こした。俺たちを苛めて遊ぶのはどうでも良くなったという顔をしている。 「あなたたちはまず最初に、これがイシリオンのパーティーだと伝えるべきだったわ」 そう言って、頬に垂れた数条の髪を耳にかけている。雨粒がたった一筋、ドラウプニルの頬を伝っている。或いはそれは雨粒ではないかもしれない。 「それならわたしもこんなことしなかったのに」 自分で呼び出した百体からの塚人たちを見回している。 死人遣いの女が前にでて堂々と胸を張った。 「ご明察。その名で呼ばれるのは久しいけれど、ダークエルフのドラウプニルよ」 ひとまずは話が通じてほっとする。剣の柄に触れていた右手を戻す。 「あの人が人間を連れているのは、きっと何かわけがあるのね」 ドラウプニルがじっと考えている。 「マナを扱えない人間を見下していたけれど、あなた方にもマナが必要なの?」 なんの話だ。話題がおかしな方へ進んでいる。 「そうでもなければ彼の仲間に加わる筈がないもの」 イシリオンが何をしようとしているのか見当がつかない俺には答えようがない。 「もういちど深淵に降りるのよね?」 ドラウプニルが何気なく訊いてくる。まるで町の女たちが井戸のそばで話をしているかのように。俺は混乱が顔に出ないようにこらえた。深淵とはなんだ? もう一度ということは、過去にも行ってるのか? 俺が返事をしないので話が間延びしている。 「風車を壊しに行くのでしょう?」 さらに駄目を押すように尋ねてくる。黙ったまま顔をしかめている俺を見てドラウプニルが不審そうな表情を浮かべた。まずい。何か言葉を返さねばと思うが、うっかりしたことは言えない。固まってしまった俺の代わりに、背後からフィアが助け船を出してくれた。 「わたしたちは固く口止めされてるけど、あなたは知ってるのね?」 ドラウプニルが思わず口に手を当てた。うっかり口を滑らせた女の図だ。フィアもなかなかの役者で、緊張を感じさせない涼しげな声だ。 「イシリオンは話したがらないけど、あなたは最初のパーティーにいたの?」 心のどこかで警鐘が鳴る。フィアは踏み込み過ぎているのではないか? 相手は人間ではないのだ。どこかでぼろが出たら何が起きるか判ったものではない。 「いいえ。わたしにはとても無理よ」 俺たちの顔を見渡している死人遣いの言葉を聞いて不安になってくる。 俺に負わされた宿命とは何なのだ? 化け物じみた力をもつこの女にもやれないようなことを強いられるのか? ドラウプニルが知っていることを引き出したい気もするが、根ほり葉ほり訊くのもおかしな話だ。どうしたものか迷っているうちに幕引きの雰囲気が満ちてきた。死人遣いの女は背筋を伸ばしてわずかに目を細めている。そうしている様は、まるで貴婦人のようではないか。俺たちを殺そうとしたのが信じられないほど乙に澄ましている。 キャンプをびっしりと囲った塚人たちは相変わらず唸り声をあげている。しかしドラウプニルはすでに表情を柔らかくしている。 「あなたたちがしたことを水に流すから、わたしのことも許してくれる?」 願ってもないことだ。確かめるまでもないが、俺は一応パーティーリーダーなので振り返ってルメイとフィアを見た。ルメイが大きく頷き返してくる。フィアは塚人の一人を覗き込むようにして見ていて反応がないが、反対する筈がない。 「そうして貰えたら助かる」 俺の返答をきいて、ドラウプニルも頷いた。 「ひとつだけお願いしたいことがあるの」 フィアの言葉を受けて死人遣いがぴたりと動きを止めた。心臓がばくんと脈打つ。このタイミングで余計なことを言うべきではない。せっかくの流れを乱してしまうではないか。俺は動揺していることを隠そうとして歯を食いしばるが、思わず拳を握り締めてしまう。よすんだフィア。このまま立ち去らせてしまえ。心に強く念じるが、言葉に出すわけにはいかない。 「どんなお願いかしら?」 ドラウプニルが怪訝な顔をしてこちらを見ている。 「あなたが従えている塚人のうちの一人を分けて欲しいの」 何を言い出すのか。こんな腐った死体をもらってどうしようというのだ。俺の顔にはありありと表情が浮かんでしまっている。皆で口裏を合わせて教官をだまそうとしているのに、空気を読まない奴が見当違いのことを言い始めた時に浮かべる表情だ。俺は我慢して振り向かずにいるが、近くにいるルメイがごく小さな声で、フィア、と何度か囁いている。 暫く考えていた死人遣いがゆっくりとフィアの方を見やる。 「あなたには使いこなせない。わたしの手から離れたら死体に戻るだけよ」 ドラウプニルはゆるく腕を組み、顎をあげてフィアに語りかけている。フィアが輝く短剣を松明のように持ちながら俺の隣まで出てきた。俺の影がぐるっと横に回り込み、全裸のダークエルフが光を受けて暗がりに浮き上がった。その腋から乳房にかけてのラインに目を奪われる。 「それでいいの。生きてる頃にお世話になった人がいるから、弔いたいの」 ドラウプニルがフィアの言うことを理解し、すっと首をつきだした。 「誰のことを言うの?」 フィアが輝く短剣を左手に持ち替え、右手で塚人の一人を指差した。 「この人よ」 ドラウプニルも、俺も、ルメイも、目を凝らしてその塚人を見た。まだ顔の肉が落ちきっていないので人相が残っている。小柄な壮年の男で、栗色の髪が残っている。しかしそれが誰だか、俺にはよく判らない。 ドラウプニルがその塚人に手をかざすと、頭頂から細い光のリボンが宙に舞い上がった。それはすぐに四散して蛍のような光の群れとなり、やがて消えていった。 「この男の名は、クレメンス・コルホラ。間違いないわね?」 ドラウプニルの物問いたげな視線を受けて、フィアが深々と頷いた。 (→つづく) |
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